国内外で活躍する奈良美智の大規模個展『奈良美智: The Beginning Place ここから』が青森県立美術館で開催されている。東日本大震災後に試行錯誤しながらたどり着いた新たな境地とは? 故郷である青森でしか見られない展覧会に込めた思いはどんなものなのだろうか

BY YAYOI KOJIMA, PHOTOGRAPHS BY MIE MORIMOTO, EDITED BY MICHINO OGURA

画像: 奈良美智 なら・よしとも●1959年青森県弘前市生まれ。1987年愛知県立芸術大学大学院修士課程修了。1988年渡独し、’93年まで国立デュッセルドルフ芸術アカデミーで学ぶ。欧米や日本で作品を発表しつづけ、2000年にドイツから帰国。2001年、日本で初の大規模な個展『I DON’TMIND, IF YOU FORGET ME.』を開催。2012〜’13年には東日本大震災を経て再考された個展『君や 僕に ちょっと似ている』が全国3カ所を巡回。今回の展示以外にも海外での大規模な展覧会が続々と決まっている。

奈良美智
なら・よしとも●1959年青森県弘前市生まれ。1987年愛知県立芸術大学大学院修士課程修了。1988年渡独し、’93年まで国立デュッセルドルフ芸術アカデミーで学ぶ。欧米や日本で作品を発表しつづけ、2000年にドイツから帰国。2001年、日本で初の大規模な個展『I DON’TMIND, IF YOU FORGET ME.』を開催。2012〜’13年には東日本大震災を経て再考された個展『君や 僕に ちょっと似ている』が全国3カ所を巡回。今回の展示以外にも海外での大規模な展覧会が続々と決まっている。

 奈良美智にとっての「The Beginning Place」、それは紛れもなく青森だ。弘前市郊外に生まれ育った彼の原風景は、緩やかな丘の上の一軒家と、そこから広がる草原や、戦時の雰囲気が残る校舎、まさに昭和の時代、高度経済成長期の日本である。
 成長とともに失われていく自然、昔ながらの建物、人々のつながり、そこに変わらぬ姿で在り続ける岩木山。いわゆる美術とは無縁の環境で、留守番をしながら本を読み、チラシの裏に絵を描き続けた多感な美智少年は、ラジオのFEN(現AFN)でアメリカ音楽に触れ、レコードジャケットからサブカルチャーの息吹を吸収しティーンエイジャーになった。世界の奈良美智の原点を丁寧にすくい上げ、「ここから」始まった旅の軌跡を彼の作品とともにたどる展覧会である。
 展覧会のコンセプトや構成は、同じ青森県弘前市出身の学芸員、高橋しげみがつくった。青森県立美術館は1998年から奈良の作品を収集し、国内一のコレクションを有する。25年来、奈良の作品と向き合ってきた同館だからこそ実現できたと言える。
「今までの展覧会はすべて自分で考え、責任を負う覚悟でつくってきた。今回は、自分の活動を長く知る高橋学芸員が客観的な視点で組み立てて提案してくれたので、プレッシャーを感じず迷いなく展示ができた。展示がこんなに楽しかったのは初めてです。ここで生まれ育って感性を育んだということが、自分の中でも再確認された」

作品の変遷、そして東日本大震災という転機

 奈良美智の作品といえば、強い線で描かれた鋭い目つきの子どもの絵や、青森県立美術館のシンボル《あおもり犬》(2005年)を思い浮かべ、可愛くてちょっとパンクなテイストのドローイングが施されたミュージアムグッズを愛用する人も多いだろう。
 展示の第1章「家」には、故郷の風景と、原点、よりどころとしてのホームの意味が込められている。
「捨てたつもりの絵を友達が拾って持っていた。自分では恥ずかしいが」と語る最初期の油絵《カッチョのある風景》(1979年)が初公開され、奈良の絵画の原点はここか、と現在までの変遷に一段と興味が湧く。岩手県で育った松本竣介を思わせる作風からは、よく言われる漫画やアニメの影響とは異なる奥行きが感じられる。
 そこから広がる第2章「積層の時空」には、ドイツ留学・滞在、そして帰国後の国内外での活躍と、奈良の歩みとともに変化してきた絵画や、陶芸、彫刻作品が並ぶ。近年は複雑なテクスチャーと色彩の積層に佇み、観る人に真正面から相対する少女像の絵画が代表作となっているが、大きな転機は2011年の東日本大震災だった。
「大変な状況の中で、音楽の人は歌で勇気づけたりできるのに、美術は余裕があって初めてできる、自己満足でしかないように思えて、絵を描くことができなくなった。そんなとき、ちょうど母校(愛知県立芸術大学)のレジデンスに誘われたので、そこでとにかく土と格闘しました。道具は使わず大きな粘土の塊を塑造していくうちに、リハビリができた。手を動かしていると、忘れていたことを思い出します。もともと人間には記憶を未来につなげたり、新しいものをつくりだす力がある、とか、つくりながらそんなことをずっと頭の中で考えていって、元気を取り戻したんです。故郷を見つめ直すとか、人はコミュニティで暮らして助け合うとか、東北の歴史とか、今まで大きな考えの下に隠れていたところに自分の本質がある。それに気づかせてくれたのが東日本大震災でした。だから負のイメージがどうしても強いけど、その負のイメージを自分は全部プラスのイメージに変えて、生きていきたいと思った」

 そうして再びキャンバスに向かい、完成したのが《春少女》(2012年)、坂本龍一が中心となり発行された『NO NUKES 2012 ぼくらの未来ガイドブック』の表紙にもなった作品だ(今回は実作でなくバナーを展示している)。

画像: 台湾での隔離期間中、ホテルで制作したドローイング《Tainan Quarantine Drawings》(2021年、ミクストメディア)。ひとりきりで制作できる時間があったことで、プレッシャーのない状態の心地よさに気がついた。「このまま、ホテルから出たくないとも思った」のだそう。

台湾での隔離期間中、ホテルで制作したドローイング《Tainan Quarantine Drawings》(2021年、ミクストメディア)。ひとりきりで制作できる時間があったことで、プレッシャーのない状態の心地よさに気がついた。「このまま、ホテルから出たくないとも思った」のだそう。

画像: 震災を機に母との会話から自分のルーツに関心をもった奈良。2014年にサハリン島を訪れた際の作品《サハリン》(2014年、写真、作家蔵©Yoshitomo Nara)も展示される。亡き祖父が出稼ぎに行っていたサハリン島の風景に思いを馳せながら自身が写真に収めている。

震災を機に母との会話から自分のルーツに関心をもった奈良。2014年にサハリン島を訪れた際の作品《サハリン》(2014年、写真、作家蔵©Yoshitomo Nara)も展示される。亡き祖父が出稼ぎに行っていたサハリン島の風景に思いを馳せながら自身が写真に収めている。

画像: 合計122点の作品から構成されるインスタレーション《平和の祭壇》(2023年)は奈良の40年にわたる画業の中で軸となってきた平和や人権、音楽との関係性などを多層的に見せてくれる空間。

合計122点の作品から構成されるインスタレーション《平和の祭壇》(2023年)は奈良の40年にわたる画業の中で軸となってきた平和や人権、音楽との関係性などを多層的に見せてくれる空間。

画像: 「積層の時空」セクションでは新作《Midnight Tears》(2023年、アクリル絵具・キャンバス)が静かに佇む。何層にも色を重ねていくことで輪郭を曖昧にした、吸い込まれるような深い奥行きを感じさせる作品だ。今にもこぼれ落ちそうな涙は偶然の絵の具の垂れから生まれた。ドローイングやペインティング、陶器作品として繰り返し登場する少女のモチーフから奈良作品における軸を感じ取りたい。

「積層の時空」セクションでは新作《Midnight Tears》(2023年、アクリル絵具・キャンバス)が静かに佇む。何層にも色を重ねていくことで輪郭を曖昧にした、吸い込まれるような深い奥行きを感じさせる作品だ。今にもこぼれ落ちそうな涙は偶然の絵の具の垂れから生まれた。ドローイングやペインティング、陶器作品として繰り返し登場する少女のモチーフから奈良作品における軸を感じ取りたい。

遠くへ行けば行くほど、自分の故郷に近づいていく

「小学校6年生の文集のテーマが『夢』で、同級生たちは将来なりたい職業、バスの運転手とかピアニストとかを書いていて、自分だけ『ひとりで世界一周したい』と書いた。その夢はかなったけど、美術家とかアーティスト、画家とか言われても、いまだに職業として意識したことがないんです。美
術とかサブカルチャーの世界で、社会から隔離されて部屋の中で制作している、そんなイメージで見られてきたかもしれない。でも、最近は旅をしたり、子どもたちと絵を描いたりするのが楽しい。アフガニスタンや台湾の山岳部とか、自分の美術が届いていないような国、地域でも、人間としてみな接してくれる。そこの小さなコミュニティで、美術に限らず自分ができることをやって一緒に楽しむ。日本人からもうちょっと広がって、自分はアジア人だな、という感覚も身についてきた。美術も同じで、西洋の美術と日本の美術とを分けたり混ぜたりするのは違うんじゃないか。何かもっと美術とカテゴライズされないくらい、地球を包み込んでいけるもののはず、と考え方が大きくなりますね」 

「NO WAR」をテーマにした《平和の祭壇》は1 室丸ごとのインスタレーションだ。大きな白い彫刻《台座としての「森の子」》の頭の上にはたくさんの小さな犬。絵画、ドローイング、小屋のインスタレーションなどとともに、奈良の家から持ち込んだマスコットや人形、レコードジャケット、本などが並べられている。奈良にとって反戦、非戦のメッセージはごく身近なもので、空間に共存しているさまざまなものたち、作品がそれを伝えている。
「最初は何これ可愛い、という感じで観る人も、ずっと観ていくうちに自分の興味のないものまで見えてくる、その中で僕の言いたいことが自然に伝わっていくんじゃないか。どこかでそれぞれの人の中につながるものがあるんじゃないかと思う」

画像: 第3章の「旅」のセクションは青森県立美術館ならではの土壁の重厚感を活かした。中央には粘土でつくった握りこぶし大の原型を約2メートルほどに拡大して制作したアルミニウム素材の《Peace Head》(2021年)と 《Ennui Head》(2022年)が語り合っているように設置されている。

第3章の「旅」のセクションは青森県立美術館ならではの土壁の重厚感を活かした。中央には粘土でつくった握りこぶし大の原型を約2メートルほどに拡大して制作したアルミニウム素材の《Peace Head》(2021年)と
《Ennui Head》(2022年)が語り合っているように設置されている。

画像: 《 台座としての「森の子」》(2023年、FRPにウレタン塗装)。この像の上には無数の犬が列をなす。美術輸送を手がけたヤマト運輸のスタッフが奈良とともに設営した。

《 台座としての「森の子」》(2023年、FRPにウレタン塗装)。この像の上には無数の犬が列をなす。美術輸送を手がけたヤマト運輸のスタッフが奈良とともに設営した。

画像: 日本で学生生活を送っていた1980年代。初期の代表作品ともいえる《Merry-Go-Round》 (1987年、アクリル絵具・キャンバス、個人蔵 ©Yoshitomo Nara)は20年ぶりに展示された。

日本で学生生活を送っていた1980年代。初期の代表作品ともいえる《Merry-Go-Round》
(1987年、アクリル絵具・キャンバス、個人蔵 ©Yoshitomo Nara)は20年ぶりに展示された。

ロック喫茶「33 1/3」と小さな共同体

「高校生のときに、先輩たちに誘われて一緒に造ったロック喫茶。今で言うDIYですね。もちろんずっと記憶にあったけど表に出してこなかったものを、高橋学芸員が『奈良さんの原点はそこにあるんですよ』と。そういえば、小さなコミュニティでそこに集う人たちと好きなものをつくる、という活動をずっとしてきたし、最近は特に大きな組織とか枠組みが嫌になって、その傾向が強い。それは原点に返っているんですよと言われて、確かにそうなんです。でもまさかそれを再現することになるとは思ってもみませんでした」
 同じ年代を過ごした人にはたまらなく懐かしい、初めて触れる人にも親しげに語りかけてくる空間だ。高校生の奈良にとっては「自由」を体現する場所だったのかもしれない。「君は絵がうまいから美術大学に行けば?」と言われ、進路の選択肢が開けたのもここだ。
 ところで、入り口に貼られているこの展覧会のポスターは、随分と年月を経て、まるで1970年代からそこにあるような佇まいだ。
「家に帰るところから始まって、最後にはあの小屋にたどり着くんだけど、実は、あのロック喫茶はずっと存在していて、しかもこの展覧会が終わったあとも存在しつづけていて、タイムスリップしてここにぽんと今ある。だからポスターが古くなっている。みたいな、ちょっと多重構造的、マルチバース的なことをやってみた。何かもう自分の人生が神様の手のひらの上で再現されてるような感覚ですね」

画像: 奈良が高校3年生のときに施工を手伝い、通い詰めた弘前のロック喫茶「JAIL HOUSE33 1/3」を再現した小屋。ここがなければ今の作家としての奈良は存在しなかったとも。

奈良が高校3年生のときに施工を手伝い、通い詰めた弘前のロック喫茶「JAIL HOUSE33 1/3」を再現した小屋。ここがなければ今の作家としての奈良は存在しなかったとも。

 高橋学芸員は「青森だから特別なわけではなく、ありふれた場所なんです。奈良美智というアーティストが、日本の小さな場所で自分の感性を育み、想像の翼を広げて大きな世界へ羽ばたいた。それは希望なんです」と語った。
“There is no place like home.”
 映画『オズの魔法使』に登場する、奈良の好きな言葉だ。家に、ホームに勝る場所はない。移り変わる現実において、物質としてのその場所は失われたとしても、心の中に在り続ける、と彼は言う。
 展覧会は秋から冬へ、寒い季節に観客を待っている。その凍てつく空気、雪景色も含めて、奈良美智の原点だ。彼と一緒に時間旅行をする「はじまりの場所」は、今ここにある。

『奈良美智: The Beginning Place ここから』
会期:〜2024年2 月25日(日) 
会場:青森県立美術館 青森市安田字近野185
https://www.aomori-museum.jp/

▼あわせて読みたいおすすめ記事

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.