BY MARI SHIMIZU, PHOTOGRAPHS BY SHINSUKE SATO
2020年8月1日、歌舞伎座は新型コロナウィルス感染拡大予防のため中止していた公演を5カ月ぶりに再開した。松本幸四郎さんが出演したのは第四部の『与話情浮名横櫛』。舞台から客席後方にまっすぐに伸びる花道の奥で待機する幸四郎さんが、開演を待つ間に目にしたのは「異様な光景」だった。
「お客様は一様にじっと黙って幕が開くのを静かに待っていらして、まったく誰の声も聞こえませんでした。リスクを覚悟してそんな極度の緊張を強いられながらも、いらしてくださったことを何よりありがたく思いました」
幕が開くと、客席を半分以下に制限しているにもかかわらず割れんばかりの拍手。それは第一声を発する俳優がそのタイミングを逸するほど鳴りやまなかった。「本当にうれしかったです。そして芝居ができる環境を整えてくださった関係者の方々への感謝の気持ちでいっぱいになりました」
歌舞伎座の舞台に立つのは、3月半ばに動画配信のために行われた一日限りの無観客上演以来のこと。「その幕が閉まった時、明日の舞台はないという現実に驚愕しました。役者は役を与えていただかないことには何もできません。絶望にも近い無力感に襲われ、この先どうなるのだろう、再び開けられる日がくるのだろうかと思うと、しばらくは何も考えることができませんでした」
空虚な時を過ごすうちに湧き上がってきたのは、「このまま何もしなかったら歌舞伎はなくなってしまうかもしれない」という焦り。「今できること」を「早くしなければならない」という思いは動画配信という形で実を結ぶ。
まず、5月末に立て続けに2本を公開。自宅で歌舞伎の化粧をする様子を自撮りした『歌舞伎ましょう』と、尾上松也さんとのオンライン・トークを生配信した『歌舞伎家話』だ。そして、6月27日からは『図夢歌舞伎』と銘打ち、土曜日の午前11時から5週にわたって『忠臣蔵』を上演し生配信したのだ。ベースとなっているのは古典の大作『仮名手本忠臣蔵』、それを映像で体感する歌舞伎として昇華させたのである。
幸四郎さんは主要キャスト6役を演じ分けた上、顔をみせることのない着ぐるみの猪までやってのけ、予め撮影した別の役を演じる自分とも共演した。「3密を避けるためカメラ1台につき登場人物はひとり。同じセットを別室にふたつ用意して離れたとこにいる共演者とは、モニター越しに動きを確認しながら演技をするという現場でした」
塩冶判官が高師直に斬りつけるシーンでは、師直に扮した幸四郎さんがカメラ目線で憎々しく相手をなじり、視聴者は判官がそこで目にした光景と憤りを疑似体験できるという効果が生まれた。劇場では間近にみることができない象徴的な小道具のアップはドラマに奥行を与え、単なる劇場中継では味わえない映像だからこそのアプローチが随所に施されていた。
そんななかでひらめいたのが、亡き名優との共演だ。『七段目 祇園一力茶屋の場』で祖父の初代松本白鸚と共演したのである。「祖父の映像が残っていたからできたことです。これによって、今はご存命でない方も出演者のひとりになれるという道が拓けました」
動画配信による歌舞伎は、生の舞台と両立する形で今後も進化発展をしていくだろうと予測する幸四郎さん。こだわりは「いつもの歌舞伎座のお芝居を観ていただく」ことにあるという。「作品世界を映像用にアレンジするのではなく、声の出し方や立ち居振る舞いなどの演技法、大道具、小道具、衣裳、様々なしかけや演出など、伝統として伝わっている歌舞伎の素晴らしさを、画面を通してどう効果的にお見せしていくかということです」