クリエイティブなエネルギーの中心地へと成長中のメキシコの都市グアダラハラでは、1世紀前にルイス・バラガンから始まった建築デザインの伝統が発展し、宗教にインスパイアされた瞑想的な居住空間の新風が吹いている

BY MICHAEL SNYDER, PHOTOGRAPHS BY ANTHONY COTSIFAS, TRANSLATED BY NHK G-MEDIA

 1980年代になると、タパティオ派の実践者の活動は停滞期に入った。彼らは「バラガンに対する神秘主義的で宗教的な愛情」に圧倒されてしまったのだと64歳の建築家セルジオ・オルティスは言う。バラガン自身は、長年にわたってメキシコシティで“光と影と色彩の詩人”としての人格を確立しており、初期の地方主義的な作品は脇に追いやられていた。

 1986年、バラガンがこの世を去る2年前に、オルティスはイエズス会が運営するWestern Institute of Technology and Higher Education(西部工科高等教育大学/ITESO)の教授陣に加わった。この大学の建築学部は1970年代初めからディアス・モラレスの教育方法を採用していた。「死んで化石になった地方主義」にいら立ちを感じていたオルティスは、建築学の理論と実践を教える従来のカリキュラムに、哲学、詩、現代美術などの要素を取り入れた。

 それ以来、グアダラハラ郊外のコロニア・セアットレ(知的エリートに人気の丸石で舗装された住宅街)に1992年に建てられたオルティスの自宅と、その近くにある2008年に完成したスタジオは、新世代のタパティオ派の建築家の道標となってきた。約340m²の邸宅は、居住できる抽象芸術のような作品で、白い面で構成された浮遊する多面体のような建物のところどころに四角形や半円形の窓が開いている。

 スタジオでは、オルティスはファサードに漆喰を用いる代わりに、ハリスコの田園地帯から調達した自然石という素朴な材料を積み重ね、そこに約198cm×580cmの窓を開けて、約120m²の建物の垂直性を強調した。玄関のドアを開けると、細い鋼鉄の梁の列に支えられた高さ3m近くの天井の下に、焦げた石炭のような色の火山岩の床が広がっている。外から見ると穀物の貯蔵庫のようだが、中に入ると繭(まゆ)に潜り込んだような気分になるこの建物は、秘密を隠しているだけではなく――オルティス自身のように不遜な態度で――人を騙している。しかし彼は、透明性を重視するモダニストに挑戦するというよりは、愛情を込めて揶揄(やゆ)したようだ。

画像: 2008年に完成した建築家セルジオ・オルティスのスタジオのエントランス部分。ざらざらした漆喰壁、鋼鉄製の窓、火山岩の床、シダー材の木工製品 PHOTO ON WALL: MANUEL ÁLVAREZ BRAVO, “EL ENSUEÑO” (“THE DAYDREAM”), 1931, PERMISSION COURTESY OF ARCHIVO MANUEL ÁLVAREZ BRAVO, S.C./ASOCIACIÓN MANUEL ÁLVAREZ BRAVO, A.C. AND ROSEGALLERY

2008年に完成した建築家セルジオ・オルティスのスタジオのエントランス部分。ざらざらした漆喰壁、鋼鉄製の窓、火山岩の床、シダー材の木工製品
PHOTO ON WALL: MANUEL ÁLVAREZ BRAVO, “EL ENSUEÑO” (“THE DAYDREAM”), 1931, PERMISSION COURTESY OF ARCHIVO MANUEL ÁLVAREZ BRAVO, S.C./ASOCIACIÓN MANUEL ÁLVAREZ BRAVO, A.C. AND ROSEGALLERY

 1990年代末から世に送り出されたITESOの卒業生たち――「才気あふれる世代」とオルティスは彼らを呼ぶ――は、タパティオ派を再び外に向かわせ、1世紀前からの代々の先駆者たちから影響を受けながらも、自由な活動を続けた。そのような建築家の中で特筆に値するひとりは、2006年にアトリエ・アルスを創設したアレハンドロ・ゲレーロだ。彼の妻で2011年にパートナーとしてアトリエに加わった33歳のアンドレア・ソトは、バラガンの最大の特徴は、境界線を使って空間を生み出したことだと考えている。

 彼女とゲレーロは、〈7つのパティオがある家〉と命名された約390m²の自宅についても同様のアプローチをとった。この家もコロニア・セアットレにあり、1980年代に建てられた牧場主の家のような平凡な煉瓦造りの住居を彼らが2011年に改装したものだ。二人の建築家は、元の約300m²の建物をなるべく生かしながら、青々と茂った亜熱帯植物の庭園へと広がるガラスと鋼鉄の別棟を増設した。建物の横には、90cmほどしか離れていない2枚の白い漆喰壁に挟まれ、長い鉄板を折って形にした急な階段がある。息が詰まりそうなほど窮屈な階段を上ると、視線を上に向けることを強いられる。上りきったところには、ガラスのない窓があり、空を四角く切り取っている。このシュールな階段から、隣の敷地との境界線を示すシダ類が生い茂った煉瓦造りのフェンスまで、家全体が手近なものの寄せ集めでつくったブリコラージュのように見える。

「現代建築では、さまざまな要素をそぎ取って抽象的なものをつくります」とゲレーロは言う。しかし、そのような要素をあえて取り入れることによって、「歴史とつながることができる」と彼は考えている。

画像: 2011年に改装された〈7つのパティオがある家〉では、アレハンドロ・ゲレーロとアンドレア・ソトが設計した別棟のポルティコ(屋根つきポーチ)をトネリコの木が貫いている

2011年に改装された〈7つのパティオがある家〉では、アレハンドロ・ゲレーロとアンドレア・ソトが設計した別棟のポルティコ(屋根つきポーチ)をトネリコの木が貫いている

 同じくITESOの卒業生でゲレーロとほぼ同世代のサルバドール・マシアス・コロナ(43歳)とマギー・ペレド・アレナス(41歳)は、別の手法で彼らが暮らす都市の歴史と結びつきをもっている。一見したところ、二人の作品からは、先祖とのつながりは感じられない。漆喰やスタッコ(これらの仕上げにセメントと砂を混ぜたものは、グアダラハラでは「握り」や「水差し」を意味するスペイン語に由来する「エンハーレ(enjarre)」と呼ばれる)で外壁を覆う代わりに、マシアスとペレドは、メキシコシティの同業者たちのように外壁の煉瓦やコンクリートをむき出しにすることが多い。この二人の建築家は、ユカタン半島やポルトガル北部など、タパティオの感性と共鳴していると彼らが感じる土地だけでなく、日本の職人の技術や、「建築が生活基盤のようになっている」とペレドが言うサンパウロのモニュメンタリズム(記念碑的な造形)などにも目を向けている。

 これらすべての伝統が、彼らが最近完成させた〈Casa GZJZ〉にも影響を与えている。その外面の大部分は煉瓦に覆われている。だが、4人家族のために建てられたこの邸宅は、間違いなくタパティオのものでもある――煉瓦のひとつひとつを砂色のセメントに浸し、産業用の資材に職人技の仕上げを加えてあるのだ。階段の厚板は、淡いピンクのスタッコで仕上げた頑丈なブラケット(持ち送り)に両側から挟まれている。階段が2階から約600m²もある1階部分に下りてくる姿は、ギャラリーの中央にある巨大な彫刻のようだ。外から見ると、二つの直方体の上の傾斜した屋根の輪郭線は、「穀物倉庫か、洗練された牧場主の家」に見えるとマシアスは言う。アレハンドロ・ゾーンが設計した市場と同じで、ありふれた材料でつくられた建物に魔法が吹き込まれているのだ。

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