BY MOMO MITSUNO
その街にはカーテン屋さんがなかった。
ええっ、どうしてどうして???
カーテンは、インテリアの中でも、一番と言っていいほど大切なものの一つだ。それがなくては家のなかが丸見えになってしまう。
東京で使っていた大きい幅の布をいくつか持ってきたが、やはり丈が足りない。しかし、こちらの窓に合わせてオーダーするとなると、かなり時間がかかるだろう。それだけがまんできるだろうか。
今から35年ほど前の北イタリアの街、ミラノ。そこはおよそ、イタリアの明るく派手なイメージとは違い、少しくすんだ黄色とグレーの古い石造りの建物が立ち並び、ドイツぽくもあり、ウィーンぽくもあり、霧の朝は、哀愁を含んだ情景が目の前に静かに広がっていくのだった(もちろんそんな朝に、エスプレッソを一気に飲み干し、プラダのヒールでガンガン歩いて行く女性も、ミラノらしい風景だが)。
翌日、勇気を出して隣家のマダムに片言のイタリア語で訊いてみた。
「ああ、カーテンが欲しいのね。この近くだったら、あのビルの二階にあるわよ」
行ってみるとそこは、看板も.ネオンサインもない、ごく普通の会社のようにみえた。カーテンが欲しいんです。どこにありますか? そういうと、店員の女の子はにこやかに笑って、奥の部屋に案内してくれた。そこには、昔の洋裁店のような、白衣を着た店員さんたちがテキパキと働いていたが、出来合いのものはなかった。
客は、ほとんどの人が、欲しい布に合わせる小さい見本の「スワッチ」を手に持っていた。
なるほどこうやって買うのね。色も素材も寸法もそして好みも、窓にぴったり合うものを探し出しす。
もうすっかり日が落ちようとしていた。道端から見上げるミラノの家は、どの家もまず照明が美しい。日暮れの頃、間接照明に照らされた壁に写る芝居小屋の、影絵のようなシルエット。
日が落ちて、すべてが群青色に沈んでゆくパラッツオ(邸宅)や、すべての窓に明かりがともった時の、どこか控えめな壮麗さは、初めて目にするものだった。
それにしても、みんなどこで買い物するのだろう。スーパーはあるにはある。でも、まったくおいしそうではない。そんな話を隣家のマダム、ロザリーナにしてみると、「そうか、簡単にわからないのも当然よね」と言い、近所のお店ツアーに連れて行ってくれることになった。
ファンシーなものを売っている店や、百均のような店は見当たらなかった。肉屋、魚屋、パン屋、八百屋、ピザ屋、そしてエスプレッソ立ち飲み専門のバールの数に驚き、靴やバッグの直し屋さんが立ち並ぶ通りにまたびっくりし、最後にカーテン生地の店を再訪した。
「カーテンはね、人の視線を隠すものじゃないのよ。家の中で、布のテクスチャーを楽しんだり、風に揺れる布の道を楽しむものなのよ」
そうか。カーテンは、外に属した領域なんだな。
「ほら、見て。この古い石の壁とこの麻の布、ざっくりした重量感とちょっと褪せたようなアンティークの黄色がよくあって、素敵でしょう?」
お買い物ツアーの最後は、銀器屋さんだった。それこそ日本で見たことがない、大きなものは大皿やスープチューリンまで、そして小物は燭台や、ごく小さなペンダントヘッドまで、あらゆるタイプのものが並んでいた。
長い髪を解き、ネルとレースでできた純白の寝間着を身に着け、三角帽子のようなかたちをした蝋燭消しのついた銀の燭台を持って、館の回廊を歩く少女。そんな姫たちの姿を思い描きながら、きっとあと100年経ってもこの街の住人の美意識は、変わらないだろう、と思った。その頑固さと歴史の重み。わたしはただ、圧倒されるばかりだった。