手に触れ、その香りをかぐ。そのとき、薔薇は薔薇として、より美しく鮮烈に人の心に花開く。日本でしか作り得ない新しい花の姿を追求する実験的なファームを、初秋の琵琶湖畔に訪ねた

BY MICHIKO OTANI, PHOTOGRAPHS BY YUKO CHIBA

 その花は、いつだって特別な存在だった。
 花束の中では、常に主役。花弁は艶やかで芳醇な香りを放ち、いつも凜として上を向く、花の女王――薔薇といえば、思い浮かぶのはそんな像。女王を護まもる剣のような鋭い棘とげも、容易に触れることをためらわせる。しかし、ここに咲く花たちはどうだろう。滋賀県守山市の琵琶湖畔にある薔薇園「Rose Farm KEIJI」の温室の中、そよそよと吹くファンの微風に、無数の薔薇の花と枝、その蕾が揺れていた。

画像: 琵琶湖畔の農業地帯にある「Rose Farm KEIJI」。約5,000m²の温室と実験室を備えたオフィスは対岸に比叡山を望む

琵琶湖畔の農業地帯にある「Rose Farm KEIJI」。約5,000m²の温室と実験室を備えたオフィスは対岸に比叡山を望む

 触れてみてください、と差し出された一輪の花をおずおずと受け取る。中心に向かって渦を巻くような花の作りは、確かに薔薇だ。しかし、花弁はずっと柔らかで繊細、同じく、茎も細くきゃしゃに感じられる。こんもりと丸く愛らしい様子は、たとえるならまだ若く可憐な王女。指先に感じるかすかな棘の感触が、女王に連なる一族としての矜持を控えめに示している。

「『てまり』という品種です。萼(がく)を包むようにまん丸に咲くので、この名前をつけました。花が重いので、どうしても首が垂れてくる。うちで作っている薔薇の特徴が、この曲線なんです。香りもいいでしょう?」

画像: (写真左)ダリアのような「雅(みやび)」。奥の蕾からこの花が開く (写真右)ふかふかと弾力のあるファームの土。化学肥料は最低限にし、栄養分は土にかぶせる剪定ずみの薔薇の枝、藁、米ぬかなどの有機物を微生物が分解して生み出す

(写真左)ダリアのような「雅(みやび)」。奥の蕾からこの花が開く
(写真右)ふかふかと弾力のあるファームの土。化学肥料は最低限にし、栄養分は土にかぶせる剪定ずみの薔薇の枝、藁、米ぬかなどの有機物を微生物が分解して生み出す

 ファームの主にして薔薇の栽培家である國枝啓司さんの言葉に促され、花を顔に近づける。匂いをかぐと、穏やかな中にも澄んだ芳香が鼻孔からカラダ全体に広がった。市販の薔薇のフレグランスの、あのむせかえるような香りではなく、あくまでほのかでやさしい自然の香り。思えば、温室に足を踏み入れた瞬間から、この香りはふんわりと空間を満たしていたのだった。

 國枝さんの後について、温室の中を歩く。およそ約5,000m²の空間で栽培されるのは、國枝さんが独自に交配し生み出した薔薇の数々。「和ばら」と呼ぶ、最大で60品種の薔薇を、気温、湿度を適切に保って通年栽培している。ちょうど朝の収穫が終わったところだったが、薔薇の定番といって思い浮かべる深紅は少数で、ピンク、白、黄色、ベージュ、そして青みがかったパープルと、枝に残った花の色は実にとりどり。形状も、牡丹や芍薬のような大輪、カーネーションのようにカールした花弁をもつもの、また、蓮の花やリンドウを思わせるオリエンタルな造作のものと、バラエティに富んでいる。

画像: 数本の花がまとまって咲くスプレータイプの「てまり」は、國枝さんの和ばらの原点ともいえる品種。チュールのような繊細な花弁、なよやかに垂れて風に揺れる様子、そしてやわらかな香りと、「和ばら」の特徴と美点を余すところなく備えている

数本の花がまとまって咲くスプレータイプの「てまり」は、國枝さんの和ばらの原点ともいえる品種。チュールのような繊細な花弁、なよやかに垂れて風に揺れる様子、そしてやわらかな香りと、「和ばら」の特徴と美点を余すところなく備えている

「和の花という意味もありますが、和ばらの“和”は、調和の和というのがいちばんしっくりきますね。色のグラデーションを大事にして作っているので、たとえ形状が違っても、同じ系統の色で束ねてブーケにすると、きちんと調和する。そういう薔薇を作っています」

 創業者である亡父が薔薇栽培を始めたのは、1965年。少年時代から京都の市場へ付き従って通ったという國枝さんは、長じて兄とともに就農し、切り花の生産に励んだ。ヨーロッパで育種、交配の技術に触れて興味を抱き、独立したのは2003年。それからはもっぱら新品種の開発、生産に注力している。「私は長男ではないので、後継者というよりは家業を手伝うというかたちでこの仕事に入りました。しかし、続けていればいるほど、やはり自分の居場所がなかなか見つけられないと感じていて......。この仕事で自分の特色を出す方法が何かないだろうか? と考えたとき、当時はまだ日本で少数だった品種改良をやってみようと思い立ったんです」

画像: 可能性を秘めた種が育まれる育種テントの中

可能性を秘めた種が育まれる育種テントの中

 確かに、國枝さんの作る薔薇は、薔薇のイメージに納まりきらないほど個性的だ。いわく、「薔薇らしくない薔薇」。なかには、交配や成長の過程で別の色の斑点が花弁に表れた突然変異種もある。花の形状や状態、長さなどに至るまで厳格な規格のある一般の花市場では、「まず取り扱われない。絶対にはねられます」と國枝さん。しかし、その個性を尊重し、育てた一輪一輪が人を惹きつけ、じわじわとファンを増やしているのだ。

「一般的に薔薇は気持ちを高ぶらせる花という印象があると思いますが、うちの花は、逆に、“癒やしの薔薇”だと。疲れて仕事から帰ったとき、一輪でも咲いていれば、それを眺めるだけで癒やされるという声を、よくいただきます。もちろん私も、最初は生産性などを重視して品種改良をしていました。でも、多くのほかの花が薔薇を目指して品種改良をしている中、だったら逆に薔薇らしくない薔薇を作りたいと思った。もうずっと、自分の好きな薔薇しか作っていません。はっきり言って、趣味の園芸です」

画像: (写真左)「本当は自分の名をつけようと思っていた」と國枝さんが言う「シャルロット・ペリアン」は、フランスの建築デザイナーの没後20年を記念した花。形状、大きさ、香りの三拍子が揃った、現時点での最高傑作と胸を張る (写真右)「プリンセス・マサコ」は、天皇、皇后両陛下のご成婚時に献上した薔薇。シャンパンゴールドの花弁と華やかな香りを持つこの花を、雅子さま自らが選ばれたという

(写真左)「本当は自分の名をつけようと思っていた」と國枝さんが言う「シャルロット・ペリアン」は、フランスの建築デザイナーの没後20年を記念した花。形状、大きさ、香りの三拍子が揃った、現時点での最高傑作と胸を張る
(写真右)「プリンセス・マサコ」は、天皇、皇后両陛下のご成婚時に献上した薔薇。シャンパンゴールドの花弁と華やかな香りを持つこの花を、雅子さま自らが選ばれたという

 美しく個性的に咲くだけでなく、和ばらは市場に出てからの花もちのよさにも定評がある。その秘密は、その生い立ちに起因するようだ。國枝さんの持っているもうひとつの温室は、おもに新たな種を生み出す育種のための農場。交配と品種改良の最前線であるそこは、伸び放題に伸びた葉や茎、蔓が絡まっていて、一見、荒野のようだった。

「水も肥料もほとんど与えません。ほったらかしの、過酷な環境です。でも、こういう場所に置かれることで、薔薇は子孫を残そうと必死になって種を残す。ここでできた種から生まれた薔薇は病気に強く、もちもよくなります。薔薇は自分で考える。そのことを大事にしたいんです。過保護に肥育するのではなく、自分の力で生きようとする、そういう薔薇を作りたい。栄養がなければ、自分で根を伸ばしていけるような」

画像: (写真左)ピンクの薔薇の中に現れた突然変異種 (写真右)花が散ったあとの花房。成熟し、ここに種が宿る

(写真左)ピンクの薔薇の中に現れた突然変異種
(写真右)花が散ったあとの花房。成熟し、ここに種が宿る

 温室の一隅で一輪、凜と咲く花があった。「これから親になる薔薇。名前はありません」と國枝さん。名もない薔薇から、独自の名と個性をもつ薔薇が生まれる。美しく強靭な花の姿に、ふと、人間の一生を思った。

画像: 啓司さん(右)と健一さん(左)。新しい薔薇を育て、それを広める親子のリレーは続く

啓司さん(右)と健一さん(左)。新しい薔薇を育て、それを広める親子のリレーは続く

 和ばらの魅力のひとつとなっているのが、物語性豊かな名前。この名を國枝さんとともに考えているのが2006年からファームに参加している長男の健一さんだ。たとえば、コスモス秋桜のように風に揺れる薔薇を作りたいと父が生み出した品種に、健一さんがつけた名前は「かぜたちぬ」。花を揺らした風に香りが乗り、遠くまで運ばれていく様子をイメージしたという。

「父の名付けは、わりと第一印象から。僕は言葉の由来を調べたり、その花のうつろい方だったりを意識しながらつけています。でも、けっこう苦心していて、1年前に誕生したのにまだ『新品種』という仮の名前しかついていないものもあるんです」

画像: すでに栽培が始まった「新品種2」

すでに栽培が始まった「新品種2」

 大学までサッカーに打ち込み、卒業後は会社員をして「薔薇なんて絶対やらへん、と思っていた」と笑う健一さん。その思いが変化したのは、やはり父と同じく、自分の行く道を探す過程でのことだった。

「若いときに留学を経験したこともあって、いずれは自分も海外で何かしたいと思っていた。でもそのためには何かしら自分特有のものがなければならない、それが何なのかと......。もうひとつは、自分にとっては幼い頃から当たり前に身近なものだった薔薇が、人に贈るとすごく喜ばれるものだと知ったこと。生産者には、花を受け取る人の表情が全然見えていないんですね」

 市場にない新しい薔薇を、父は作る。ならば、その価値と花のある生活の豊かさを伝えるのが、自分にできること。健一さんはそうして、薔薇に触れることを目的としたカフェの経営や食品などの商品開発、イべントの開催やファッションブランドとのコラボレーションなど、新たな活動を模索し実行に移している。根底にあるのは、「すべての答えは農場にある」という信念。自ら考え、身の内の力で生きる薔薇の、自然なあり方を伝えることに注力している。

画像: 守山駅前の「WABARA Café」 店内には至るところに薔薇に触れる仕掛けがあり、「薔薇を気軽に生活に取り入れてほしい」と健一さん。今年秋にはファーム内へ移転する予定 滋賀県守山市勝部1-13-1-101 TEL. 07(7596)3070 営業時間:11:00〜20:00 定休日:月・火曜(祝日の場合は営業)

守山駅前の「WABARA Café」
店内には至るところに薔薇に触れる仕掛けがあり、「薔薇を気軽に生活に取り入れてほしい」と健一さん。今年秋にはファーム内へ移転する予定
滋賀県守山市勝部1-13-1-101
TEL. 07(7596)3070
営業時間:11:00〜20:00
定休日:月・火曜(祝日の場合は営業)

画像: (写真左)食用の薔薇を茶葉やシロップなどに加工し、スイーツほかさまざまなメニューを展開。ダマスクローズが香る「WABARA ジェラート」¥650 (写真右)ファームの薔薇をプールに浮かべてすくう「和ばらすくい」は、夏のカフェで人気

(写真左)食用の薔薇を茶葉やシロップなどに加工し、スイーツほかさまざまなメニューを展開。ダマスクローズが香る「WABARA ジェラート」¥650
(写真右)ファームの薔薇をプールに浮かべてすくう「和ばらすくい」は、夏のカフェで人気

「父と同じように、あるときから規格というものを捨てたんです。『まったく同じ薔薇なんて、ない』と。それに、規格がないほうが絶対に面白い。ディスプレイをするときも『こう見せたい』という作為は加えず、自然に咲いたままの姿を見てもらうし、ブーケにするときも手に取った感覚で束ねてもらえればと思っています。ひと口に薔薇といっても、色も香りも咲き方も日々、瞬間瞬間うつろっていく。変化することが自然な、命あるものの表現なんだということを大事にして、流行ではない、自分たちがいいと思う価値観をしっかり示していきたいんです」

 最近、自然科学分野の研究者だった健一さんの弟が加わり、「和ばら」から作る新しいプロダクトの開発も進んでいる。いずれは、産地訪問を県の観光拠点にしたいという目標も生まれた。薔薇と同様に、それを生み出す人の心やあり方も日々変化し、いつか思いがけない形で花開く。ふと、薔薇に触れた指の匂いをかぐと、姿はもうない薔薇の香りが、確かにそこに宿っていた。

なよやかなのに、芯がある。個性的な「癒やしの薔薇」

画像: (写真左) 美咲 姿の美しさから名づけられた「美咲」は、ダマスクローズの香りをもつ自慢の品種 (写真右) 葵~(風雅)~ 青みがかったミステリアスな色合いが魅力の「葵」にはいくつかの派生種があり、なかでも「風雅」は蓮の花のような東洋的な美を感じさせ、人気が高い。ちなみに「葵」は、息子・健一さんの長男の名をとって國枝さんが命名。「孫の名前の薔薇をすべて作る」との宣言どおり、これまで4人の孫すべての名を薔薇につけている

(写真左)
美咲
姿の美しさから名づけられた「美咲」は、ダマスクローズの香りをもつ自慢の品種
(写真右)
葵~(風雅)~
青みがかったミステリアスな色合いが魅力の「葵」にはいくつかの派生種があり、なかでも「風雅」は蓮の花のような東洋的な美を感じさせ、人気が高い。ちなみに「葵」は、息子・健一さんの長男の名をとって國枝さんが命名。「孫の名前の薔薇をすべて作る」との宣言どおり、これまで4人の孫すべての名を薔薇につけている

画像: (写真左) 風月 ふっくらとした形が愛らしい「風月」は、「友禅」から派生した斑入りの突然変異種。斑の入り方は一輪一輪異なり、ふたつとして同じ模様の薔薇は生まれない (写真右) かなた 個性派揃いの「和ばら」の中でも特に異彩を放つ形状の「かなた」。「誰もが心の内面に別の面をもっている。『あなた』ではない『彼方』、そんなものを感じさせる花」として、健一さんが命名した

(写真左)
風月
ふっくらとした形が愛らしい「風月」は、「友禅」から派生した斑入りの突然変異種。斑の入り方は一輪一輪異なり、ふたつとして同じ模様の薔薇は生まれない
(写真右)
かなた
個性派揃いの「和ばら」の中でも特に異彩を放つ形状の「かなた」。「誰もが心の内面に別の面をもっている。『あなた』ではない『彼方』、そんなものを感じさせる花」として、健一さんが命名した

画像: (写真左) かぜたちぬ 風に揺れて、匂い立つ。文学的な名前の通りに、豊かなイメージをかきたてる佇まい (写真右) 一心 「一心」は2010年、東京・杉並の小学校で行ったワークショップ型の花の授業で、児童たちとともにつけた名。それぞれに違う人の心を花が一つにするという子どもたちの命名のストーリーに、参加した健一さんは深く胸を打たれたという

(写真左)
かぜたちぬ
風に揺れて、匂い立つ。文学的な名前の通りに、豊かなイメージをかきたてる佇まい
(写真右)
一心
「一心」は2010年、東京・杉並の小学校で行ったワークショップ型の花の授業で、児童たちとともにつけた名。それぞれに違う人の心を花が一つにするという子どもたちの命名のストーリーに、参加した健一さんは深く胸を打たれたという

画像: (写真左) 結(ゆい) (写真右) わたぼうし ミルクティーのような甘い香りの「結」と、ふんわりと重なった花弁が柔和な「わたぼうし」は、ともにブライダルシーンで人気の高い品種。可憐な「結」はウェディングドレスを、ふんわりと清楚な「わたぼうし」は和装の花嫁を想起させる

(写真左)
結(ゆい)
(写真右)
わたぼうし
ミルクティーのような甘い香りの「結」と、ふんわりと重なった花弁が柔和な「わたぼうし」は、ともにブライダルシーンで人気の高い品種。可憐な「結」はウェディングドレスを、ふんわりと清楚な「わたぼうし」は和装の花嫁を想起させる

Rose Farm KEIJI
住所:滋賀県守山市杉江町1465
TEL. 07(7585)1133
公式サイト

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