今は亡きデザイナー、エットレ・ソットサスが 正当に評価される時代がようやくやってきたようだ。とはいえ、ソットサスの最も熱心なコレクターでさえ、彼の作品にそれほど執着しているわけではない。ソットサス自身もそれを望んでいたはずだ

BY NANCY HASS, PHOTOGRAPHS BY HENRY BOURNE, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO

画像: 建築家&デザイナー、シャルル・ザーナのグルネル通りにある18世紀の瀟洒なアパルトマン。80年代を代表するデザイナー集団「メンフィス」の中心的人物で建築家、デザイナーとして長きにわたり多方面でマルチな才能を発揮したエットレ・ソットサスの作品が生き生きと飾られている

建築家&デザイナー、シャルル・ザーナのグルネル通りにある18世紀の瀟洒なアパルトマン。80年代を代表するデザイナー集団「メンフィス」の中心的人物で建築家、デザイナーとして長きにわたり多方面でマルチな才能を発揮したエットレ・ソットサスの作品が生き生きと飾られている

 オーストリア生まれのインダストリアルデザイナー、建築家、そして博識な知識人として知られるエットレ・ソットサス。モダニズムへの反発から、ソットサスを中心にポストモダニズムを代表するデザイナー約20人とともに結成されたラディカルなデザイナー集団「メンフィス」は世界に衝撃を与えた。「メンフィス」結成から遡ること20年ほど前の1960年代初め、インド旅行中に重篤な腎炎と診断されたソットサスは、パロアルトのスタンフォード大学医療センターで治療を受けた。その治療費を支払ったのは、タイプライター「オリベッティ」の役員ロベルト・オリベッティだ(のちにソットサスは、今やオリベッティのアイコンとなったチェリーレッドのポータブル・タイプライター「バレンタイン」をデザインすることになる)。退屈な療養生活の中でのソットサスの気晴らしは、子どもの積み木遊びのように、今にも崩れそうなほど高く積み上げた錠剤をスケッチすることだった。退院してぶらりと向かったサンフランシスコで、アレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックと偶然出会ったのをきっかけに、ソットサスはカウンターカルチャー(ビートニク)の代表的作家たちとの交流を深めていく。

 こうした療養生活やビートニクの作家たちとの交流を思えば、ソットサスが1965年から作り始めた巨大なトーテムポールを思わせる非常に奇抜なオブジェのシリーズ21点が、カラフルな幻覚剤を積み上げたような、どこかサイケデリックな感じがするのもうなずける。フィレンツェの陶器メーカー「ビトッシ」が制作したソットサスのトーテムシリーズは、影響力のある美術商ジャン・エンツォ・スペローネのミラノのギャラリーで展示されたにもかかわらず、まったく買い手がつかなかった。このことは、パリを拠点に活動するデザイナーで建築家のシャルル・ザーナを大いに喜ばせたようだ。この15年間でソットサスの最も熱狂的なコレクターのひとりとなったこの体格のいいコレクターは、ふつうの人が欲しがらない作品にコレクター魂をくすぐられるらしい。「本当に素晴らしい作品に出会うと、たいていの人は最初は少し尻込みしてしまうものです」とザーナは言う。

画像: ザーナがデザインしたカーペットに置かれたクリスチャン・リアグレのダイニングテーブルでくつろぐシャルル・ザーナ

ザーナがデザインしたカーペットに置かれたクリスチャン・リアグレのダイニングテーブルでくつろぐシャルル・ザーナ

画像: モザイクタイルのエントランスホール。カンパーナ・ブラザーズのファヴェーラチェア、ソットサスの戸棚(1955年)、UFOのラーポ・ビナッツィによるパラマウント・フロアランプ(1973年)

モザイクタイルのエントランスホール。カンパーナ・ブラザーズのファヴェーラチェア、ソットサスの戸棚(1955年)、UFOのラーポ・ビナッツィによるパラマウント・フロアランプ(1973年)

 

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