2025年5月、「團菊祭五月大歌舞伎」において、尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎、尾上丑之助改め六代目尾上菊之助の襲名披露興行が華やかに開幕した。それは音羽屋の大名跡を受け継ぐという、歴史的な瞬間だ

BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY WATARU ISHIDA

 2025年5月、6月と歌舞伎座で2か月にわたって開催されている、八代目尾上菊五郎と六代目尾上菊之助の襲名披露興行。その中心に立つ八代目菊五郎が、襲名後の日々のなかで静かに育まれていく“新たな名跡として生きる”という、その実感を語る。舞台に立ち続けることでしか得られない確信と、未来の歌舞伎に託す希望。その言葉には、一人の表現者としての矜持が息づいていた。

画像1: 『弁天娘女男白浪』弁天小僧菊之助=八代目尾上菊五郎

『弁天娘女男白浪』弁天小僧菊之助=八代目尾上菊五郎

画像: 『口上』右から・七代目尾上菊五郎、八代目尾上菊五郎、六代目尾上菊之助

『口上』右から・七代目尾上菊五郎、八代目尾上菊五郎、六代目尾上菊之助

──5月の「團菊祭」で襲名披露興行が開幕し、日々舞台に立たれる中で「八代目尾上菊五郎」としての実感はどのように深まっていらっしゃいますか?

八代目尾上菊五郎(以下、菊五郎):「團菊祭」という場は、父(七代目尾上菊五郎)や十二代目(市川)團十郎のおじ様が大切に守り続けてこられた公演であり、私にとっても特別なものです。その舞台に、今回は「八代目」として立たせていただくことができました。また、もしも自分が菊五郎になった暁には、(十三代目市川)團十郎さんと舞台をご一緒したいという思いがありましたので、それが昼の部の『勧進帳』で実現いたしました。さらに、2025年は祖父(七世尾上梅幸)の没後30年にあたる年で、襲名披露演目として音羽屋に縁のある『京鹿子娘道成寺』と『弁天娘女男白浪』を演じることもできました。
 『口上』では父からこの度の襲名の披露を申し上げ、一座の方々からは温かいお言葉をいただき、私自身も八代目として菊五郎を襲名させていただくことになったことをご挨拶させていただいております。ですが、実際に舞台に立ってみると、「自分が菊五郎になった」という感覚よりも、恒例の「團菊祭」に身を置いているという感覚だったのが正直なところですし、皆様がお祝いしてくださる中でお芝居ができていることに、まるで贈り物をいただいているように感じておりました。いずれも大切な演目ですので、舞台上では、役に向き合うことに徹したいと思って勤めました。

画像: 『勧進帳』富樫左衛門=八代目尾上菊五郎

『勧進帳』富樫左衛門=八代目尾上菊五郎

──襲名披露興行の『勧進帳』で市川團十郎さん勤める弁慶と、富樫として対峙したことには、どんなことをお感じになられていますか?

菊五郎:團十郎さんとは幼少期から共に育ち、学び、舞台に立ってきた盟友です。学校も同じだったこともあり、学校帰りに一緒に稽古に通ったり、食事をしたりした思い出があります。口上では團十郎さんが毎日のように内容を変えてそうした日々の思い出を語ってくださって、それを聞きながら私自身も過去を振り返ることが多くありました。
 歴史上でも、初代菊五郎は二代目團十郎さんに見出されて江戸に出てこられましたので、そういう意味でも「團菊祭」で襲名できたことに幸せを感じております。だからこそ團十郎さんをはじめ、同世代の皆様と共に「團菊祭」を大切にし、歌舞伎界をさらに盛り上げることができる一人になりたいと思っております。

 團十郎さんとは今はなかなかお芝居をする機会がありませんので、『勧進帳』においては、それぞれが積み重ねた時間と経験のすべてが、弁慶と富樫の間に流れる感情として自然に滲み出て、役の深さへと繋がっていったのだと思います。3年前の團十郎襲名披露の際にも同じ役で対峙しましたが、今回は弁慶と富樫として、より役の心情に寄り添って、忠義と忠義のぶつかり合いという主題が浮かび上がってきたのではないでしょうか。

 忠義という概念は現代社会ではやや遠いものに感じられるかもしれません。しかし、弁慶が義経を慮る心、富樫が頼朝への敬意を抱きながらも葛藤する心など、『勧進帳』には日本人の根底にある“人を思いやる”ということが色濃く描かれていることを、この演目を演じるたびに再認識しております。

画像: 『京鹿子娘道成寺』白拍子花子=六代目尾上菊之助(右)、白拍子花子=八代目尾上菊五郎(左)

『京鹿子娘道成寺』白拍子花子=六代目尾上菊之助(右)、白拍子花子=八代目尾上菊五郎(左)

画像: 『京鹿子娘道成寺』白拍子花子=八代目尾上菊五郎(右)、白拍子花子=六代目尾上菊之助(中央)、白拍子花子=坂東玉三郎(左)

『京鹿子娘道成寺』白拍子花子=八代目尾上菊五郎(右)、白拍子花子=六代目尾上菊之助(中央)、白拍子花子=坂東玉三郎(左)

──舞踊『京鹿子娘道成寺』では坂東玉三郎さんと、六代目を襲名されたご子息の尾上菊之助さんとの三人での共演が実現しました。この作品にはどのような思いを託されたのでしょうか?

菊五郎:『道成寺』は、玉三郎のお兄さんに『二人道成寺』を教えていただいてからこの演目について深く考えるようになりました。そして音羽屋にとりましても、六代目以降、特に大切にされてきた舞踊です。この演目を披露することが叶ったのも、何かの縁と感じております。ですから『道成寺』は菊之助と踊ることを念頭に置いていたところ、玉三郎のお兄さんが「私もその中に入りましょう」とおっしゃってくださった。これは私にとって、思いもよらぬ光栄でしたし、これ以上のお祝いはないと思い、毎日、毎日本当に嬉しく舞台に立たせていただいておりました。

 玉三郎のお兄さんと共演することは、私も緊張いたしますし、菊之助も大変緊張しておりましたが、お兄さんと踊った経験というものが彼にとっても大きな財産になると思っております。お兄さんもおっしゃっていましたが、舞台上での直接のやり取りに留まらず、その舞台に対する姿勢や在り方を間近に感じる機会でもあります。『道成寺』というものにどのように向き合い、作品についていかに深く考えるか、それと同時に歌舞伎俳優としてどのように歌舞伎と向き合うのかということを教えていただいていると思います。将来、必ずやこの経験が大きな糧となるはずです。

画像: 『京鹿子娘道成寺』白拍子花子=八代目尾上菊五郎

『京鹿子娘道成寺』白拍子花子=八代目尾上菊五郎

──『弁天娘女男白浪』では、18歳で初役を勤められた弁天小僧に再び挑まれました。今回改めて演じるにあたって意識されたことはありましたか?

菊五郎:弁天小僧菊之助は五代目に当て書きされたお役で、五代目が19歳のときに初演されました。その若さゆえの不安定さ、未熟さが魅力であり、要でもあると改めて感じています。錦絵から着想を得た形の美しさ、黙阿弥さんが考えてくださった七五調の詞章の響き、そうした伝統的要素を大切にしながらも、今回は特に“弁天小僧菊之助という人物の人生”を通して、その揺れ動く心情を丁寧に演じることを心がけました。

 若き日の自分と比べますと、今の私はいろいろなお役や経験を通して勉強させていただいておりますので、こう演らなければならないという技術よりも、“役として生きる”ことに重きを置いています。それを考えているようではまだまだなのですが、これまでの経験を生かし、自分を消して役そのものになりきることを目指しております。

画像2: 『弁天娘女男白浪』弁天小僧菊之助=八代目尾上菊五郎

『弁天娘女男白浪』弁天小僧菊之助=八代目尾上菊五郎

──今回、ご子息が六代目尾上菊之助を襲名されたことについて、俳優として、また父として、どのような思いを抱いていらっしゃいますか。

菊五郎:襲名することが決まってから、彼は約1年間かけて、『道成寺』をはじめ『車引』や『弁天』といった演目の稽古に真摯に取り組んできました。稽古というのは、精神的にも肉体的にも厳しいものです。それでも彼が舞台に立ち続けることができるのは、何より芝居が好きだから、ということだと思います。ですから、どんなに辛い稽古だとしても食らいついてきます。未熟な部分はもちろんありますが、舞台上で稽古の成果を確実に表現できている。その姿を見ていると、役者としての芯が育ちつつあることを実感します。

 そして代々が築き上げてきた歴史の中で、名前を受け継ぐということが、役者としての自覚を作り上げます。舞台に向かう姿勢というものを、自然と「菊之助」という名前に育てていただいているのだと、私自身の経験からも強く感じています。私も菊五郎という名前を襲名させていただいたので、歴代の菊五郎を振り返って、これからどんな菊五郎をつくっていくのかということを、もっと深く考えていかなければいけません。菊之助も、私が29年間名乗って参りました名前を受け継いだことが、時代物、世話物、立役、女方といったたくさんのことを勉強したいという気持ちにさせている。歴代の先人達が築き上げた名前のおかげだと思います。

画像: 『弁天娘女男白浪』青砥左衛門藤綱=七代目尾上菊五郎(右)、伊皿子七郎=八代目尾上菊五郎(左)

『弁天娘女男白浪』青砥左衛門藤綱=七代目尾上菊五郎(右)、伊皿子七郎=八代目尾上菊五郎(左)

──今後は、お父様の七代目尾上菊五郎さんとともに三代でともに舞台を重ねていく機会も増えていくことと思います。改めてその展望についてお聞かせください。

菊五郎:私は祖父から「菊之助を襲名しなさい」といわれた時に、自分に自信がなく1年先に延ばしたのですが、その間に祖父が亡くなってしまいました。ですから、祖父、父、私の三代での共演で祖父に私の襲名を見届けていただくことは叶いませんでした。祖父の没後30年を迎えた年に、父と私、そして菊之助と三人で舞台に立って襲名させていただくことが、祖父への恩返しになったら嬉しいです。父にも、これからも元気で、もっと舞台に立って欲しいので、七代目、八代目の菊五郎が並び立って、菊之助と友に数多くの共演を重ねることができたらという思いでおります。

──最後に、「八代目尾上菊五郎」として、今後の歌舞伎の未来にどのような思いを抱いていらっしゃいますか?

菊五郎:今年は「松竹創業130周年」という節目の年でもあり、古典の通し狂言や新作歌舞伎など、さまざまな試みに満ちています。私自身もこの記念すべき年に襲名できたことに、大きな意味を感じています。

 歴代の菊五郎が貫いてきた「伝統と革新」の精神——それは、古典作品を大切に守りつつ、時代に応じた新たな試みに挑むという両輪をなすこと。今、歌舞伎界全体がその精神を改めて見つめ直し、行動に移そうとしている時期にあると感じています。

 私たちが守るべきものは、単なる形式や型ではなく、そこに宿る精神性です。それを次の世代につなげていくためには、より多くの方々に歌舞伎の魅力を知っていただきたい。そのために、古典作品を突き詰めると同時に、現代の観客に寄り添う表現を探る努力を続け、世界の皆様に向けてアピールしていきます。私も八代目として、この時代の責任を背負いながら、未来へ向けて一歩ずつ歩みを続けていきたいと考えています。 

          

八代目尾上菊五郎、六代目尾上菊之助襲名披露興行は、引き続き歌舞伎座の「六月大歌舞伎」で開催中。八代目菊五郎は、昼の部『菅原伝授手習鑑 寺子屋』と夜の部『口上』『連獅子』に出演する。

八代目尾上菊五郎(Onoe Kikugoro)
東京都生まれ。七代目尾上菊五郎の長男。84年2月歌舞伎座『絵本牛若丸』の牛若丸で六代目尾上丑之助を名乗り初舞台。96年5月歌舞伎座『白浪五人男』の弁天小僧ほかで五代目尾上菊之助を襲名。2025年5月八代目尾上菊五郎を襲名。

尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎襲名披露
尾上丑之助改め六代目尾上菊之助襲名披露
六月大歌舞伎

昼の部 11:00開演
一、『元禄花見踊』
二、『菅原伝授手習鑑』「車引」「寺子屋」
三、『お祭り』

夜の部16時15分開演
一、歌舞伎十八番の内『暫』
二、八代目尾上菊五郎 六代目尾上菊之助 襲名披露『口上』
三、『連獅子』
四、『芝浜革財布』

※八代目尾上菊五郎さんは、
昼の部『寺子屋』、
夜の部『口上』『連獅子』に出演。

会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
上演日程:2025年6月2日(月)〜27日(金)
問い合わせ:チケットホン松竹 TEL. 0570-000-489
チケットweb松竹

「尾上菊之助 改め 八代目 尾上菊五郎 尾上丑之助 改め 六代目 尾上菊之助 襲名展」
「京鹿子娘道成寺」の衣裳や新作歌舞伎『ファイナルファンタジーⅩ』の小道具の剣のレプリカなど、八代目菊五郎ゆかりの貴重な品々を展示する記念展が銀座三越で開催中。
会期:〜2025年6月30日(月) [最終日午後6時終了]
会場:銀座三越 新館9階 銀座テラス テラスルーム
   ※入場無料
特設サイトはこちら

山下シオン(やました・しおん)
エディター&ライター。女性誌、男性誌で、きもの、美容、ファッション、旅、文化、医学など多岐にわたる分野の編集に携わる。歌舞伎観劇歴は約30年で、2007年の平成中村座のニューヨーク公演から本格的に歌舞伎の企画の発案、記事の構成、執筆をしてきた。現在は歌舞伎やバレエ、ミュージカル、映画などのエンターテインメントの魅力を伝えるための企画に多角的な視点から取り組んでいる。

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