BY MARI SHIMIZU, SHION YAMASHITA
父・勘三郎から、次世代へ。
―― 中村七之助が未来へつなぐ「納涼歌舞伎」の夢
(2019年8月公開記事)
歌舞伎座の「八月納涼歌舞伎」は中村七之助さんにとって、思い入れの深い公演のひとつだ。「父(十八世中村勘三郎)や(十世坂東)三津五郎のおじさま、そして(中村)福助の叔父、(中村)芝翫の叔父が、お互いに協力しあいながら古典の大役や新作に挑戦している様子を間近で見て来ました。そして食事の席などで、もっと多くの方々に歌舞伎に興味をもっていただくにはどうしたらいいかを熱く語りあっていた姿が強く印象に残っています」

中村七之助(NAKAMURA SHICHINOSUKE)
歌舞伎俳優。1983年生まれ。十八代目中村勘三郎の次男。1986年9月歌舞伎座『檻(おり)』の祭りの子で初お目見得。1987年1月歌舞伎座『門出二人桃太郎』で二代目中村七之助を名乗り初舞台。繊細な中にも強さを秘めた美貌、芯のある演技で、立役もこなすが、とくに女方としての近年の活躍は目覚ましく、2018年10月歌舞伎座『助六曲輪初花桜』で揚巻を演じるなど、大役に次々挑んでいる。2013年に第20回読売演劇大賞杉村春子賞、2015年に第36回松尾芸能賞新人賞を受賞
© SHOCHIKU
歌舞伎座に行けば毎月必ず歌舞伎が観られる。今となっては至極当然の事実が具現化したのは平成という時代が始まったばかりの1990年のことだった。前年までは貸館による公演が続いていた8月に、当時の若手を中心とした顔ぶれで公演を開催したところ大盛況となったのである。そのフレッシュな舞台は評判を呼び、毎年恒例の名物公演となっていくなかで歌舞伎ブーム到来とまで報道されるまでになった。中心となって牽引していた勘三郎さんと三津五郎さんは当時30代半ば。初回に子役として出演していた七之助さんは今、当時の勘三郎さんと同世代である。
今年の「納涼歌舞伎」では第一部、二部、三部すべてに出演し、第一部で上演される『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』では乳人(めのと)政岡という女方の大役に初役で挑む。「この年齢で政岡をさせていただくとは思っていませんでした。本当にたいへんなお役だと実感しています」
最初にそれを痛感したのはポスターのためのスチール撮影の時だった。兄の中村勘九郎さんが主演するNHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』や、NHK・BSプレミアムドラマ『令和元年 怪談牡丹燈籠』への出演のため、七之助さんは映像の仕事が続いていた。そのため衣裳や鬘をつけて歌舞伎の扮装をするのは、じつに3カ月ぶりだったそうだ。「帯を締めただけでも苦しくて、役の扮装をして写真を撮るだけでくたくたでした」
指導を仰いだのは人間国宝でもある名女方の坂東玉三郎さんだ。「玉三郎のおじさまは撮影の現場にも立ち合ってご指導くださって、その恰好のままお点前の稽古をしましょうということになりました。長い時間ではなかったのですが、帰宅したら動けないほど疲れ果てていました。精神的プレッシャーも含めて、政岡がそれだけ大役であるということなのだと思います」
『伽羅先代萩』とは仙台・伊達家のお家騒動に題材を取った作品で、8月に上演されるのはその一部である「御殿」と「床下」の場面だ。幼くして大名家の当主となった鶴千代の乳人(乳母)が政岡である。鶴千代暗殺の陰謀が渦巻くなか、政岡は「若君は男性を嫌う奇病にかかった」と偽り、女性と子供しかいない御殿で鶴千代を警護している。食事も自らの手で用意して、我が子の千松に毒見をさせるという徹底ぶり。緊迫した状況のなかで物語が進む。劇中では茶道のお点前でご飯をたく“飯炊き(ままたき)”と呼ばれるシーンがあり、前半の見どころとなっている。
「まずここで政岡の人となりや、鶴千代、千松との三人の関係性、その空気感をしっかり見せることが大切だと教えていただきました。政岡は母としての自分を押し殺し、あくまでも乳人であることを肝に命じて忠義を尽くす女性です。毒見役の千松とは今生の別れを常に意識しているんですが、やっぱりわが子だから愛している。そして千松も鶴千代もそれぞれが置かれた立場を子供なりに受け止めて、お互いを思いあっている。それを稽古で実感しました。ご飯が炊けるまでの間には、ものすごく細かい感情の出し入れがあるのだと知り、改めてすごい作品だと思いました。派手なシーンではありませんけれど、後半につながる非常に大切なところだと思います」

『伽羅先代萩』乳人政岡=中村七之助
PHOTOGRAPH BY TAKASHI KATO
事態が大きく動くのは、敵方の一味である栄御前の来訪が告げられてから。栄御前は持参した見舞いの菓子を鶴千代に勧めるが、怪しい品とにらんだ政岡は鶴千代を制する。だが、若君の近くにお仕えしてはいるものの、政岡と栄御前の身分の差は歴然。政岡は抗いきれず窮地に立たされる。その時に走り出て来るのが千松で、菓子を口にするや苦しみだす。菓子はやはり毒入りだったのだ。陰謀の露見を恐れた敵方はとっさに千松を刃にかけ、母である政岡の目の前でなぶり殺してしまう。しかし政岡は動じず、気丈に鶴千代を守り抜くのである。
その後のシーン。「千松とふたりきりなると、それまで押さえていた政岡の感情が一気に噴出するのですが、その場面は義太夫の語りと三味線、役者のせりふが一体となると、ものすごく素晴らしいものになるんです。だからこそ、エネルギーをぐわーっとマグマのようにため込んでおく前半が重要なのだと思います」

© SHOCHIKU
せりふや身体で表現する形と、人としての感情とが寸分の隙間もなく寄り添ったときに、大きな感動が生まれる。「玉三郎のおじさまは、身体から入ってはいけないとおっしゃいます。まず気持ち。そしてそれができていれば(打掛の)裾は勝手についてくる、とも」。衣裳の扱いを含めての、身体的スキルが身についていることが前提の言葉である。七之助さんの日頃の修練を玉三郎さんが認めている証だろう。演じ手によって表現の色合いが異なるなかで、七之助さんは玉三郎さんのやり方が「心に響く」という。「おじさまはあまり大きく動かれないんです。それが削ぎ落した究極の形なのだと思います。ですが、今の自分がただそれを真似したのではスカスカになってしまう。そこをどう克服して、そういうふうにしか生きられなかった政岡という女性を、自分なりにどうお見せできるかです」
豊かな感受性と高度な身体的スキルを要求される大役に真摯に取り組む七之助さんには、ひとつとても楽しみにしていることがあるという。「甥の勘太郎と長三郎(勘九郎の長男と次男)が、千松と鶴千代を演じることです。ふたりのことは無条件に愛していますし、普段から出来上がっている三人の関係性がすでにあります。役が決まってから兄は厳しく稽古しているようですし、何より役者としてのふたりを信じていますので、しっかりやってくれることでしょう。今の僕たちだからできる『御殿』を精一杯勤めます」
かつて、勘三郎さんが主役を務める舞台で、七之助さんが物語の要となる子供の役を演じたことを思えば、夢は未来へと膨らんでいく。令和元年8月の『伽羅先代萩』は「納涼歌舞伎」の来し方行く末をつなぐ要となる舞台ともいえそうだ。
BY MARI SHIMIZU
八月納涼歌舞伎(本公演は終了しています)
<演目>
第一部『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』「御殿」・「床下」
『闇梅百物語(やみのうめひゃくものがたり)』
第二部『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』
第三部『新版 雪之丞変化(しんぱん ゆきのじょうへんげ)』
会期:2019年8月9日(金)~8月27日(火)
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
料金:1等席¥15,000、2等席¥11,000、3階A席¥5,000、3階B席¥3,000、1階桟敷席¥17,000
公式サイト
祖父、父、そして子へーー
中村勘九郎・中村七之助が‟追善”を通して受け継ぐもの
(2021年2月公開記事)
歌舞伎俳優の家にはそれぞれ大切にしている演目がある。勘九郎さん、七之助さん兄弟にとって『連獅子(れんじし)』は数ある演目のなかでも特別なものだ。2012年12月に急逝した父・十八世中村勘三郎さんが初めて仔獅子の精を勤めたのは、14歳の誕生日を翌月に控えた時のことだった。親獅子の精はその父である先代、十七世中村勘三郎だ。

(右)中村勘九郎(NAKAMURA KANKURO)
1981年10月31日生まれ。十八世中村勘三郎の長男。1986年1月歌舞伎座『盛綱陣屋』の小三郎で初お目見得。’87年1月歌舞伎座『門出二人桃太郎』の兄の桃太郎で二代目中村勘太郎を名のり初舞台。2012年2月新橋演舞場『土蜘』の僧智籌実は土蜘の精、『春興鏡獅子』の小姓弥生後に獅子の精などで六代目勘九郎を襲名。’19年NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)〜』に主演するなど映像でも活躍
(左)中村七之助(NAKAMURA SHICHINOSUKE)
1983年5月18日生まれ。十八世中村勘三郎の次男。1986年9月『檻』の祭りの子で初お目見得。’87年1月歌舞伎座『門出二人桃太郎』の弟の桃太郎で二代目中村七之助を名のり初舞台。『お染の七役』、『鷺娘』などで華のある女方として存在感を発揮。古典の大役である『伽羅先代萩』の政岡を勤めて甥の中村勘太郎、中村長三郎と共演。新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』では皇女クシャナを演じている
Ⓒ SHOCHIKU
『連獅子』は、獅子が我が子を谷底へ突き落とし自力で這い上がることのできた者のみを育てるという、中国の故事を題材にした踊りで、その内容は厳しい芸の世界で精進に励む親子に重なる。当時、10代の仔獅子の登場は清新で、それまでにない感動を呼び舞台は大評判。以後、中村屋の『連獅子』は大人気演目となった。やがて勘三郎さんは親獅子となり仔獅子は勘九郎さん、七之助さんへと引き継がれていく。

『連獅子』親獅子の精=中村勘九郎、仔獅子の精=中村勘太郎
PHOTOGRAPH BY KISHIN SHINOYAMA
2020年、新型コロナウィルス感染拡大防止のための自粛期間中、勘九郎さんは小学4年生の長男・勘太郎さんと1年生の次男・長三郎さんとあることに取り組んでいた。それは『連獅子』の稽古。
「緊急事態宣言下となり自分も子供たちも“おうち時間”がたっぷりありました。だったら稽古をしよう! ということです。私が父から手取り足取り教えてもらった『連獅子』を彼らにひとつひとつ伝えました」
七之助さんが、勘三郎さんとの思い出を振り返る。
「父は兄のように祖父から手取り足取り役を教わったことはほとんどないと聞いています。そんな中で『連獅子』という踊りを通して、舞台の上で親子というものを体感していったのだろうと思います。だから父にとって非常に大切な演目。僕たちに対しても、『連獅子』に関してはとりわけ厳しく、生半可な気持ちで臨もうものなら烈火のごとく怒りました。そして演目や役そのものだけでなく、そこに取り組む姿勢、舞台での行儀など、この踊りを通して僕たちはさまざまなことを教えられたように思います」
十七世中村勘三郎
Ⓒ SHOCHIKU
そして今年、勘九郎さんと勘太郎さんという、次世代の親子による『連獅子』が、歌舞伎座の「二月大歌舞伎」で実現した。
「こんなにも早くふたりで踊る日が来るとは思いませんでした。中村屋の『連獅子』をまた次の世代につなげられることをとてもうれしく思います。たくさんの方々のご尽力、そして祖父と父のおかげです」
今回はその祖父、十七世中村勘三郎三十三回忌追善狂言と銘打っての上演である。もうひとつの追善狂言『奥州安達原 袖萩祭文(おうしゅうあだちがはら そではぎさいもん)』では、七之助さんと長三郎さんが母娘を演じ勘九郎さんも顔を揃える。七之助さんが演じる袖萩は親に背いて浪人と駆け落ちした結果、落ちぶれ果て盲目となった女性。その母に献身的に尽くすのが、長三郎さん演じる幼いお君だ。
「お君はいろいろな意味で難しい役。出ずっぱりでもあり、7歳の長三郎にはたいへんだと思いますが、ふたりで一緒に乗り切っていこうと話しています。(叔父と甥として身近に接している)普段の関係性にも通じる、深い深い愛でつながった母子の情がお客様に伝わるよう、一所懸命勤めたいと思います」

『奥州安達原 袖萩祭文』袖萩=中村七之助、お君=中村長三郎
PHOTOGRAPH BY KISHIN SHINOYAMA
生前の勘三郎さんが、勘九郎さんと七之助さんにことあるごとに語っていた話がある。それは父の十七世から「歌舞伎座で追善(公演)ができる役者になっておくれ」と何度も念を押され続けたというエピソード。「それこそ100回以上聞かされて来ました」と、勘九郎さん。七之助さんがそれに頷き続ける。
「父は遠回しに『お前たちもそうならなくちゃいけないよ』と言っていたのだと思います。祖父自身が、お客様にいつまでも思い続けていただけるいい役者でなければ、追善は成り立たちません。でもそれだけではできない。追善する側の父もまた、いい役者でなければ無理なんです。先代の素晴らしい舞台が目に焼きついているからそれでいい。あなたでは見たくないとお客様に思われてしまったら終わりですから」

中村七之助
Ⓒ SHOCHIKU
勘三郎さんは父・十七世の二十三回忌までその思いに応え、世を去った。二十七回忌はその勘三郎さん自身の三回忌と重なり、そこからは勘九郎さんと七之助さんに引き継がれた。十七世が没した時、勘九郎さん6歳、七之助さんは4歳だった。だから同じ俳優目線での記憶はない。

中村勘九郎
Ⓒ SHOCHIKU
「僕たちは祖父を愛してくださったお客様の温かさと、祖父がどんな人物でその舞台がどうであったかを語ってくださる先輩方に支えられ、何度もの追善を通して祖父という役者の存在を身近に感じることができました。それによって祖父は僕たちの中で生き続け、ごく自然に祖父のような役者になりたいと思うようになりました。今回の追善では祖父はおろか、父ですら生の舞台をご存知ないお客様もいらっしゃると思います。その逆で四代にわたってご覧くださっている方もいらっしゃいます。いろいろなお客様が混ざり合ってひとつになれるのが追善という舞台。そして役者もお客様もそこからまた未来へとつながっていく。今、強く思うのはかつて当たり前だった満席の劇場の光景を伝説にしてはいけないということ。その日がまた必ずやってくることを信じて、僕たちはつなげていかなければいけないんです」
歌舞伎の未来に視線をすえて、勘九郎さんがそう締めくくってくれた。
BY MARI SHIMIZU
二月大歌舞伎 (本公演は終了しています
第一部 本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)十種香
泥棒と若殿(どろぼうとわかとの)
第二部 於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)
土手のお六 鬼門の喜兵衛
神田祭(かんだまつり)
第三部 奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)袖萩祭文
連獅子(れんじし)
上演期間:2021年2月2日(火)~27日(土)
上演時間:
第一部 10:30~
第二部 14:15~
第三部 17:30~
休演日:2月8日(月)、18日(木)
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
料金:1等席¥15,000、2等席¥11,000、3階A席¥5,000、3階B席¥3,000、1階 桟敷席¥16,000
※4階幕見席の販売はなし
公式サイト
熱狂に包まれる“江戸の芝居小屋”
中村勘九郎・中村七之助が広げる「平成中村座」の可能性
(2023年7月公開記事)
「平成中村座」といえば、一足踏み入れるだけで江戸時代の芝居小屋にタイムトリップしたような感覚が味わえる劇空間。コロナ禍に入ってからその姿を目にすることはできなかったが、2022年10月から2か月にわたって浅草寺境内で上演された際に復活し、2023年は史上初の姫路城での公演も行われた。そして11月には“北九州市制60周年”を旗に掲げた小倉城の勝山公園内での公演が控えている。
前回の2019年11月の小倉城公演では、九州初の公演ということもあって熱狂的な雰囲気に包まれ、連日、終演後の歌舞伎俳優たちの “出待ち”をするファンたちが列をなしたその光景は今にも眼前に甦ってくる。4年ぶりとなるこの公演に、平成中村座を牽引する中村勘九郎さんと中村七之助さんはどんな思いを抱いているのだろうか。率直な思いをそれぞれに伺った。

中村勘九郎(右)と中村七之助
──小倉城での公演は2019年に続き、2度目となります。2023年は姫路城でも平成中村座の公演が行われましたが、どんな手応えを感じていますか?
勘九郎:2019年の小倉城公演は、本当にすごかったです。“お祭り騒ぎ”というのはこういうことなんだ!と思うぐらい、盛り上がってくれました。実は公演が終わって早い段階で“また小倉で平成中村座をやってほしい”というお声がけをいただいて、公演も決まっていたんですが、コロナの影響で実現しなかったんです。今回は北九州市制60周年ということですが、姫路城も世界遺産登録30周年という記念すべき年にちなんで呼んでいただけたのはありがたいことですね。“観たい”、“平成中村座を建ててほしい”という皆さんのお気持ちが素直に嬉しいです。
七之助:僕はほとんど初めてのような感覚で小倉の地に行ったので、どういうところなのかがわからなかったのですが、知れば知るほど素晴らしいところで、お客様も盛り上がりがすごかったです。平成中村座はご覧になったかたはご存じの通り、舞台の後ろが開く演出がありまして、そこを開けると、外に大勢のお客様がいて、劇場内で観劇されているお客様よりも多いんじゃないかと思うほどでした。人数でいえば最高記録だったんじゃないでしょうか。これはスタッフの方から聞いたんですが、舞台が終わって居酒屋へ行って飲んでいたら、隣の大部屋で小倉の商店街の皆様が宴会をしていて「平成中村座さんのおかげで〇〇の売り上げが〇%上がりました!」という声が聞こえてきたそうです。涙が出るほど嬉しかったと言っていました。そんな熱い気持ちを持った地で舞台を演らせていただけるのは、本当に嬉しく思います。
──今度の小倉城公演では初の試みとしてチャリティーイベントが開催されるそうですね。どんな意図があって行われることになったのでしょうか。
勘九郎:2022年の4月と8月に北九州の台所とも言われている旦過市場で火災が起きて、それをニュースで知って、本当にショックでした。平山秀幸監督とトークイベントにご一緒させていただいて登壇した「小倉昭和館」も今では数少ない昭和の雰囲気がある映画館でしたし、何度もフルーツジュースを飲んだフルーツ屋さん、美味しいスペイン料理屋さんなど馴染みのあるところがいくつも被害にあって、なんとも言えない気持ちになりました。とてもお世話になった方々なので、何かできないかと考えました。そこで今回、夜の部一回公演だった11月13日の昼の部の時間にチャリティーイベントを行い、その売り上げを復興のために寄付させていただきます。平成中村座が再びその姿を現して、少しでも皆さんの元気を取り戻していただくことができたらと思っています。
七之助:僕も兄と全く同じ意見です。平成中村座が小倉に来ることによって、被害にあわれた方や傷ついてしまった方々が少しでも元気が出るように、僕らは芝居を勤めなければならないと思います。いつもは客様から僕たちがパワーをいただいているんです。そのことを胸に、一生懸命演じたいと思います。

中村勘九郎(NAKAMURA KANKURO)
1981年生まれ。1986年1月歌舞伎座『盛綱陣屋』の小三郎で初御目見得。2012年六代目中村勘九郎を襲名。歌舞伎だけでなく、現代劇、映画、ドラマなど幅広く活躍。NHK大河ドラマにて2004年『新選組!』で藤堂平助役を演じ、2019年には『いだてん~東京オリムピック噺~』では主役の一人である金栗四三役を演じる。2013年に読売演劇大賞最優秀男優賞受賞
──今度の小倉城公演では“三十軒長屋”が平成中村座の前に立ち並び、一般の方々にもご利用いただけるそうですね。楽しみ方を教えていただけますか?
勘九郎:小倉の前回は“二十軒長屋”でしたが、多くの方にご来場いただいて、“よかった”というお声が聞けたのでとても嬉しかったです。今年5月の姫路城公演同様に、今回は三十軒にパワーアップします。江戸文字や指物、竹工芸、かんざしなど、単にモノを売るだけでなく、“職人”の卓越した技術を実際にお見せすることができて、そこでできたものをお買い求めいただくこともできる。お客さまにも楽しんでいただけるのではないでしょうか。手仕事で何かを作るという職人は高齢化もあって、年々減ってきていますが、こうした職人さんたちがいなければ僕たちの商売も成り立たないんです。この機会に日本の伝統文化というものをみんなで底上げしていこうという思いでいっぱいです。
七之助:姫路にも九州の職人さんがたくさんいらっしゃってくださいました。平成中村座は場内もそうですが、外に出ても江戸の街並みや雰囲気を楽しんでいただけるようなテーマパークをイメージして作っているので、皆さんにもこの思いが伝わるといいなと思います。僕たちの行きつけのラーメン屋さんやバーなど飲食のお店もありますし、指圧マッサージもあるので、いろいろな趣向を楽しんでいただけます。
──平成中村座といえばご当地の演目が上演されることも楽しみの一つですが、今回はどんな趣向を凝らされるのでしょうか?
勘九郎:義経が九州へ逃げるために大物浦から船に乗ったという伝説があるので『義経千本桜』の「大物浦」を選びましたし、これは僕が“いつかは演りたい”と思っていた演目でもあります。また再演のリクエスト多くて今回も上演することになった『小笠原騒動』は小倉藩の小笠原忠苗が藩を治めていたときに起きた騒動が描かれています。(中村)芝翫の叔父が『小笠原騒動』を勤めた時に、あまりにも面白くて。博多座で上演されたときは2度観に行って、自分でチケットを取って前から2列目で観たくらい、大好きな演目なんです。平成中村座は演出機構として、舞台の後ろを開けて、そこから見える城を借景にしますが、前回の演出をベースに上手い具合に演れたらと思っています。「小倉祇園太鼓」も前回同様に参加していただきます。

──「小倉祇園太鼓」とはどのようにして出会ったのですか?
勘九郎:この「小倉祇園太鼓」との出会いは、本当に運命的でした。前回の小倉城公演の取材会を小倉城で行ったんですが、そこの休憩所のような場所にポスターが貼られていて「小倉祇園太鼓」と書かれていたんです。調べてみると400年もの歴史があるお祭りであることを初めて知って、歌舞伎の歴史とバッチリ合っていたんです。そこですぐに連絡を取っていただいたところ、そのポスターが、僕が見つけることを計算して狙って仕掛けられた策であったことがわかったんです(笑)。その策を考えたのが日高洋平さんという方で、なんと僕と同じ年で同じ誕生日。すぐに意気投合して共演させていただきました。
この『小笠原騒動』で「小倉祇園太鼓」の方たちが驚いていたのは、白狐が登場すること。彼らに舞台を観ていただいているとき、狐が登場した瞬間にざわついたんです。その理由を尋ねると、祇園太鼓は3日間ずっと打ち続けて最後に“キツネツキ”(狐に憑かれたような状態)で叩くそうなんです。
「小倉祇園太鼓」の演奏はチームによって“色”が違っていたり、演奏する方の身内や仲間が応援しに来たりするので、僕自身もお祭りの中に身を置いているような気分で、とても楽しかったです。今回も同じようにできたらと思います。
──『義経千本桜』の知盛は初役で勤めたときに片岡仁左衛門さんから教わったと伺いました。印象に残っていることを教えてください。
勘九郎:『義経千本桜』の「渡海屋」「大物浦」は僕が勘九郎を襲名した際に博多座で演らせていただいたので、約11年ぶりになります。当時は父が亡くなったばかりで、仁左衛門のおじ様から習った大切な役です。襲名するにあたって演目の話し合いをした際に、そのときは父もいて『義経千本桜』の(主要な役)忠信、知盛、権太は演ったほうがいいということで選びました。知盛は仁左衛門のおじ様の仁左衛門型、(尾上)松緑のおじ様の音羽屋の型、(中村)吉右衛門のおじ様の播磨屋の型などがある中で、父は一度しか勤めていないんですが、昔の資料や文献を引っ張り出してきて、實川延若のおじ様がなさったときの知盛やいろいろなものを混ぜ合わせて演じています。衣裳も銀平(知盛)が渡海屋に帰ってくるときに傘を差して出てくるんですが、父は浮世絵を参考に碇を担いで出てくるんです。父の型で演りたいと思っていたら、父が亡くなってしまい、仁左衛門のおじ様が手を差し伸べてくださいました。
そのとき「のり(勘三郎さんの愛称)はどうやっていたのか」とか、「のりの衣裳や頭(鬘)はどうだったのか」ということを前提に、知盛の気持ちや台詞回しなどを教えてくださいました。父の型を生かしつつ、知盛という役の大切なことを教えてくだったんですが、それはなかなかできることではないので、本当に有り難かったです。仁左衛門のおじ様とはひと月ご一緒させていただいて、大きな力もいただいたので、受け継いでいきたいと思います。知盛は、信念と情念と慈愛に溢れている一人の男としても格好いいのでそこをしっかり演じていきます。

中村七之助(NAKAMURA SHICHINOSUKE)
1983年生まれ。1986年9月歌舞伎座『檻』の祭りの子勘吉で初御目見得。1987年1月歌舞伎座「門出二人桃太郎」の弟の桃太郎で二代目中村七之助を名乗り初舞台。歌舞伎の舞台以外には2003年ハリウッド映画『ラストサムライ』で明治天皇役やNHKドラマ『ライジング若冲』に出演する。2015年、第1回森光子の奨励賞を受賞。
──七之助さんは、今回演じる『義経千本桜』の曲侍の局を初役で勤めた時に、祖父の中村芝翫(7代目)さんに教わったそうですが、どんなことが印象に残っていますか?
七之助:僕がまだ20代前半の時に新春浅草歌舞伎で演らせていただいたんですが、祖父に一から教わった思い深いお役なので、大切にできたらと思います。女方の大役で、台詞の言い方から所作など、何から何まで全部指導していただきました。祖父が大切にしているお役であることがすごく伝わってきましたし、生半可な気持ちではできないと思いました。それくらい祖父の熱心さや教わったことに対して凄みを感じたんでしょうね。
──平成中村座では若手の歌舞伎俳優たちの活躍も注目されています。勘九郎さんと七之助さんは若手の皆さんをどのような思いで見ていますか?
勘九郎:(中村)橋之助、福之助、歌之助の三兄弟は物心がつくかつかないかぐらいの頃から彼らの父(8代目中村芝翫)を通して『小笠原騒動』と出会って、陶酔していました。水車小屋の立ち廻りの場面のジオラマを作ったり、お風呂場で立ち廻りをやったりしていたそうです。そういう憧れていたものが受け継がれていくことはいいですね。彼らはまだ成長の過程ですが、僕たちと一緒に闘っていくメンバーとしても意見交換し合いながら創り上げていきたいと思っています。歌舞伎は同じ演目でも役者が違うだけで違った風に見えてきますので、そこも楽しんでいただけるのではないでしょうか?
七之助:平成中村座だけでなくて、三兄弟は仲がいいので、これからも手に手を取って一生懸命精進していってほしいです。
中村虎之介くんは去年の10月の平成中村座で『綾の鼓』を演じているのを観て、姫路城公演の『天守物語』の図書之助に相応しいのではないかという話が出て、決まりました。彼の場合は、僕らが新春浅草歌舞伎で初役に挑戦させていただいたような機会が極端に少なかったのですが、去年くらいから良い役が回ってくるようになりました。そのわずかな場数でもどんどんスピードアップして成長していっているのが素晴らしいと思います。これからもどんどん成長していって欲しいです。
──これまで数々の平成中村座の公演を経験されてきて、中村勘三郎(18代目)さんのスピリットが生きていると感じるのはどんな時ですか?
勘九郎:昨年、宮藤官九郎さんに新作を書いていただいて、それが平成中村座にとって初の新作となったんですが、また一つ“平成中村座の可能性”を広げることができたと思えました。父が叶えられなかった「何でもできる夢の劇場」という夢を実現できたことを実感できましたね。コロナ禍を経て、劇場から客足が遠のいていく中で、姫路城公演はわずか2日で完売したというのはありがたいですね。平成中村座は歌舞伎をより身近なものとして捉えていただける場所です。まだまだ“歌舞伎人口”は少ないですから、平成中村座を通してお客様に「歌舞伎が観たい」という心を持っていただけるように努めたいと思います。
BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY KAZUYA TOMITA
北九州市制60周年 平成中村座小倉城公演(本公演は終了しています)
昼の部 11:00開演
一、『義経千本桜 渡海屋 大物浦』
二、『風流小倉俄廓彩』
夜の部 15:30開演
通し狂言『小笠原騒動』
出演:中村勘九郎、中村七之助、中村橋之助、中村虎之介、中村鶴松、中村歌之助、
中村福之助、坂東新悟、片岡亀蔵ほか
上演期間:2023年11月1日(水)〜26日(日)
休演:7日昼の部・夜の部、13日昼の部、20日昼の部・夜の部
会場:小倉城勝山公園内 特設劇場(福岡県北九州市)
料金:松席(1階平場・座布団席)¥16,000、竹席(1・2階長椅子席)¥16,000、
梅席(2階長椅子席)¥14,000、桜席(2回長椅子席) ¥12,000、お大尽席(2階特別席)¥36,000
※満席時に立見席(2階後方)¥4,000を販売します
チケット予約:博多座電話予約センター TEL. 092-263-5555
博多座オンラインチケット
チケットぴあ
ローソンチケット
中村勘三郎が描いた未来へ。
若きホープ中村鶴松が歌舞伎座の舞台で主役に挑む
【前編】
(2024年2月公開記事)

──十八世中村勘三郎の十三回忌追善の公演に、お光という大役で出演することが決まったときの心境を教えてください。
鶴松:まず、本来ならば、部屋子である僕にとってありえないことだろうと思ったのと同時に、ものすごいプレッシャーを一気に感じました。“部屋子”というのは子役の出演などがきっかけで歌舞伎俳優のもとに預けられて芸や行儀作法を学ぶのですが、僕も一般家庭で育って清水大希という本名で出演しているときに勘三郎さんから声をかけていただいて中村屋の一門に入りました。自分でいうのもおこがましいことですが、その部屋子が歌舞伎座で主役を演じるのはとても珍しいことなんです。今回は勘三郎さんの十三回忌追善の公演なので、このような身に余る機会をいただきました。
『新版歌祭文 野崎村』で(中村)児太郎さんが演じるお染や僕が勤めさせていただくお光は、若い娘を演じる「娘方」という役柄の代表的なお役です。僕は義太夫狂言の娘方のお役では『俊寛』の千鳥を演らせていただいたくらいで、あまり経験がないので、しっかりしないといけないと思っています。お光は(中村)七之助さんから教えていただいているんですが、先日、七之助さんから突然電話がかかってきて「今、お父さん(十八世中村勘三郎)の『筆屋幸兵衛(注1)』の映像を観ていたんだけど、このときお雪を演じていた鶴松が、お光を演ることになって、喜んでるだろうね」と言ってくださって、とても嬉しかったです。
(注1) 河竹黙阿弥作の『水天宮利生深川』という歌舞伎の演目で、通称は「筆屋幸兵衛」。2007年12月の歌舞伎座で十八世中村勘三郎が初役で筆職人船津幸兵衛を初役で演じた時のことを指す。鶴松は幸兵衛娘お雪役で出演した。
──鶴松さんと“歌舞伎との出会い”は子役として出演したことがきっかけでしたが、少年だったご自身にとって、どんな意味があったと思いますか?
鶴松:子どもの頃から、歌舞伎は一筋縄ではいかない難しさがあることを学んだと思います。今はビデオを観て作品の全貌を把握して稽古することもできますが、子役だった当時は、台本もなくて何の準備もできませんでした。まずは指導してくださる先生が僕の台詞を口頭で言って、それをノートに書き留めることから稽古は始まります。伝統芸能なので細かい仕草まで決まっていて、それをすべて覚えて演じなければならないので、現代劇と違って自由度も少ないんです。先生が厳しかったこともあって、台詞を分解したり、声の高さを意識したり、子どもの頃から役の取り組み方が身についていたと思います。
──鶴松さんが子役として舞台に出演し始めたのは習い事の一環だったそうですが、歌舞伎を好きになった瞬間のようなものはあったのでしょうか?
鶴松:“好きになった瞬間”というのはないかもしれませんが、自分ではない“何者かになる”ということに憧れがあったんだと思います。僕はヒーローごっこが大好きで、家でも一人で遊んでいました。だから、何かの役を演じるということが、仮面ライダーのような自分ではないものになることに通じていて、それを2000人もの人前で披露して拍手をもらえるということが、普通に生きていたら体験できないことなので、その高揚感が楽しかったんだろうと思います。
──2005年に中村勘三郎さんが十八代目として襲名した際に、鶴松さんも部屋子の二代目中村鶴松として披露されました。勘三郎さんと同じ舞台に立って、どんなことを感じていましたか?
鶴松:怖かったです。『春興鏡獅子』(注2)で胡蝶を勤めさせていただいたとき、勘三郎さんがすごい目で見てくるので、子どもながらに怖くて近づけませんでした。歌舞伎はただでさえ衣裳も化粧も派手なので、獅子の精に扮した勘三郎さんの眼力にはまるでライオンのような殺気を感じ、胡蝶の僕は捕食されてしまうのではないかという感覚でした。獅子の手に胡蝶が手を乗せて回るという振りがあったんですが、「ちゃんと乗っけなさい」と言われても怖くて触れられなかったんです。他の人にはないオーラや気迫がある人でした。その時の様子は、昨日のことのように生々しい感覚でしっかりと覚えています。
七之助さんが電話で話されていた『筆屋幸兵衛』でお雪を演じた時は、ものすごく怒られて大変でした。このときの勘三郎さんは爪を真っ黒にして、貧しい人を演じる役作りをされているのを間近で見ました。勘三郎さんご自身も十七世のもとで厳しい稽古を受けてきた方なので、いっぱい稽古をしないと不安だったのではないかと思いますが、いつも必死で手を抜いたところは見たことがありませんでした。
(注2)2006年1月歌舞伎座、2007年1月歌舞伎座の公演で十八世中村勘三郎が『春興鏡獅子』を踊った際に鶴松は2度にわたり胡蝶の精を勤めている。

──鶴松さんにとって、“あの時があったからこそ今の自分がある”と思える出来事で、真っ先に思い浮かぶのはどんなことですか?
鶴松: 今までで一番衝撃を受けたのは、勘三郎さんの『春興鏡獅子』ですね。僕はいつか『春興鏡獅子』を演らなければ死ねないと思っていたほどで、まずは自主公演(2022「鶴明会」)で勤めることができました。子どもの時から一番演りたいと思っていた演目だったので振りは全部頭に入っていましたし、それが実現したことは良かったと思います。『春興鏡獅子』には歌舞伎の音楽の素晴らしさもありますし、見栄えもするので、歌舞伎の魅力がすべて揃った演目だと思います。勘三郎さんの舞台をご一緒させていただいた経験もありますし、新年会で勘三郎さんが「60歳までは毎年一回は絶対に踊る」とおっしゃっていたことも覚えています。そして、僕はとにかく踊りが好きなんです。もしまた自主公演ができるなら、『船弁慶』とか『雨乞狐』とか、演ってみたいものを挙げたら舞踊ばかり思い浮かびます。でも、また機会があれば『春興鏡獅子』ができたらいいですね。

中村鶴松(NAKAMURA TSURUMATSU)
東京都生まれ。2000年5月歌舞伎座『源氏物語』竹麿役に本名の清水大希で初舞台。以来、子役として数多くの舞台に出演。2005年5月歌舞伎座『菅原伝授手習鑑』車引の杉王丸で2代目中村鶴松を名乗り、18代目中村勘三郎の部屋子として披露。2018年6月平成中村座スペイン公演では『連獅子』に出演。2021年8月の八月花形歌舞伎では『真景累ヶ淵 豊志賀の死』で主人公の相手役の新吉に抜擢された
──『野崎村』のお光を稽古されていて、どんなことを実感されていますか。
鶴松: お光という役は劇中で大根を切るなど、“仕事”が多い役なんです。決められた手順を義太夫節に合わせて、その語りの間にすべてを終わらせなければなりません。『俊寛』の千鳥も同じように義太夫節に合わせて動くところがありますが、一つ一つの動きがすべて音にはまるので半分踊りのような感覚なんです。ところがお光の作業は一つ一つが区切れていないので義太夫にも合わせづらいですし、その語りの尺に合うように頭の中で計算して動かなければなりません。一方で計算して動いていることを見せないようにしないといけないという難しさもあります。ですから余裕を持たなければならないと思っています。無我夢中になって演じるよりは自分のことを俯瞰して見られたときのほうが意外といいんですね。自分の中に観客の目が一つあるみたいなときは冷静に演じているので、いろんなことを考えながらできるんです。舞台であれをやらなきゃ、これをやらなきゃという状態のときは、あとでダメ出しされても、それ自体全く記憶がないんです。お光になりきることができればそれが一番の理想ですが、七之助さんからは、本当の感情とは違っていても、それを気づかれることなくお客様に伝わるようにしなければならないと言われます。新吉(『真景累ヶ淵 豊志賀の死』)を勤めさせていただいた時は何か月も前から稽古をして、カラオケボックスで一人で稽古したこともありましたが、やり過ぎた結果、あまり視野が広くない独りよがりなものになってしまいました。稽古をしたから良くなるとは限らないこともあるので、難しいですね。
──最後に、『野崎村』のどんなところを楽しんでいただきたいですか?
鶴松:『野崎村』は、登場人物が5人程度で、場面転換も少なく、ストーリーもわかりやすい作品です。かつて、その5人をすべて人間国宝が演じることで話題になったことがありました。お光を(七世)中村芝翫さん、お染を(四世)中村雀右衛門さん、久松を(三世)中村鴈治郎(四世坂田藤十郎)さん、お光の父久作を(五世)中村富十郎さん、後家のお常を(六世)澤村田之助さんという後にも先にもない豪華な配役でした。役と実年齢にかなりの差がありますが、それでも芝居として成立するのが歌舞伎のすごいところだと思います。そのとき芝翫さんが演じたお光を僕が初役として勤めさせていただきます。七之助さんから教わったときに、お光として声を発するときの音程も半音くらいの高さの調整をされているとおっしゃっていました。僕が聞いてもその差がわからなかったのですが、七之助さんが計算し尽くして演じているということを自分が演じる機会をいただいたからこそ知ることができました。先輩方のお光には足もとにも及びませんが、『野崎村』は稽古をした分、身になると思って頑張りますので、その成果をご覧いただけたらと思います。

BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY WATARU ISHIDA, HAIR & MAKEUP BY YUKIKO NAKAJIMA
猿若祭二月大歌舞伎(本公演は終了しています)
昼の部 11:00開演
一、『新版歌祭文 野崎村』
二、『釣女』
三、『籠釣瓶花街酔醒』
夜の部 16:30開演
一、『猿若江戸の初櫓』
二、『義経千本桜 すし屋』
三、『連獅子』
(出演)
片岡仁左衛門、中村福助、中村芝翫、尾上松緑、中村獅童、
中村勘九郎、中村七之助ほか。
※中村鶴松さんは、昼の部『新版歌祭文 野崎村』久作娘お光、
『籠釣瓶花街酔醒』兵庫屋初菊、夜の部『猿若江戸の初櫓』若衆方霧弥
にて出演。
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
上演日程:2024年2月2日(金)〜26日(月)
問い合わせ:チケットホン松竹 TEL. 0570-000-489
チケットweb松竹
中村勘三郎が描いた未来へ。
若きホープ中村鶴松が歌舞伎座で主役に挑む
【後編】
(2024年2月公開記事)

『新版歌祭文 野崎村』久作娘お光=中村鶴松
『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん) 野崎村』は大坂で油屋を営む大店の娘お染と奉公人の久松の心中事件を元にしたお話。お染と許されぬ恋仲になった久松は、養父の久作がいる実家へと戻され、許嫁のお光と祝言を挙げることになる。ところが、それを喜ぶお光の前にお染が現れ、久松の子を身ごもっているから一緒になれないのなら死ぬと訴える。お光は自分が身を引くことで、お染と久松の心中を思い留まらせようとするのだが……。かいがいしく親の世話をしながら暮らしている純朴な田舎娘のお光を、鶴松さんはどのように体現するのだろうか。
──2月2日、初日に見た舞台からの景色はいかがでしたか?
鶴松:舞台に立つ前は、プレッシャーで大変なことになるのではないかと思って恐れていましたが、意外と堂々としていられたように思います。幕が開いてしまえば止まることもないので、自分が思うようにやろうという気持ちでした。2021年の「八月花形歌舞伎」で『真景累ヶ淵 豊志賀の死』で新吉を勤めさせていただいたという経験があったからかもしれないですね。
──初めてお光の扮装をしたときと、本番で演じたときでは、心境の変化や気づくことはありましたか?
鶴松:扮装をしてのスチール撮影は12月に行われ、そのときはまだ僕の身体にお光はそんなに入っていなかったので、本番とは全然違います。稽古の時は、大根を切ったり、お灸をすえたり、やらなければならない仕事や考えることが多くて大変だと思っていましたが、幕が開いてみると、お光の出番が思ったよりは短く感じました。前半はチャキチャキ動いて、お客様が笑ってくださって、あっという間に終わってしまいます。稽古の時から(坂東)彌十郎さんや七之助さんからは「お光はおいしい役だよ」って言われていたんですが、最後に、一人でポツンと立った姿で幕が閉じるのを実際に体験してみて、“おいしい役”だとおっしゃる意味が少しわかったような気がしています。
──今は、お光の扮装をすると、役のスイッチが入る感じですか? また、先輩方から日々いただく指摘には、克服しなければならない課題はありますか?
鶴松:少しずつそうなってきたかもしれないですね。でも、自分で気づけないことは七之助さんが指摘してくださるんですが、今日(2月5日)は「 1800人ものお客様が入る劇場で演じていることを忘れてはいけないよ」という玉三郎さんからのお言葉を教えてくださいました。後半ではお光が悲しみを抱えつつもこらえている芝居なので、震えるような小さな声でささやいたり、息が漏れたような声を発したりしたほうが、お光の心情を演じている感覚はあるんですが、「小声では伝わらないから、歌舞伎座の3階席まで届けないといけないよ」とも言われました。
──世阿弥の「離見の見」という言葉にあるように、「演じている自分を俯瞰した感覚でいるほうが演りやすい」とおっしゃっていましたが、本番ではその境地に達しましたか?
鶴松:自分を客観的に見ることはできていると思います。ただ、僕のお光がいいのか、悪いのかは、自分ではわかりません。特に後半は「冷静でいなさい」と七之助さんから言われているのですが、それが難しいんです。お光は、自分の好きな人のために、自分の幸せを諦めて剃髪した女性ですが、悲しんでいるようには見えてはいけないんです。「私は大丈夫です」という達観した心持ちでいれば、逆にその姿がお客様には悲しく見えるのだと教わりました。これは稽古の段階から言われていましたが、頭で考えれば考えるほど、できなくなってしまって……。“悲しんでいないお光”になるまでには、まだまだ遠い道のりがあると思います。



──中村勘三郎さんには、今、お光を演じていることについて、何か伝えたいことはありますか?
鶴松:勘三郎さんがいろんなお役をなさっていたからこそ、今回、僕もお光を演じる機会をいただくことができたので、とてもありがたいです。まずはその気持ちを伝えたいですが、もし勘三郎さんに会えるなら、僕のお光を見てどう思われるのかということを聞いてみたいですね。今日も歌舞伎座に来るまでの電車の中で、勘三郎さんがお光をなさったときの映像を拝見していて、“今日はここを真似しようかな“と考えていました。最初は「いったん、物まねはやめて、考えないように」といわれて、あまり考えないようにしていたのですが、少し落ち着いてきたので、少しずつ取り入れようと思っています。
──鶴松さんがお手本にしたいと思う勘三郎のお光はどんな感じでしたか?
鶴松:僕が拝見した映像は、勘三郎さんがまだ20代の時に国立劇場(1979年1月)でお光を演じていらした時のものです。当時勘九郎だった勘三郎さんはほっそりしていて、純粋無垢で、真っ白というイメージのお光でした。七之助さんが演じるお光は、いつも女方を演じていらっしゃるだけあって、身体に全部が染みついていて、歩き一つとっても、それらしく見えるんです。勘三郎さんは女方だけでなく立役も演じる方でしたが、日常的な動きにも、何にも染まっていない可愛らしさがありました。勘三郎さんのお光はお染と初めて会ってお辞儀する時に顎を上げる動きをするんですが、本来はそんな動きはしないんです。勘三郎さんがなさると、とても愛らしくて健気に見えました。幕が開いてからは真似をしてみてもいいと言われたので、ぜひ挑戦してみたいと思っています。
──今回、お光を演じたことは、鶴松さんの“歌舞伎役者人生”において、どんな意味があるとお考えですか?
鶴松:『新版歌祭文 野崎村』は義太夫狂言ですし、女方の中で本当に難しくて、挑戦するのが怖かったお役です。僕の仁(ニン・役柄が要求する役者の身体と芸風のこと)に合っていると言っていただくことはありましたが、僕にとってわりと苦手なことが詰まっている印象でした。まだ数日しか演じていないのでこれからどうなるかはわかりませんが、無事に千穐楽を迎えて、お兄さん達(中村勘九郎・中村七之助)が喜んでくださったら、僕にとって、今後どんな役を演らせていただくことになっても、相当な自信につながると思います。
──勘三郎さんの13回忌の追善公演でお光を演じたことへの思いを教えてください。
鶴松:勘三郎さんという方がいたからからこそ実現したことだと思っているので、心から感謝しています。僕の役者人生をかけて真剣に取り組み、25日間ある中で、慣れで演じて悪くならないように、毎日新鮮な気持ちで演じ、一つでも多くを学ぶ事ができたらいいなと思っています。



(左)2月5日、歌舞伎座の稽古場にて。(右)『籠釣瓶花街酔醒』初菊=中村鶴松
中村鶴松(NAKAMURA TSURUMATSU)
東京都生まれ。2000年5月歌舞伎座『源氏物語』竹麿役に本名の清水大希で初舞台。以来、子役として数多くの舞台に出演。2005年5月歌舞伎座『菅原伝授手習鑑』車引の杉王丸で2代目中村鶴松を名乗り、18代目中村勘三郎の部屋子として披露。2018年6月平成中村座スペイン公演では『連獅子』に出演。2021年8月の八月花形歌舞伎では『真景累ヶ淵 豊志賀の死』で主人公の相手役の新吉に抜擢された
BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY WATARU ISHIDA
猿若祭二月大歌舞伎(本公演は終了しています)
昼の部 11:00開演
一、『新版歌祭文 野崎村』
二、『釣女』
三、『籠釣瓶花街酔醒』
夜の部 16:30開演
一、『猿若江戸の初櫓』
二、『義経千本桜 すし屋』
三、『連獅子』
(出演)
片岡仁左衛門、中村福助、中村芝翫、尾上松緑、中村獅童、
中村勘九郎、中村七之助ほか。
※中村鶴松さんは、昼の部『新版歌祭文 野崎村』久作娘お光、
『籠釣瓶花街酔醒』兵庫屋初菊、夜の部『猿若江戸の初櫓』若衆方霧弥
にて出演。
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
上演日程:2024年2月2日(金)〜26日(月)
問い合わせ:チケットホン松竹 TEL. 0570-000-489
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