BY CHIKO ISHII
齋藤美衣
『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』
〈二〇二三年八月二三日の午後五時頃、気がついたらわたしは自宅の寝室で数名の警察官に取り囲まれていた〉という一文で、『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』は始まる。著者の齋藤美衣は歌人だ。その日、自殺未遂をして精神科病院に措置入院させられた齋藤さんは、自らの半生をふりかえりながら、「死にたい」という気持ちが毎日やってくる理由を解き明かしていく。
読み終わったあと、茫然とした。なんだろう、この本は。ひとりの女性の闘病記のようで、自伝のようで、そのどちらにもおさまらない。エミリ・ディキンスンの「脳は空より広い」という詩を想起した。空よりも広く、海よりも深い「自分」を旅した記録だ。
本書は二部構成になっている。「Ⅰ部 世界の接点」は、閉鎖病棟での入院生活と、そこにいたるまでの出来事が綴られている。14歳の春に急性骨髄性白血病を患い、世界とつながる唯一の手段として短歌を作るようになったこと。19歳のときに摂食障害を発症し、断続的に精神科病院に通うようになったこと。20代の終わり頃から、人を殺して自分の家の庭に埋めたことを思い出すという夢を繰り返し見るようになったこと。2022年に自閉症スペクトラムの診断を受けたこと。さまざまな体験を通して、齋藤さんは〈五感に関わる部分で他の人とは違う世界の認識をしている〉という自分の特性を発見する。
わたしは齋藤さんのように命にかかわる難病ではなかったし、おそらく定型発達だと思うが、生まれつき斜頸だった。斜頸は筋肉の収縮によって、頭や首、肩などが不自然な姿勢になってしまう病気だ。わたしの場合、左側に首が傾いていた。11歳のときに矯正手術を受けたが、それ以前の写真を見ると必ず首をかしげて写っている。側弯症もあったからか、まっすぐ立つことすらできなかった。手術後しばらくは、特殊な装具をつけて学校に通った。斜めの世界で生きていた頃の不安感、ほかの子と違う苦しさが、齋藤さんの言葉に触れることによってよみがえった。思い出すことには痛みがともなうけれども、不思議と嫌ではない。実はわたしにもこんなことがあってね、と本に対して打ち明け話をしたような心地がするからだろう。
「Ⅱ部 穿ちつづける」ではいよいよ、希死念慮の原因を追究する。齋藤さんによれば、「死にたい」は自分の内部にあるのではなく、外からやってくるものだ。〈まず、大きさのイメージとしては柴犬くらい。全体が黒くて楕円みたいなシルエットで、境界線はもやもやぼんやりしている。手足はないのに、「死にたい」は刃渡り長い包丁を持っていて、わたしの脇腹をゆっくり刺してくる。そして黒くてぼんやりした体をわたしに押しつけてくる〉という。描写が具体的で恐ろしい。
どんなときに「死にたい」が来るのか吟味していくうちに、自分の内側から小さな声が聞こえてくる。その声をつぶさに聞きとって、文章にすることで、齋藤さんは夢の中で〈庭に埋めたもの〉の正体にたどりつくのだ。社会になんとか適応しようとして〈庭に埋めたもの〉を、「死にたい」から逃れて生きるために掘り起こす。その作業がどんなに苦しくても、考えて書き続ける。理由をつきとめたからといって、問題が解決するわけではない。しかし、齋藤さんはうれしいこと、楽しいことにも目を向けられるようになる。
庭に埋めたものを掘り起こし、自分と出会い直す旅の過程で、「謝ること」「許すこと」を再定義するくだりに、今までに味わったことのない解放感があった。思考をあきらめない人だけが、苦しみの果てにある扉をひらくことができるのだ。
歌集『世界を信じる』
『世界を信じる』は、齋藤さんの初めての歌集。中学時代に作った一首と、2007年から2024年までの作品を収めている。
1ページ目に〈「社長さん」呼ばれて会釈を三度する輪郭うすきわたしの影が〉という歌があって驚く。齋藤さんが夫と一緒にやっていた仕事を辞めたことは『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』に書かれているが、まさか社長だったとは。生きることにあれほどの困難を抱えている人と、会社経営が結びつかなかった。自分のなかにある偏見を思い知らされた。
「あとがき」によれば、齋藤さんは30歳のときに「抱っこ紐の会社」を起業したらしい。商品の検品や問い合わせ、従業員の欠勤、経理にまつわる短歌もあって、〈社長さん〉の担う業務の幅広さが垣間見える。働きながら家事や子育てに追われる日々の悲しみも喜びも浮かび上がる。
〈なかぞらに舞うレジ袋 ふくらんだしろいおなかにわたしを容れて〉〈わたくしは夜であるかな内側をゆつくりとほる水がつめたい〉〈われがまだ産むなら楽器、明け方の空の遠までカノンひびかせ〉など、自分を静かに見つめる歌が印象深い。
柴崎友香
『あらゆることは今起こる』
『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』は、医学書院の「ケアをひらく」というシリーズの1冊だ。2000年に創刊され、2024年12月現在で49冊が発行されていているのだが、今年刊行されたこのシリーズで、ぜひ手にとってほしいのが柴崎友香の『あらゆることは今起こる』。
齋藤さんと柴崎さんには、子どもの頃からずっと困っていることがあって、大人になって発達障害と診断されたという共通点がある。2冊あわせて読むと、人によって症状も、感じ方も異なるということがよくわかる。齋藤さんは言葉を羅針盤にして自分の体験世界を旅するが、柴崎さんは言葉で自分の体験世界を測量して「地図」を作っていく感じだ。
柴崎さんはさまざまな資料を読み、他人の話を聴き、自分の置かれている現状を観察して、「どの部分が」「なぜ」難しいのかを考える。「地味に困っていること」「ワーキングメモリ、箱またはかばん」「『迷子』ってどういう状況?」といった項目について考察したあとに、いくつもの「余談」をくっつける書き方がユニークだ。柴崎さんの忙しい頭のなか、マトリョーシカのように次々と出てくる面白いエピソードに魅了されてしまう。体内に複数の時間が流れている感覚をガルシア=マルケスの小説を例に挙げて語っているくだりも目を瞠った。
困りごとの解像度を上げていっても、必ずしも対処方法が見つかるとはかぎらない。かえってつらくなることもある。ただ、柴崎さんの歩いた道のりを一緒に歩くことで、世界の見え方は少し変わる。「おわりに」にある、この言葉をおぼえておきたい。
〈こないだはこうしてみたけど、次はこうしてみよか、ぐらいの感じで日々生きていけたらなあ、と思う。私も、私じゃない人も〉。
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