BY ASAKO KANNO
前回までの「入門までのいきさつ(1)(2)」で、2021年7月の煎茶道美風流との出会いを記させていただきましたが、正式に入門させていただいたのは、それから1年後の2022年7月、つい最近のことです。
え、1年後?と不思議に思われるかもしれません。実際、当時の私は、すぐにでも奈良に伺いたいと、アクセル全開でかなり前のめり。お家元とお会いできそうな8月の候補日まで取りつけて、小躍りせんばかりの気分でした。しかしながら、時は東京オリンピック開幕の直前。しかも東京は緊急事態宣言中でした。どこまで感染者が激増するのか予測もつかない状況で、東京より2桁も感染者数が少ない奈良に伺うのは、さすがに申し訳なく…。泣く泣く延期させていただくことに。
入門までの1年間、何をしていたかといえば、月1回開催の文人趣味WEBサロンの参加に加え、お家元にオンラインで水墨画の個人レッスンをしていただいたり。また、毎年秋に開催される、「臥遊展」という、お家元とお弟子さんたちの水墨画の展覧会を観に、京都の萬福寺を訪問。その際、ようやくお家元はじめ、水墨画教室でお世話になったお弟子さんと、対面でのご挨拶もかないました。いつも「お点前や設えのお稽古をしてみたいな」とは思っていたものの、東京は待てど暮らせど自粛ムードが終わらず、旅をするのもはばかれる雰囲気。その夢はなかなかかなわずのままでした。
そんななか、ついに入門へ至る大きなきっかけがありました。それは、東京が珍しく、緊急事態宣言も蔓延防止措置の対策も解除されていた、2022年ゴールデンウィーク直前。奈良の「瑞徳舎」で開催された、お家元と、「健一自然農園」代表・伊川健一さん主催による「茶摘みの会」に参加させていただく機会に恵まれたのです。
伊川さんは、お家元のお弟子さんであり、また自然茶師・茶農家として、農薬・肥料を一切使用せず、自然農法でお茶を栽培、製茶、販売。茶業界の若きホープです。WEB文人趣味サロンでも、たびたび伊川さんの希少なお茶を送ってくださいますが、初めて飲んだ時はあまりの美味しさにびっくり。以来、健一自然農園のHPで販売されているお茶をお取り寄せしているほどでした。
茶摘みが行われた「瑞徳舎」は大和高原に位置します。このエリアは茶栽培の歴史が日本一古いといわれる場所のひとつです。806年に弘法大師が唐から茶の種子を持ち帰り、この奈良の大地に植えさせたのが始まりとか。代々続いてきたものの、高齢化により継ぐ方がいなくなってしまった茶農園をお家元と伊川さんが引き継ぎ、長き歴史を未来へつなぐべく、広大な茶園と敷地内にかまえる100年越えの古民家を「瑞徳舎」と命名し、新たな命を吹きこんだのでした。物語のある茶農園で初開催されるという新茶の茶摘み会だけでも魅力的ですが、そのあと茶席が設けられれ、自分たちで製茶したお茶を、お家元のお点前で味わうことができるという素晴らしいプログラムです。
このイベントにどうしても参加したかったのは、初体験の茶摘みももちろんですが、実は、私には最大のミッションがあったのです。それは、「“煎茶道”のお茶の味が知りたい」ということ。読まれている方は、またびっくりしていることでしょう。はい、驚かれるのも、その通り。煎茶道熱に浮かされて9ヶ月経過した時点でも、煎茶道の点前や作法をともなう茶道としてのお茶を飲んだことが一度もなかったのです。もちろん“美風流のお茶の味”も知る術もありません。探せば、コロナ禍でも煎茶を飲ませていただける機会やイベントもあったのかもしれませんが、人生初の一煎目が、他の流派のお茶というのも気乗りせず。
月1回の文人趣味WEBサロンで送ってくださる希少なお茶は、今まで飲んだこともないほど美味しいものばかりで大満足ではありましたが、正解の煎茶道の味わいを知らないこの身。書籍やGoogle検索によると、煎茶道のお道具はおままごとのように小さく、お茶は「ごく少量の、トロッとした濃い茶味を味わう」らしい。喉の渇きを潤すために、グビグビ飲むお茶ではないそうです。文献から妄想していただけの煎茶の味がついにベールを脱ぐときがやってきました。私にとっての一大イベント到来です。
さて、お茶摘み会の当日。天気にも恵まれ、鳥のさえずりをバックミュージックにおこなわれた初めてのお茶摘みは、想像以上に楽しい時間でした。無農薬、無肥料の新芽を摘みながら、お家元とお話をする機会もありました。文人趣味WEBサロンでご披露くださった、レイ・チャールズ「Georgia on My Mind」のソウルフルな歌声。インスタで拝見するプロ顔負けのコース料理。お家元はいったい何者なのか? そんな答え合わせをすべく質問してみると、なんと「元々はミュージシャンで、その後はレストランのオーナーシェフをしていたんです。でも、今も、これまでとそんなに違うことをしている感覚はないんですよ」とのこと。なんと。こんなに才能豊かで、興味深い人生を歩むお家元が、日本にいるでしょうか? やはり、すごい方だと再認識。
その後、続く会話のなかで、ある驚愕の事実が判明しました。お点前によるお茶の味が楽しみすぎて、事前にさりげなく、今まで自分が淹れてきたお茶の味の答えあわせをしてみたのです。「WEB文人趣味サロンで送って頂く茶葉の量に対して、お湯の量の目安はどのくらいですか?」。そんな私の質問に対して、お家元から返ってきた答えに、安堵する私。「ああ、よかったです。180CCですね。(いつも200CCくらい入れてるけど、まあ、許容範囲かな(心の声))」。すると、家元から驚きの返答が。「え? いえいえ多くても、80CCですね」。なんと、先ほど180 CCと聞こえたのは、私の空耳だったのです。あんなに美味しい美味しいと飲んでいたお茶を、皆はさらに異次元の美味しさで飲んでいたとは! 膝から崩れ落ちるような衝撃とはこのことです。
お茶とともにお送りいただく資料に、適正温度は記されていましたが、お湯の量は示されていませんでした。今思えば、煎茶道を嗜む方であれば普通は、〝茶葉の量がこのくらいだからお湯はこのくらい″と反射的にわかるのでしょうね。妄想煎茶道で9ヶ月生きていた私は、イメージ先行で、自宅の一番小さいと思われる茶碗に入れて飲んではいましたが、手持ちの普通サイズの急須に、じゃばじゃばお湯を入れていたのですから、茶碗が小さくても関係のない話。恐るべき、無知と思い込みでした。
さて、そんな大きな動揺を経てから口にした、初めての美風流のお茶の味は?
まず、「こんなお茶は飲んだことがない」としかいいようがありません。まろやかで、やさしい茶葉の旨味がふわっと広がります。大地の豊かな風味と、風が吹き抜けるようなピュアな味。なにか、遠く刻まれた記憶のなかの風景がフラッシュバックするような。五感が刺激される美味しさなのでした。自分が飲んでいたお茶は、「美風流」ではなく、もはや「ド素人流」であった悲しき現実にもしかと向き合いました。そろそろ、コロナ禍でのライフスタイルも次のステージに入りつつあるように見えます。「自分で美味しいお茶をいれられるようになりたい。やはり煎茶道美風流にすぐ弟子入りして、お稽古をつけていただきたい」。そう強く思ったのでした。
私には、かねがね、壮大で、図々しすぎる希望がありました。「もしどこかの流派に入門することがあるならば、直接お家元からじかに学びたい」。もちろん、素晴らしき流派に属する、経験豊かな先生方から学ばせていただけるのは身にあまる幸せ。けれども、流派の教えを学ぶとき、湧き出る源流をじかに見てみたいと思ってしまうのは、知りたがりの私の性格なのでしょうか。そして、文人趣味WEBサロンに参加させていただいて思うことが、もうひとつ。「煎茶道の楚となる文人趣味の世界をもっと学んでみたい。それを知って淹れるお茶と、知らぬまま淹れるお茶の味は違うのでは?」と。売茶翁(ばいさおう)、陶淵明(とう えんめい)、白居易(はく きょい)などなど、今まで聞いたこともない、茶文化を築きあげてきた人物たちの思想や詩を学び、人生の真の豊かさを考える。それは、なぞなぞだらけの精神的世界であり、外国語を学ぶかのような意味不明な言葉のオンパレードでもあります。おぼろげに理解できる点と点は、知識がなさすぎて線にはつながってくれないのに、興味がつのる未知の世界でもあります。
煎茶美風流のお茶をはじめて体験し、いろいろ考えること2か月。ついに意を決して、お家元に、直接お稽古をつけていただくことが可能なものかご相談を申し上げました。その時、お家元からいただけたご返事がとてもうれしかったことは今もよく覚えています。わからないことだらけで飛び込んだ入門後、お家元がじきじきにお稽古をつけてくださることはなかなかないことだとも知り、武者震いする日々であります。
区民センターの掲示板から始まった、煎茶道の師匠探し。ついに、1年越しに実ることとなりました。1か月に一度、奈良の本部でお稽古をつけていただくたびに、素晴らしい流派との出会いに感謝する今日この頃です。
菅野麻子 ファッション・ディレクター
20代のほとんどをイタリアとイギリスで過ごす。帰国後、数誌のファッション誌でディレクターを務めたのち、独立し、現在はモード誌、カタログなどで活躍。「イタリアを第2の故郷のように思っていましたが、その後インドに夢中になり、南インドに家を借りるまでに。インドも第3の故郷となりました。今は奈良への通い路が大変楽しく、第4の故郷となりそうです」