12月の東京・歌舞伎座では、女形の大役「阿古屋」を二人の若手俳優とトリプルキャストでつとめ、年が明ければシネマ歌舞伎の公開も控える。歌舞伎俳優・坂東玉三郎が、作品について、芸について、今の思いを語る

BY MARI SHIMIZU

 類まれな美貌と華のある存在感、そして確かな演技力。坂東玉三郎はまぎれもなく歌舞伎界を代表する女形(女性の役を演じる俳優)だ。

 その玉三郎が主役をつとめる注目の舞台が、今月から来年にかけて、生の舞台と映像で立て続けに観られる。歌舞伎座で上演中の「十二月大歌舞伎」夜の部の『壇浦兜軍記 阿古屋』と、2019年1月12日より各地で公開されるシネマ歌舞伎『沓手鳥孤城落月/楊貴妃』だ。このふたつの舞台に託す思いを玉三郎に取材した。そしてそこから浮かびあがったキーワードは伝統と革新だった。

芸の伝承
『壇浦兜軍記 阿古屋(だんのうらかぶとぐんき あこや)』は極めて芸術性の高い作品だ。
 まず目を引くのは、豪奢な衣裳を身に纏い優雅な物腰でタイトルロールの阿古屋を演じる女形の圧倒的な美しさ。耳を愉しませるのは、その姿で演奏する三種の弦楽器の繊細な音色。そして、時に唄いながら奏でられる曲の詞章からは高雅な文学の香りが立ち上る。五感の刺激が知性と心に共鳴したとき、劇空間はえも言われぬ至上の歓びで満たされていく。

 だがそれも、阿古屋という至難の役を演じきるだけの技量を備えた俳優あってこそ、到達できる境地だ。そして1997年以来、阿古屋を何度も演じ続けている稀有な存在が玉三郎なのである。

画像: 『壇浦兜軍記 阿古屋』遊君阿古屋=坂東玉三郎 PHOTOGRAPH BY KISHIN SHINOYAMA

『壇浦兜軍記 阿古屋』遊君阿古屋=坂東玉三郎
PHOTOGRAPH BY KISHIN SHINOYAMA

 物語の背景となっているのは源平の争い。傾城の阿古屋は、平家の残党・平景清の恋人であった。景清の行方を詮議する場に引き出された阿古屋は、琴、三味線、胡弓の演奏を命じられる。恋人の居どころを知らないという阿古屋の言葉に偽りがないか、演奏する楽器の音色で判断しようというのである。
「現実にはあり得ないことですが、そこがこの芝居の独特なところです。そして阿古屋は琴を演奏しながら景清の名を歌詞に織り込んで、知らないと応えます。そういうことが即座にできる知性ある女性なのです」

 さらに三味線では謡曲『班女』の、胡弓では謡曲『望月』の一節を演奏。琴、三味線、胡弓という、それぞれに趣の異なる楽器の調べに、阿古屋の内なる思いが投影される。それにじっと耳を傾けた詮議役の重忠は、阿古屋の言葉に偽りがないと判断する。
「その音色に、重忠ははかなさと虚無を感じとったのでしょう。これほど凝った趣向の作品も珍しいのではないでしょうか」

 そうした作品世界を深く理解した上で、傾城としての華と品格を体現し、恋しい相手を思う女心と情をこまやかに見せることができなければ、阿古屋の役はつとまらない。
「恋人の景清をひたすら思い楽器を奏でる。曲をただ聴かせるのではなく、常に阿古屋という人物であり続け、その心を曲に込めなければなりません。そこにこの役の何よりの難しさがあります。技術、体力、精神力が必要とされる役なのです」

画像: 坂東玉三郎 歌舞伎俳優。美貌、演技力、華を備えた現代歌舞伎屈指の女形。 1957年に初舞台を踏む。’64 年に十四代目守田勘弥の養子となり、五代目坂東玉三郎を襲名。『桜姫東文章』の桜姫、『助六由縁江戸桜』の揚巻、『伽羅先代萩』の政岡、『壇浦兜軍記』の阿古屋など当たり役は多い。海外での評価も高く、フランス芸術文化勲章最高賞コマンドゥールを受章。また2012 年には、重要無形文化財(人間国宝)認定された。 PHOTOGRAPH BY TAKASHI OKAMOTO

坂東玉三郎
歌舞伎俳優。美貌、演技力、華を備えた現代歌舞伎屈指の女形。 1957年に初舞台を踏む。’64 年に十四代目守田勘弥の養子となり、五代目坂東玉三郎を襲名。『桜姫東文章』の桜姫、『助六由縁江戸桜』の揚巻、『伽羅先代萩』の政岡、『壇浦兜軍記』の阿古屋など当たり役は多い。海外での評価も高く、フランス芸術文化勲章最高賞コマンドゥールを受章。また2012 年には、重要無形文化財(人間国宝)認定された。
PHOTOGRAPH BY TAKASHI OKAMOTO

 玉三郎が演じる以前は、名優とうたわれた六世中村歌右衛門(2001年没)の独壇場だった。玉三郎はその歌右衛門から役を受け継いだ唯一の存在なのだ。
「成駒屋さん(歌右衛門の屋号)は『弾きすぎないでね』とおっしゃっていました。演奏に夢中になってしまうと、阿古屋の心がおろそかになり、演技に気を取られると演奏が乱れます。このふたつを同時に成立し続けられるようになるには時間がかかるのです」

 実感のこもった静かな語り口に、阿古屋として舞台で生き抜いてきた時間がしのばれる。あの絢爛たる衣裳や鬘、そして楽器までもが今や身体の一部であるかのような玉三郎であるが、そこに至るまでには託された者にしかわからない孤高の努力があったのだ。

 この12月、歌舞伎座で上演中の舞台は、玉三郎と中村梅枝、中村児太郎のトリプルキャストとなっている。若い二人の抜擢は玉三郎の推挙あってのことだ。
「梅枝さんと児太郎さんが楽器の稽古をしていることを耳にし、それならと思ったのです」。
そこには「自分が立って動けるうちに」という思いがあった。というのも、玉三郎が歌右衛門に芸を伝授された時、名優の体調は万全ではなかったのだ。もし歌右衛門に緊急事態が発生すれば、芸の伝承が途絶えていたかもしれないのである。
「教えていただいたことを次世代に託す。伝承の積み重ねによって歌舞伎は成り立ってきたのです」

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