BY CHIKO ISHII
『楽園の夕べ ルシア・ベルリン作品集』
表紙に写っている、釣り竿らしきものを持った女性。振り向いて、微笑んでいる。目の光が強い。著者のルシア・ベルリンだ。1936年11月12日、アラスカ生まれ。20代のころから小説を書き始め、76の短編を遺して2004年の誕生日に亡くなった。生前はほとんど知られていなかったが、没後10年以上経って再評価された。日本でも岸本佐知子が翻訳を手がけ、多くの読者の心をつかんでいる。
『楽園の夕べ』は、『掃除婦のための手引き書』『すべての月、すべての年』に続く短編集。ルシア・ベルリンの小説は、オートフィクション(自伝的虚構)だ。3度結婚して3度離婚したこと、職を転々としながら4人の子供を育てたこと、アルコール依存症だったことなど、自らが体験した出来事を材料にして、実際にはなかったことも書いている。同じ出来事を種にしていても、話によって異なる色の花がひらく。
たとえば「オルゴールつき化粧ボックス」は、テキサス州エルパソの祖父母の家で暮らした少女時代の話だ。シリア人の女の子ホープが登場する。「沈黙」という短編(『掃除婦のための手引き書』収録)にも出てくるホープは、〈家は地獄、学校も地獄〉だったせいで、長いあいだ口をきかなかった〈わたし〉にとって、初めてできた本当の友だちだった。「沈黙」のなかでいちばんの思い出として語られるエピソードが、7歳のときホープと一緒にオルゴールつき化粧ボックスが当たるカードくじを売ったことだ。その商売はふたりの友情が終わるきっかけにもなるけれど、「オルゴールつき化粧ボックス」ではいちばんの思い出のいちばん幸せな部分をクローズアップしている。
ブロンドの髪が伸びほうだいで〈大きな黄色い回転草〉みたいな〈わたし〉と、〈黒々と重たげな髪〉のホープは、カードを売りさばく。儲けたお金でローラースケートや食べものを買って空き地に行くと、ぽわぽわした雑草が一面に紫色の花をつけていて、草の根元に落ちたガラスの破片が、日の光でいろんな濃淡のラベンダー色に染まっている。〈夕方のちょうどそれくらいの時刻になると、太陽の角度のせいで、光が地面から、紫の花の奥から射してくるように見えた。アメジストみたいに〉というくだりがいい。大好きな友だちと心躍る冒険を成し遂げたからこそ見えた風景が色彩豊かに描かれている。
その後の展開は思いがけない。ふたりの関係の結末は決まっているはずなのに。かけがえのない記憶を違う角度で語ることによって、地面から光射す新しい世界が生まれ、少女たちは境界を越えて未知の領域へ向かう。
やはりホープと過ごした濃密な時間を切り取った「夏のどこかで」、14歳の少女がチリの富豪の農園に滞在する「アンダード――あるゴシック・ロマンス」、主人公がチリを出てニューメキシコ州の大学に行くために旅をする「旅程表」、南米育ちのアメリカ人大学生が才能あるモラハラ夫と結婚する「リード通り、アルバカーキ」。ルシア・ベルリンの自伝的な要素が、どの短編にも含まれている。
親戚一同が集合したパーティの日に屋根に上ったまま下りてこない女性を語り手にした「聖夜、テキサス 一九五六年」も、第二子を妊娠中に夫に逃げられた〈わたし〉の視点で同じパーティを描いた「虎に噛まれて」(『すべての月、すべての年』収録)をあわせて読めば、「リード通り、アルバカーキ」の続きの話であることがわかる。
「日干しレンガのブリキ屋根の家」の風変わりな隣人と夜気に漂う薔薇の芳香、「霧の日」の裏返しになった〈WORLD〉のネオンサイン、「桜の花咲くころ」の噴水と郵便屋さん、「楽園の夕べ」のメキシコのリゾート地とエリザベス・テイラー、「幻の船」の月明かりや星あかりを浴びて銀色に輝くダチュラの花……。初めて海を見る老女が出てくる「新月」まで、悲痛だったり過酷だったり滑稽だったりする人生の断片が吹き寄せられた22編。すべてに、忘れがたい光景がある。すごい。
いしいしんじ
『マリアさま』
いしいしんじの『マリアさま』も、短い文章のなかに忘れられないシーンがある。青年がからだからどんどん土がわいてくる奇病を患う「土」、主人公が急行列車で隣の席に座った〈短編小説〉と会話する「窓」、明治の文豪・正岡子規が東京ドームで野球観戦をする「子規と東京ドームに行った話」など29編を収録。
なかでも「自然と、きこえてくる音」は、「本のみずうみ」というこの連載 でとりあげるのにぴったりの話だ。サウンドエンジニアの祖父と孫の〈わたし〉が、真っ赤な自動車に乗って京都から琵琶湖までドライブする。祖父に言われて窓を開けると、空気のにおいが変わる。
〈鼻腔をくすぐるのは、草のにおいか。それも、乾いた高原じゃない、ひたひたの水につかった水草の、ぎっしり生えそろった岸辺のにおい。山道を滑りおりるうち、左手に、湖水のきらめきがみえてくる。沿岸にならぶ建物に見え隠れする、おだやかな水のお盆〉というところで湖の風景が目に浮かぶ。
さまざまな音を拾ったり、祖父の作ったサンドイッチ(中身はしょうゆとみりんで炒めた鶏の胸肉、ざっくり切ったキャベツ、細かく散らしたゴルゴンゾーラ、自家製のきゅうり!)を食べたりして、楽しいドライブなのだが、〈わたし〉は苦しい状況にあったことがわかる。具体的に何が起こったのか説明はされない。祖父も何も訊かない。ただ、〈わたし〉は〈大切な静けさ〉を手に入れる。誰かのこころの傷が癒やされる瞬間をこんなふうに描くことができるのかと驚いた。読み終わったあと、何度でもこの静けさに帰ってきたいと思う。
大濱普美子
『三行怪々』
『陽だまりの果て』で泉鏡花賞を受賞して注目を集めた大濱普美子は短編の名手だ。初のショートショート集は『三行怪々』は、1編あたり50から60文字程度の話が200編入っている。今回紹介した3冊のなかでも圧倒的に短い。「あとがき」によれば、著者は北野勇作の「100字シリーズ」を読んだために「百文字病」を患い、なぜか100字よりも少ない文字数で小説を書くようになってしまったのだそうだ。
最初の話は〈これはいつまでも枯れない花です。お花屋さんがそう言ったので買ったら、言葉どおり私よりも長生きしている〉。3行のなかで長い時間が経ち、語り手は生から死へ瞬間移動している。面白い。
〈猫が、本棚の隙間に入って出て来ない。本の表紙に、体の形の穴が開いていた。一体どこに向かって、掘り進んでいるんだろう〉という話がある。3行はこの猫の形の穴のようなものだ。どこに向かっているのかわからない。読者の想像力だけが、中に入ることができる。穴の出口には恐ろしいものが待ち受けているかもしれないけれど、掘り進めずにはいられない。
他の話も切り詰めた文章に、〈象の卵〉〈トリプルゲンガー〉〈故事に因んだ桃型容器〉〈アイアイ印の歯ブラシ〉〈溢れ出るアルファルファの群れ〉といった、人間の好奇心を刺激してやまない言葉がちりばめられている。
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