BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY WATARU ISHIDA

『仮名手本忠臣蔵』早野勘平=中村勘九郎
『仮名手本忠臣蔵』は元禄年間に起きた「赤穂浪士の仇討ち」を題材に、時代を南北朝時代に置き換えて1748年に人形浄瑠璃として初演された。5か月ものロングランとなるほど大人気で、同年に歌舞伎化され好評を博した。上演すると必ず大入りになることから、江戸時代当時の妙薬の名に因んで“芝居の独参湯”と呼ばれている本作を、この3月、歌舞伎座では12年ぶりとなる通し狂言として上演。松竹創業130周年記念にふさわしい豪華な配役もあって、連日大入りとなっている。
昼の部は古式ゆかしい演出の「大序」から始まる。開幕の10分ほど前から、口上人形が出演俳優と配役を紹介し、11時の開演時間になると「天王立ち下がり羽」という鳴物と、口伝で“四十七”回打つとある“柝の音”に合わせて定式幕が下手から上手へと徐々に、ゆっくりと開いていく。幕が開いた舞台上には、物語の人物たちが魂の宿っていない人形として登場する。この場面で卵色の衣裳に身を包んで上手に座っている塩冶判官(えんやはんがん、史実上のモデルは浅野内匠頭 あさのたくみのかみ)役の中村勘九郎に、まずは「大序」について聞いた。

『仮名手本忠臣蔵』塩冶判官=中村勘九郎(右)、桃井若狭之助=尾上松也
2025年3月6日、歌舞伎座にてインタビュー
──「大序」は幕が開くと登場人物たちがすでに舞台上に人形のように存在していますが、どのタイミングで定位置につかれるのですか? 「大序」は特に決まり事が多い場面ですね。
中村勘九郎(以下勘九郎):実は、僕は開演の20分ぐらい前に舞台に行って、舞台上で長袴をはいて判官様の決まった場所に座っているんですよ。しばらくすると人形の口上が始まります。口上が終わると47回の柝を打って幕を開けるのですが、今は“捨て”といって、“チョン、チョン、チョン、チョン……”と打ちながら開きます。それを聞いていると、捨てはしないで、きっかりと47回打って開けたらいいのにと、思っています。幕が開くと「七五三の置鼓(おきつづみ)」といって、7回、5回、3回に分けて鼓を打って、次に開始の合図である「東西声」が舞台の裏から「とざい、とーざい」と声がかかる。その後、義太夫の語りで名前が呼ばれると、頭を垂れた人形だった登場人物の一人ひとりに、命が入っていくという演出がされていますが、これにはすごく人形浄瑠璃をリスペクトしているのが伝わってきて、素敵だなと思います。そして何と言っても、高師直(こうのもろのう、史実上のモデルは吉良上野介きらこうづけのすけ)が黒色、若狭之助が浅黄色、塩冶判官が卵色で、顔世御前は赤というように、舞台上の色彩でキャラクターがばっちりと決まっているのは印象的ですね。長い時を経て伝わってきたものであることを実感します。
このしきたりがいつからなのかは僕もわからないですし、“みなまでいわずとも”という決まり事になっていますね。敢えて教わったわけではなく、自然と知っているという感じ。今月も『忠臣蔵』に出演しているので、家に帰ると子どもたちに「“大序”ってこういうふうに演るんだよ」と話をするので、そういう時に聞いたことを覚えていくのではないでしょうか。
『仮名手本忠臣蔵』は僕たち歌舞伎俳優にとって、教科書のようなもの。作品だけでなく、演出の方法やお家によって型もあって、歌舞伎を愛している人たちが創り上げているものなので、この中に身を置けたことに、とても尊いことだという気持ちになります。本当に歌舞伎俳優をやっていてよかったです。
──前回、勘九郎さんが塩冶判官と早野勘平を演じたのは2008年10月に浅草寺境内で上演された平成中村座でした。この時の印象に残っていることを教えてください。
勘九郎:この時は『仮名手本忠臣蔵』をAからDの4つのプログラムに分けて上演されました。僕は桃井若狭之助、早野勘平、千崎弥五郎、小林平八郎、塩冶判官、大星力弥(九段目)、寺岡平右衛門の7役を勤めさせていただいたので、目まぐるしかったですし、いっぱいいっぱいの感じでした。特にDプログラムは、死ぬかと思った(笑)。Dプログラムは五、六、七段目を上演したのですが、僕は五・六段目で早野勘平、七段目では寺岡平右衛門を勤めました。だから勘平で腹を切って幕が閉まった瞬間に全身を塗った白の化粧を落としに走って、その後に平右衛門の顔(化粧)をして、花道から三人侍と一緒に出なければなりません。それに間に合わせるのはかなりキツくて、死にそうでした。しかも、七段目では平右衛門になって妹のおかるに「か、勘平はな、ああ達者だ」って、自分がさっきまで演じて死んでしまった役のことを話すので、お客様も混乱したと思います(笑)。でも、『忠臣蔵』に出られるというのは、特別なことなので、忙しかったけれど、やっぱり楽しかったですね。

『仮名手本忠臣蔵』塩冶判官=中村勘九郎

『仮名手本忠臣蔵』塩冶判官=中村勘九郎
──それから17年の時を経て、「三月大歌舞伎」では再び塩冶判官と早野勘平をなさっていますが、演じてみてどんなことを実感されていますか?
勘九郎:17年って、結構な時間が開いていますね。判官も勘平もとても苦しい役なんですが、楽しいです。楽しいと思ってはいけないかもしれませんが、毎日が本当に幸せです。二役とも歌舞伎俳優にとって憧れの役で、それを演っていることに対する嬉しさなのでしょう。また、この17年間にいろいろな役を勤めさせていただいて、そこで築いた下地というのもいろいろとあって、ようやく演じる役とちゃんと向き合うことができ、どういうアプローチで演じるのかということができるようになってきているから、余計に楽しいですね。勘平さんは30歳にならずに亡くなっていますし、判官様も33歳で切腹しているので、どんどん役と僕の実年齢とは離れて行っていますが、役者に年齢は関係ないと思います。単に年齢を重ねるのではなく、この経験が僕の年輪となって、今後に生かせるといいなと思います。
──『仮名手本忠臣蔵』は台詞だけでなく、表情や動きだけで伝えなければならないところがある作品だと思いましたが、演じる上ではどういうことを大切にされていますか?
勘九郎:『忠臣蔵』というのは、古典作品であり、時代物として定められているのですが、そこには本当に“心”がなければ勤まらない部分が多いです。特に勘平は「時代世話」というジャンルで、世話物らしさもなければならないので、それには経験が必要になってきます。いろんな引き出しを開いて、開いて、それを生かさなければならないです。

『仮名手本忠臣蔵』塩冶判官=中村勘九郎
──塩冶判官も早野勘平も、役に没頭されているという姿を目にしましたが、演じていてどんなことを感じていらっしゃいますか?
勘九郎:三段目の師直との「喧嘩場」が終わった後の35分間の休憩が一番キツいですね。人には会いたくないですし、誰とも話をしたくありません。楽屋に帰って粛々と四段目の拵えをして、これから切腹するという判官の気持ちで待っているのですが、その時間がとても長く感じます。四段目の空間には、集中力を保って、その気持ちのまま出て行かなければなりません。まさに塩冶判官が経験していることを追体験しているようなことなので、それがなければあの場面を演じることはできないと思います。(中村)梅玉のおじさまも判官様を経験されていて、今回も石堂役でお出になっていらっしゃいますが、「朝は挨拶に来ないでね。わかっているでしょ? 判官様はね、誰にも会いたくないでしょうから」と僕の気持ちを汲んでくださいました。仁左衛門のおじ様も「もう、挨拶に来んといてね」と。おじ様は大星由良之助(おおぼしゆらのすけ、史実上のモデルは大石内蔵助 おおいしくらのすけ)で切腹する判官様に会いに来て、「待ちかねたわやい」という台詞をいう前に、「おはようございます」って会ってしまうわけにはいかないですね。
特に四段目は、判官が死ぬわけですから、たとえ芝居の嘘だとしても、判官の気持ちを作るためにその環境を整えていかなければなりません。僕の場合は始まる前に舞台に香を炊いているので幕が開くと香りが漂っていると思います。それが“もう死ぬのか”という雰囲気作りとしては早いと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、判官様の気持ちということでやっています。さらに家臣の諸士たち全員がお客様には全く見えない下手の奥の場所まで正座して座っているんです。判官様が襖の前に立つ時には皆がすでに座っていて、こうした皆の思いで『忠臣蔵』というものは出来上がっているんだなと思います。
塩冶判官が亡くなると、大星由良之助が衣服を直してくれて、遺体はお乗り物に乗りますが、最初の舞台稽古のとき、生まれて初めて“死の疑似体験”をしました。皆がお焼香しているのを幽体離脱して見ているような感じで「これが死ぬということなんだ」と思いました。とても不思議でしたね。

『仮名手本忠臣蔵』塩冶判官=中村勘九郎(右)、大星由良之助=片岡仁左衛門

『仮名手本忠臣蔵』塩冶判官=中村勘九郎
──同じ演目でも配役が違うと雰囲気も違ってくると思います。今回ご一緒されている方にはどんなことを感じていらっしゃいますか?
勘九郎:大星由良之助役の仁左衛門のおじ様には本当にありがたいです。素敵ですし、ご一緒していて楽しいです。大星由良之助を待ちわびていた塩冶判官としては、来てくれた、会いたかったという気持ちが素直に出せますし、これを言いたくて待っていたんだ、この思いを託せたという気持ちで演じることができました。
六段目のおかや役は(中村)梅花さんですが、僕が2006年の新春浅草歌舞伎で勘平を初役で演じた時も共演しました。その時は父(十八代目中村勘三郎)に習って、父は梅花さんにもいろいろ言ってくれたので、それが今に繋がっているのではないかと思います。僕も“梅花じじ”を愛していますし、梅花じじも僕のことを愛してくれているので、とてもやりやすいです。
おかる役の(中村)七之助とは、初役の時に勘平とおかるを昼夜の部で交代して勤めました。その時に、同じく父に勘平を習って、おかるを玉三郎のおじ様に一緒に習ったので、今回も阿吽の呼吸ですね。

『仮名手本忠臣蔵』早野勘平=中村勘九郎

『仮名手本忠臣蔵』早野勘平=中村勘九郎(右)、女房おかる=中村七之助
──『仮名手本忠臣蔵』を通し狂言として観ることにはどんな魅力がありますか?
勘九郎:大序、三段目、四段目はなかなか単体では上演されないので、通し狂言だからこそ楽しめますね。特に大序は珍しいからぜひご覧になってほしいですね。五段目、六段目、七段目はドラマ性もあって、一話の上演時間も長いので単独でかかることが多いですが、今回のように五、六、七と続けて観ると、七段目で勘平が死んだことを知らないおかるさんがかわいそうだし、それを告げなければならない平右衛門の気持ちもよくわかりますよね。おかるが「勘平さんはえ?」というと、六段目で勘平を演じた僕の顔が思い浮かぶでしょう? さらに大星由良之助が七段目の最後に述懐する場面では、四十七士の怒りの気持ちを発する由良之助の台詞がグサグサ刺さってきます。
演じる上でも同じで、Bプロの勘平を演っていると、ご紋服を着て拝む時にとか、「亡君の」とか、「殿の」という台詞を言うと、菊之助さんの判官様がひゅっと僕の脳裡に浮かびます。だから僕は勘平として四十七士に入りたかったし、菊之助さんの判官様のためにという気持ちでいられました。通し狂言だからこそ感じることができたんだと改めて思いました。

『仮名手本忠臣蔵』早野勘平=中村勘九郎
中村勘九郎(NAKAMURA KANKURO)
東京都生まれ。1986年1月歌舞伎座『盛綱陣屋』の小三郎で初御目見得。2012年六代目中村勘九郎を襲名。歌舞伎だけでなく、現代劇、映画、ドラマなど幅広く活躍。NHK大河ドラマにて2004年『新選組!』で藤堂平助役を演じ、2019年には『いだてん~東京オリムピック噺~』では主役の一人である金栗四三役を演じる。2013年に読売演劇大賞最優秀男優賞受賞。2024年は父勘三郎の十三回忌追善興行を大成功に導き、主演した新宿梁山泊『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』が第32回読売演劇大賞に選出され、自身も優秀男優賞を受賞。
三月大歌舞伎
通し狂言『仮名手本忠臣蔵』
昼の部 11:00開演
大序 鶴ヶ岡社頭兜改めの場
三段目 足利館門前進物の場
同 松の間刃傷の場
四段目 扇ヶ谷塩冶判官切腹の場
同 表門城明渡しの場
夜の部 16:30開演
五段目 山崎街道鉄砲渡しの場
同 二つ玉の場
六段目 与市兵衛内勘平腹切の場
七段目 祇園一力茶屋の場
十一段目 高家表門討入りの場
同 奥庭泉水の場
同 炭部屋本懐の場
同 引揚げの場
※本公演はAプロとBプロで配役を変えて上演されています。詳細は歌舞伎公式サイト「歌舞伎美人(かぶきびと)」でご確認ください。
※中村勘九郎さんは、
Aプロの昼の部とBプロの夜の部に出演します。
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
上演日程:2025年3月4日(火)〜27日(木) ※10日、18日は休演
問い合わせ:チケットホン松竹 TEL. 0570-000-489
チケットweb松竹
山下シオン(やました・しおん)
エディター&ライター。女性誌、男性誌で、きもの、美容、ファッション、旅、文化、医学など多岐にわたる分野の編集に携わる。歌舞伎観劇歴は約30年で、2007年の平成中村座のニューヨーク公演から本格的に歌舞伎の企画の発案、記事の構成、執筆をしてきた。現在は歌舞伎やバレエ、ミュージカル、映画などのエンターテインメントの魅力を伝えるための企画に多角的な視点から取り組んでいる。
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