BY MOMO MITSUNO
私はホテルが好きだ。たいていの旅はホテルを選ぶことから始める。ホテルの空気感は、その旅の根幹を決め、ひいては旅の質を決める大切なポイント。掃除、食事、スタッフのマナーなどとは別にもう一つ、私にとって外せないキーワードがある。それは“叙情”ということだ。どんな高級ホテルでも叙情がない場所は好きではない。叙情とは何か、それは、人の心をうたわせることである。
ハノイのホテル、ソフィテル・メトロポールが好きなのはホテル全体が情緒にあふれ、他のホテルにはない、うたが流れているような気がするからだ。
私は2011年から2016年まで夫の赴任先であるベトナムと日本の間を行き来していた。ハノイのノイバイ空港に降り立った時、日本にはもう姿も形もない人間の切実と言っていい悲しみや切なさや、そしてそのようなものに裏打ちされた優しさを感じたのだった。
夕暮れ時に飛行機はハノイに着く。空港から市内に入るとたちまち喧騒が襲ってくる。歌謡曲やベトナム・ポップスなどが大音量で流され、道幅をはみ出るほどの数のスクーターが運転手を振り落としそうになりながらアクロバティックな運転で目の前を爆走して行く。
ホテルに荷物を置いた後、軽装となり馴染みのご飯屋さんへ行く。ベトナムの食事の匂いが空腹に耐えた私にはどんなご馳走よりも美味しいものに感じられる。私は安いブンチャーという麺料理が好きで、良くそれを頼んだ。ブンチャーというのは炭火焼きした豚肉をブンという春雨のような麺と一緒に甘辛いタレに絡めて食べる料理だ。草のような色々な生の香菜を薬味として手掴みでどんぶりに投げ入れる。美味しいものをたらふく食べていっぱいになったお腹を気にしながら、ホテルに向かって歩いて行くと、塀に黄色い街灯の光が当たっていた。驚くことに、その黄色味ががった街灯の色が、パリの街のそれにそっくりだった。パリに行くと何故か人はセンチメンタルになる。それはこの黄色い電灯の色が冬でも暖かな人恋しさを呼び覚ますからだ。ハノイは街全体が暗い。だから尚更その街灯の明かりが人々に深い陰影を与えているのだろう。
フランスがベトナムを植民地としたのは1884年。だからハノイには植民地時代の建物がそのまま残されている。ソフィテル・メトロポールもそんな建物のひとつで、足を一歩踏み入れるとたちまちにして、そこは百年の物語の舞台となる。