BY KANA ENDO
日本、韓国、中国からの移民家族が抱える問題から、セルフラブを描いたダークコメディ『BEEF/ビーフ』
第95回アカデミー賞作品賞を受賞した『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』や6月にアメリカで公開が予定されている話題作『Past Lives』(原題)などを手掛けるスタジオ、A24の十八番ともいえるアジア人をフィーチャーした作品。
韓国系アメリカ人のダニ―・チョウは、水漏れから配線まで何でも請け負う工事業者。モーテルの経営に失敗し韓国に帰ってしまった両親をアメリカに連れ戻すことを目標にしているが、事業はいつも崖っぷち。弟とも喧嘩ばかりで、何をやってもうまくいかず、人生を悲観していた。
一方、観葉植物のショップ経営で成功したエイミー・ラウは、中国とベトナムにルーツをもつアメリカ人。自らデザインを手掛けたお洒落な一軒家に住み、優しい日系人の夫と幼い娘とともに何不自由なく暮らしているように見えたが、多忙を極め、疲労と不安を抱えていた。そんな2人の駐車場での小さなトラブルが、あおり運転へと発展し、互いに怒りを爆発させ暴走。家族や生活を巻き込んだ嫌がらせ合戦に発展し、人生を狂わせていく。
タイトルの“BEEF”という言葉には、牛肉という意味のほかに、不満や文句、抗争などの意味があるという。クラクションを鳴らされ一瞬イラッとしたとしても、すぐ忘れてしまうような些細な出来事なのに、ストレスがマックスの極限状態であった二人は激しい抗争を始めてしまう。これほどまでのバトルに発展してしまうことが、序盤は理解出来なかったが、徐々にダニーとエイミーの抱える根深い問題が詳らかになっていく。
本作は、周到なメイクやスタイリングの力も借りながら、従来のステレオタイプな在米アジア人としてではなく、現代に生きるアジア系アメリカ人が直面している女性の社会進出や、アジア人ならではの家族問題などをリアルに展開していく。エイミーの部下である白人のミアが、日系ではないエイミーに「ごめんなさい」と日本語で話しかけるのも、在米アジア人が日常的に体験するマイクロアグレッションのひとつだろう。
またエイミーの夫は日系人で、才能はないがアーティストとして活動する良家のお坊ちゃん。品が良くて優しいが、エイミーは日常生活でも夜の生活でも物足りないと感じていて、つまらないと言ってしまう。日本人男性がそのように思われているのかと新鮮に感じた。日本人役を日本人俳優が演じていないことは少し残念だが、韓国系俳優の層の厚さには驚く。ちなみにInternet Movie Databaseによるとエピソード毎に異なるタイトルバックのドローイングは、アイザック役のデヴィッド・チョ―によるものだそう。
最終話の解釈は人によってさまざまあると思うが、筆者はセルフラブについて描いていると感じた。一見正反対に見えるダニーとエイミーは実は自分自身を投影した存在で、相手を受け入れることは、自分自身を愛することに繋がる。猛スピード展開していくはちゃめちゃコメディだが、笑いの中に登場人物それぞれが抱える苦痛が垣間見え、性別に関係なく心に響くものがある作品だ。
悲しみを受け入れ前を向くことを、トキシック・ファンダムをテーマに描く新感覚スリラー『キラー・ビー』
黒人女性シンガー、ナイジャの熱狂的ファンであるドレ。生活の中心には常にナイジャがいて、姉のマリッサとナイジャのコンサートに行くことを夢見ていた。ある日、ドレの身に悲劇が起こることで、ナイジャへの憧れに拍車がかかり、ますます彼女に傾倒していく。インターネット上のファンコミュニティに入り浸り、ナイジャのことを悪く言う人々を見つけると、現実世界であらゆる手段を使って攻撃を企て、手に負えないほどエスカレートしていく。
本作はドラマ『アトランタ』のドナルド・グローヴァーと『ウォッチメン』のジャニーン・ネイバーズが共同で製作総指揮を務めた。ドナルド・グローヴァーは映画・ドラマプロデューサー、俳優、コメディアンとしても活動する傍ら、チャイルディッシュ・ガンビーノ名義でラッパーとしても活動するアメリカエンタメ界のスター。ビリー・アイリッシュがカルト集団のリーダー役で俳優デビューを果たし、マイケル・ジャクソンの娘、パリス・ジャクソンがホールジーという役名のストリッパーを演じ(実在するホールジーは白人の母と黒人の父をもつシンガー)、オバマ元大統領の娘、マリアが5話の脚本を共同制作するという、ストーリー以外にも語りどころ満載の作品だ。
冒頭で「本作品はフィクションではない 実在の人物や事件との類似性は意図的なものである」とあるように、劇中で起こる出来事は、実際の事件や、インターネット上の噂を元に作られており、劇中に出てくるシンガー、ナイジャは“クイーンビー”こと、ビヨンセであると思われる。ビヨンセのファンダム「BeyHive(蜂の巣)」に対し、ナイジャのファンダムは原題でもある「Swarm(蜂の群れ)」と名付けられており、6話では突如モキュメンタリーが差し込まれるなど、作品構成も従来のドラマと一線を画す。
本作は、“推し”への愛情が強すぎるあまり、ふとしたことをきっかけに暴走し、差別的な書き込みや脅迫事件などを引き起こす「トキシック・ファンダム」について描かれているように見えるが、ドレが常軌を逸した行動をとるようになるには理由がある。ドレの推しはナイジャであり姉のマリッサでもある。その最愛の姉の死を受け入れることができず、辛い現実から目を背け、SNSのファンコミュニティの中でだけ生き始める。自分の抱える問題に向き合わず、現実逃避を繰り返すことは、電車の中や食事中などについSNSをのぞいてしまう自分自身にも当てはまる気がしてゾッとした。
また、この作品を鑑賞した時に思い浮かんだのは、トランプ元大統領の支持者が連邦議会を襲撃した事件だ。あまりにカリスマ的な人物の登場は分断や孤立を生んでしまうこともある。ストーリーは暴力的で暗然としており、鑑賞後すっきりする作品ではないが、黒人女性が一人で生きていくことの辛さや、事件を起こす人は必ず悲しい幼少期を過ごしているという勝手な決めつけなど、さまざまな事柄について考えを巡らせるきっかけになる作品だ。
ゲームのように手に汗握る展開のビジネスコメディ『テトリス』
ビデオゲームのセールスマンであったヘンク・ロジャースは、ラスベガスの見本市でテトリスに出会う。大ヒットを予感したヘンクは、このゲームの家庭用ゲーム機での販売権を手に入れようと交渉を始める。しかし、怪しげな仲介業者やライバル会社が立ちはだかり遅々として交渉は進まず、業を煮やしたヘンクは、開発元である冷戦真っ只中のソ連に危険を顧みず渡る。共産主義であるソ連との交渉は困難を極め、命をも危険に晒すことになる。
「テトリス」は1993年から2020年まで史上最も売れたゲームで、ゲームファンでない人にもその名を広く知られているソフトだ。“テトリス エフェクト”という、長時間ゲームに没頭したものが夢の中や目を閉じた際に現れることを表した造語も生み出すほど、世界中の人々を魅了した。本作はその「テトリス」販売のドラマティックな舞台裏を描いた作品だ。事実を元に作られているが、随所で脚色されており、手に汗握るエンタメ作品に仕上がっている。
「テトリス」は任天堂の携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」の発売時に「スーパーマリオランド」と並んで大きな貢献をしたソフト。ゆえ、任天堂とは切っても切り離せない関係で、当時の社長である山内元社長も劇中に登場するが、これがかなり本人に似ており、ゲームファンの心を鷲掴みにしている。またヘンクが「ニンテンドー・オブ・アメリカ」に赴いた際、発売前のゲームボーイに出会うシーンは、初期ゲームボーイで遊んだことのある人々にとっては感動的なシーンとなるだろう。
ほかにも、メディア王のロバート・マクスウェル(エプスタイン事件の共謀者とされているギレーヌ・マクスウェルの父)、ソ連共産党書記長のミハイル・ゴルバチョフ(こちらもかなり似ている)などが登場し、ストーリーを盛り上げる。権利関係がかなり複雑なので多少混乱するかもしれないが、細かいことはあまり気にせずとも楽しめる作品だ。崩壊直前のソ連の危うさと資本主義との騙し合いに手に汗握り、ハンクと開発者アレクセイの間に育まれた友情に心が温まる。鑑賞後は「テトリス」がプレイしたくなること請け合いだ。
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