今は亡きデザイナー、エットレ・ソットサスが 正当に評価される時代がようやくやってきたようだ。とはいえ、ソットサスの最も熱心なコレクターでさえ、彼の作品にそれほど執着しているわけではない。ソットサス自身もそれを望んでいたはずだ

BY NANCY HASS, PHOTOGRAPHS BY HENRY BOURNE, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO

画像: 杉本博司の写真、ザビエル・マテゴのコンソールテーブル(1957年)、ソットサスの陶器とチェア、アンドレア・ブランジの吊りランプ

杉本博司の写真、ザビエル・マテゴのコンソールテーブル(1957年)、ソットサスの陶器とチェア、アンドレア・ブランジの吊りランプ

「メンフィス」という名前は、1980年12月にメンバーが初めて顔を合わせたとき、繰り返し流れていたボブ・ディランの曲『メンフィス・ブルース・アゲイン』に由来する。原色の派手な色使いとティンカートイ(米国の組み立て玩具)のようなシルエットに象徴されるメンフィスの美学は、長い間、悪趣味なポストモダンとして退けられてきた。ところが、最近になってレディス&ジェントルマン・スタジオやベン・メダンスキーなどの若手デザイナーがメンフィスへのオマージュ的な作品を発表して、メンフィスのスタイルに対する再評価の機運が高まってきた。

一方、ザーナはメンフィスに対してやや否定的だ。ザーナによれば、80年代にカール・ラガーフェルドやデヴィッド・ボウイなどの著名人から熱烈に支持され、メンフィスにメディアの注目が集まったことで、逆にこのデザインムーブメントの本当に注目すべき点、すなわちソットサスの才能の幅の広さと複雑さが見えにくくなってしまったというのだ。60年以上にわたって活躍したエットレ・ソットサス(1917〜2007年)は、まぎれもなく20世紀を代表するデザイナーだが、建築家としての類まれなその才能は正当に評価されてこなかったとザーナは考えている。ところが、ここにきてメジャーな美術館でソットサスに対する再評価の動きが出てきはじめた。メトロポリタン美術館の分館メット・ブロイヤーでは、『Ettore Sottsass: Design Radical』(エットレ・ソットサス:デザインラディカル)と題して10月8日までソットサスの作品約170点が展示された。ザーナは「ソットサスはすべてを変えた」「アートと建築の中間に存在する、最も興味深い領域に初めて足を踏み入れた人物」だと称賛を惜しまない。

画像: リビングルーム。ソットサスが腎炎から回復して制作したオリジナルのトーテム21点のうちのひとつ(1965年)、ブランジのテーブルランプ

リビングルーム。ソットサスが腎炎から回復して制作したオリジナルのトーテム21点のうちのひとつ(1965年)、ブランジのテーブルランプ

 18世紀に建てられた、パリのグルネル通りにあるザーナのアパルトマンには、ソットサスがデザインしたトーテム3点が置かれている。釉薬で色づけした陶器で、人の背丈ほどの高さがある。ひときわ目立つユーモアあふれるトーテムは、ザーナ自身がデザインしたチェアやテーブルと並んで、ヴェルサイユ張りと呼ばれる寄木の床の上に初期のラディカルなポップアートの見張り番のように鎮座している。周りを囲むのは、アッパーミドルの暮らしを象徴するセージグリーンの装飾を施した鏡板の壁だ。1980年代にソットサスが設立したデザインスタジオ「ソットサス・アソシアティ」は、ビトッシの制作によるトーテムシリーズを次々と発表し始める。それでもオリジナルの21点のトーテムは、装飾を排して機能性を追求したモダニズムへの反発のシンボルとして今なお強い存在感を放っている。同時にこれらのトーテムには、インド最古の言語である古代ヴェーダ語の図解や、ウィーン分離派の中心メンバーで20世紀のデザイン運動に大きな影響を与えた建築家ヨーゼフ・ホフマンといった始祖的存在に対するソットサスの独特な解釈が反映されている。

パリのアパルトマンを彩る「メンフィス」のアートたち<後編>へ

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