“カレン”といえば、米国で1960年代に人気を博した名前だ。それが今、口やかましく好戦的、危険ですらある白人女性の代名詞に。米国社会が抱える人種差別と女性蔑視の問題において、“カレン”の変貌を通じて見えてくるものと、逆に曖昧にされてしまうものはなにか?

BY LIGAYA MISHAN, ARTWORK BY CARMEN WINANT, TRANSLATED BY MAKIKO HARAGA

 言葉には、亡霊のようなものがつきまとう。どんなに語源からかけ離れた意味をもつようになっても、古い意味を宿し続ける。それはまるで、完全削除を逃れた暗号の破片や、地上に出る瞬間を待ちながら土の中で潜伏し続けるセミの幼虫みたいだ。

 過去数年のあいだに、“カレン”は風紀委員を自ら買って出て世間を闊歩するタイプの、干渉好きで高圧的な態度をとる白人女性を意味するようになった。彼女たちは自分の社会的地位は安泰であると思っているため、権限をもつ人物や機関を呼び出すこともいとわない。責任者との直談判を要求したり、警察に通報したりする。だが、あまりにも些細なことを問題視するし、まったくの作り話をしては、それを犯罪だと言い張ることも少なくない。

では、なぜ“カレン”という名前がこういう女性を揶揄(やゆ)するために使われるようになったかというと、根拠もなく恣意的にこの名前があてがわれたとも言い切れない。より保守的で古い時代の米国の遺物であるカレンという名は、そんなにポピュラーな名前ではなかったが、1941年に一躍脚光を浴び、この年に生まれた女の子の名前ランキングで上から20位内に入ると、その後30年にわたって上位に君臨し続けた(人気絶頂だった1965年は、不動の人気を誇るメアリーとリサに次ぐ3位。つまり、現在、カレンたちの大半が50代半ばということになる)。カレンはあまりにもありふれた名前になり、個性を感じさせず、常識的であるということの象徴になり、「ごく普通の女の子」という安心感を醸し出した。だが、その人気はやがて下火になり、2020年にはすでに世界恐慌前のレベルにまで落ち込んだ。そんななか今度は、嘲笑をこめた言葉として盛んに用いられるようになったのである。

画像: 本記事掲載の3つのコラージュ《White Women Look Away》(2021)は、オハイオ州コロンバスを拠点に活動するアーティストのカーメン・ワイナントが、この記事のために制作した作品で、2016年に発表した同名の連作に続くもの。連作はその年の大統領選、および1991年の公聴会で「ヒル先生の証言が白人女性の支持を得られなかった」ことに対する思いを表現するために制作したという(訳注:黒人の女性法学者であるアニタ・ヒルは1991年、最高裁判所の判事に任命される直前だった元上司をセクシュアルハラスメントで訴えた。長期にわたる審議のすえ、元上司は僅差で判事に任命された)。「第二波フェミニズムが私の制作のメインテーマ」とワイナントは言う。「ムーブメントが目指したもの、秘めていた可能性、抱えていた問題、そのすべてです」 CARMEN WINANT, “WHITE WOMEN LOOK AWAY,” 2021, FOUND IMAGES ON PAPER, COURTESY OF THE ARTIST AND FORTNIGHT INSTITUTE

本記事掲載の3つのコラージュ《White Women Look Away》(2021)は、オハイオ州コロンバスを拠点に活動するアーティストのカーメン・ワイナントが、この記事のために制作した作品で、2016年に発表した同名の連作に続くもの。連作はその年の大統領選、および1991年の公聴会で「ヒル先生の証言が白人女性の支持を得られなかった」ことに対する思いを表現するために制作したという(訳注:黒人の女性法学者であるアニタ・ヒルは1991年、最高裁判所の判事に任命される直前だった元上司をセクシュアルハラスメントで訴えた。長期にわたる審議のすえ、元上司は僅差で判事に任命された)。「第二波フェミニズムが私の制作のメインテーマ」とワイナントは言う。「ムーブメントが目指したもの、秘めていた可能性、抱えていた問題、そのすべてです」
CARMEN WINANT, “WHITE WOMEN LOOK AWAY,” 2021, FOUND IMAGES ON PAPER, COURTESY OF THE ARTIST AND FORTNIGHT INSTITUTE

 カレンが米国文化に浸透するはるか前、この名前はデンマークで「キャサリン」の短縮形として使われていた。キャサリンにはさまざまな由来があるとされ(ただし、人名学者たちは確証を得ていない)、そのひとつが“純粋、清潔、潔白”を意味するギリシャ語の「カタロス」だ。ギリシャ神話に登場する魔術の女神・ヘカテが由来という説もある。犬を引き連れたヘカテは、十字路や境界や墓場など、移動や変化を伴う場所をつかさどる。このようなルーツは、はたして現代の“カレン”に受け継がれているのだろうか? 確かに、彼女たちは自分こそが純粋・潔白の守護神だという自負をもっている。米国が白人中心社会から多文化社会へと変容しつつある時代において、さまざまな境界線に目を光らせ、秩序を乱すものを見つけるとそれらを糾弾するのだ。

 こうした“カレン”たちの行動は、非白人――とりわけ黒人の人々――と向かい合う場面において、危険な兆候を示しがちだ。ソーシャルメディア(SNS)に投稿された数々の動画は、彼女たちが不審者を通報する様子を伝えているが、通報されたのは次のような人々だ。サンフランシスコの歩道で飲料水を売っていた8歳の黒人の女の子、ブルックリンの食料品店に居合わせたときにバックパックが白人女性にぶつかった、9歳の黒人の男の子(この女性は「痴漢行為をされた」と警察に訴えた)、自分のアパートメントがある建物に入っていくセントルイスの黒人男性(3件とも2018年の投稿)、アトランタで宅配会社UPSの制服を着て配達中の黒人男性(2019年)、ニューヨークのセントラルパークで鳥を観察していた黒人男性、ノースカロライナ州ウィリアムストンで、家族と滞在中のホテルのプールで泳いでいた黒人の子どもたち(いずれも2020年)など。

 こうなると、“カレン”は正真正銘の邪悪なキャラクターであると、決めつけたくなる。あたかも、善良な人々を引きずりおろして食い物にするために、獲物を寝て待つ魔女――現代に生きるヘカテの手先――であるかのように。これまでの米国の歴史をひもといても、ひとりの白人女性の告発が、ひとりの黒人市民の人生を破滅させるのに十分な威力を発揮する時代が長く続いた。それは、1955年にミシシッピ州で起きた凄惨なリンチ事件を振り返ればわかる。当時14歳だったエメット・ティルは、ふたりの白人男性によって殺害された。白人女性のキャロリン・ブライアントが、ティルに口笛を吹かれたと主張したからだ。ジャーナリストのデイモン・ヤングは“カレン”というネーミングについて、昨年『The Root』でこう書いている。あまりにも“可愛い子ぶった”感じがして、残虐な行為には見合わない軽薄さが漂い、まるで「人の死をミーム(訳注:ネットで拡散される面白いコンテンツ)にしているみたいだ」。

 一方で、現代の“カレン”を語るエピソードには、ある変化が見られる。カギとなるのは「罪なき人を不当に通報しておきながら、“カレン”にはお咎とがめなしとはいかない」という世間のモラルだ。彼女たちはそういつもうまく逃げ切れるとは限らなくなったのだ。“カレン”がもつ唯一の武器は言葉であるが、その言葉にはかつてのような威力はない。自分の言い分を通すためには「本物の支配力」をもつ人々に頼るしかないのだ。だが彼らはもう、味方についてくれなくなった。現場に駆けつけた警官が、“カレン”に同調するとは限らない。これまでは、こうした状況で警官が悪者になりがちだったが、近頃の警官は、バーベキューをしていた黒人男性は単にバーベキューを楽しんでいただけであり、家の壁にステンシルで「Black Lives Matter」と描いたフィリピン人男性は、実際にその家の住人であることを理解している。つまり、真実が勝るようになってきたのだ。2018年、ある緊急通報に応じたオペレーターは、カリフォルニア州オークランドの公園で複数の黒人男性がバーベキューをしていると通報してきた女性の、あまりにも激しい口調に困惑した。その女性が精神疾患を抱えているのではないかと問い合わせ、「通報者は5150に該当するようだ」と警察に忠告した。“5150”とは、自分自身や他人に対して危害を加える恐れがあるため、本人が拒んでも精神医療施設に最長72時間滞在させることを指す。

 警官が黒人の市民に暴力をふるう現場を記録した数々の動画が出てきたことは、悲劇である。それに対して、白人女性が罪なき人を貶おとしめるような“カレン動画”が拡散したことは勝利である。陰湿な(時に致命的な)差別が日常的に行われていることを裏づける証拠が世に示されただけではなく、まさにこうした差別的行為が立証されたからだ。告発者は信用に値しない語り手であることが暴露され、その目的を達成することなく力を奪われ、軽蔑の的として見世物にされる。彼女たちは職を失うことさえある(これについては、人種差別に関する世間の総意よりも、雇用主の一方的な権利行使のほうが問題になりそうなものだが)。こうなるとたいていの“カレン”は姿をくらまし、SNSのアカウントを削除し、再び発信することはない(少なくとも、退屈に耐えられない世間の人々の関心がほかの動画に向くようになるまでは)。

 ネットに投稿され、何百万回も再生された“カレン動画”は、「人種差別をした人はきっちり処罰されねば」という希望が現実になったというある種の幻想を人々に抱かせている。これは、マイノリティの人々に限ったことではない。ひときわ声高に“カレン”を糾弾する白人のあいだにも、こうした幻想が広がっているのだ。恐らく彼らは、自身が“カレン”の共犯者ではないか、彼女たちと同様の行為に及ぶのではないかと勘繰られそうな一切のことから、距離を置こうとしているのだろう。さらに言うならば、人種差別はほんの一部の人たち――ヒステリーぎみで精神的に不安定な状態にあり、些細なことを騒ぎ立てるタイプ――がやらかすことであり、画面をフリックすれば消えてしまう問題だというのが、白人の人々が抱いている幻想である。

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