読む手が止まらない!とはまさにこの3作品にあてはまる評価だろう。面白過ぎて時間が経つのを忘れ、読書に没頭という“沼っぷり体験”を保証する、話題のミステリをご紹介。書評家・石井千湖がピックアップする今月の3冊で至極の読書時間を――

BY CHIKO ISHII

 2026年は翻訳ミステリの当たり年らしい。4月の時点で年間ベストテンにランクインしそうな話題作が3冊もある。

異色の捜査官×すべてを記憶する男
『記銘師ディンの事件録 木に殺された男』

 まずは世界幻想文学大賞とヒューゴー賞をダブル受賞し、MWA賞の最終候補にもノミネートされたロバート・ジャクソン・ベネットの『記銘師ディンの事件録 木に殺された男』(桐谷知未訳)。つまり、ファンタジー、SF、ミステリという3ジャンルを代表する文学賞が評価した作品だ。

画像: 『記銘師ディンの事件録 木に殺された男』ロバート・ジャクソン・ベネット 著、桐谷知未 訳、 富田童子 カバーイラスト、大野リサ カバーデザイン ¥3,960/早川書房

『記銘師ディンの事件録 木に殺された男』ロバート・ジャクソン・ベネット 著、桐谷知未 訳、
富田童子 カバーイラスト、大野リサ カバーデザイン
¥3,960/早川書房

 物語の舞台は、神聖カナム大帝国という異世界。毎年雨季になると、東の海から “リヴァイアサン”と呼ばれる巨獣が襲来する。リヴァイアサンの侵入を食い止めるため、帝国は巨大な防壁を築き、さまざまな生体改変技術を発達させていた。
 主人公のディンは、目で見たあらゆるものを永遠に記憶するよう改変された記銘師だ。司法省捜査官アナの助手として、ディンはある殺人事件の現場に派遣される。現場は帝国有数の地主貴族の屋敷で、被害者は技術省の司令官。遺体は寝室の中央で宙吊りになり、葉の茂る木々に引き裂かれていた。ディンの報告を聞いただけで、アナはあっという間に殺害方法を明らかにする。司令官を死にいたらしめたのは、感染した人間の体内で爆発的に生長する変異体植物だった。犯人は何者か。なぜ司令官を殺したのか。アナとディンは事件の背景を探っていく。

 アナは誰に対しても傍若無人で、 “いかれた家猫”のような中年女性。捜査官でありながら屋内に引きこもり、目隠しをしたまま情報を集め、鋭い洞察力で謎を解く。いわゆる安楽椅子型の名探偵だ。助手のディンは、生真面目な若い男性。多くの省の採用試験に落ちて、ようやく司法省に雇われたものの、まだ見習い期間で不安定な立場だ。アナに言えない秘密も抱えている。対照的なコンビのやりとりがいい。
 たとえば、アナは彼女がどんな能力強化を受けたのか知りたがるディンにこんなことを言う。〈まったく、最近の帝国の問題はそれだよ……取り澄ました連中はみんな、重要なのはただひとつ、ちっぽけな生物のどれを選んで血のなかに巡らせ、脳を改変し、見えかたや感じかたや考えかたを変えるかだと信じてる。だけどね、能力強化と組み合わされる人間のほうも、どんな能力強化を受けるかと同じくらい大事なんだ。誰だって多少は、どんな人間になるかを自分で決める力を持ってるんだよ、ディン〉。自分を改変して超能力者になることが当たり前の社会で、アナは異なる視点で物事を見られる人物なのだ。ディンはアナのもとで働くうちに未知の自分を発見する。
 事件の全貌があらわになったあと、アナがディンに帝国とは何か尋ねるくだりもいい。人々を脅かす巨獣がリヴァイアサンである意味を考えてしまう。リヴァイアサンは旧約聖書においては神の力の偉大さをしめすために倒される怪物の名前であり、英国の政治思想家ホッブスが国家について論じた名著のタイトルとしても知られるからだ。

 帝国とは何か。ふたりの答えをぜひ読んで確かめてほしい。奇想天外で魅惑的な異世界を描きつつ、現実世界にある問題も照らしだす。深みのあるエンターテインメント小説だ。

ドイツ発“法律もの”ミステリの新星
『暗黒の瞬間』

 エリーザ・ホーフェンの『暗黒の瞬間』(浅井晶子訳)は、犯罪を通して人間の底知れなさにせまる連作短編ミステリだ。主人公のエーファはベルリンの刑事弁護士で、文学教授の夫とふたり暮らし。30年以上にわたる弁護士人生に終止符を打つことにしたエーファは、これまで関わった中でも忘れがたい九つの事件について語っていく。
 外国人の強盗を射殺した大富豪の老人が無罪を勝ちとる「正当防衛」、ベストセラー作家による殺人の隠蔽工作「生かしておく」、ウガンダから逃げてきた難民が人道に対する罪および戦争犯罪で裁かれる「少年兵」など、いずれも事件が解決したあとに、世界が反転するような“暗黒の瞬間”があらわれる。

画像: 『暗黒の瞬間』エリーザ・ホーフェン 著、浅井晶子 訳、チカツタケオ 装画、中村聡 装幀 ¥2,530/東京創元社

『暗黒の瞬間』エリーザ・ホーフェン 著、浅井晶子 訳、チカツタケオ 装画、中村聡 装幀
¥2,530/東京創元社

 エーファは〈人というのはその行為に集約されていい存在ではない。殺人犯も、人生のほとんどの時間を普通の人として暮らしてきた。ときには善良な人間でさえある〉と考え、法を正しく用いて依頼人を助けようとする。しかし、事件にのめり込みすぎて、法律家としては逸脱した行動をとることがある。どうしてそうなったかという謎が、九つの話をつないでいる。
 とりわけ衝撃を受けたのは「強姦」だ。友人の“独身さよならパーティー”を開いた男たちが、クラブのVIPルームで少女をレイプした。抵抗した少女は重傷を負った。容疑者は11人。目撃者の証言によれば、そのうちひとりだけが早くクラブを出て、犯行には加わらなかった。逮捕された男たちは、みんな自分こそが無実のひとりだと主張する。
 11人のうち10人が有罪なのに、先に帰ったひとりが誰かわからなければ、裁判官は被告人全員に無罪判決を下すしかない。“疑わしきは被告人の利益に”が原則だからだ。被害者は警察が見せる写真の中から加害者を特定し、裁判にも参加することになるが……。倫理観を揺さぶられ、複雑な後味が残る法廷小説だ。

 著者のホーフェンは刑法を専門とする現役の法学者であり、裁判官も務めているらしい。法を熟知しているゆえに感じているであろうジレンマが、作品に見事に反映されている。

“敵ばかり”の館で助け合う二人。
『ハレー彗星の館の殺人 老令嬢探偵の事件簿』

 ロス・モンゴメリの『ハレー彗星の館の殺人 老令嬢探偵の事件簿』(村山美雪訳)は、面白すぎて発売前に14か国が版権を取得したということで注目を集めた。舞台は1910年の英国。ハレー彗星が地球に接近する日、少年院を出たばかりのスティーブンは、紹介状をもらってタイズ館と呼ばれる屋敷へ向かう。タイズ館は満潮時には土手道が海に沈んで島となるワールズ・エンドという土地に建っている。

画像: 『ハレー彗星の館の殺人 老令嬢探偵の事件簿』 ロス・モンゴメリ 著、村山美雪 訳、 原田俊二 カバーイラスト、鈴木成一デザイン室 章扉デザイン ¥1,540/KADOKAWA(角川文庫)

『ハレー彗星の館の殺人 老令嬢探偵の事件簿』 ロス・モンゴメリ 著、村山美雪 訳、
原田俊二 カバーイラスト、鈴木成一デザイン室 章扉デザイン
¥1,540/KADOKAWA(角川文庫)

 ハレー彗星の到来によって地球は滅亡の危機を迎えるという説が広まり、世の中は騒然としていた。タイズ館の当主であるストッキンガム子爵は、彗星の尾に含まれる有害なガスが入ってこないように屋敷を封鎖する。使用人はすべての窓と扉にベニヤ板を打ちつけ、屋敷じゅうをくまなく密封する作業に追われていた。そんな混乱のなかで、スティーブンは、子爵の叔母であり、一族の厄介者扱いされている“魔女のおばあさん”ミス・デシマの世話役として雇われる。
 このデシマがとても魅力的な人物だ。部屋はどこもかしこも紙だらけで、貴婦人とは思えない格好で書きものをしている。世界が終わると信じ込んでいる甥を“イカれぽんぽんちき”と呼び、彗星を観測するため外に出ると言って譲らない。デシマとスティーブンは屋敷を脱出して、荒れ野に望遠鏡を設置する。デシマは天空を見つめ、スティーブンは彼女の口述をノートに書き留める。美しい場面だ。

 デシマは科学者なのだ。王立協会で論文を発表したこともあるけれども、女性というだけで未婚のまま長く父の世話をさせられた。それでも研究を諦めなかったデシマが、建物全体が密室状態の屋敷で起こった殺人事件に挑む。〈頭を低くしていたら、何ひとつ見えないじゃないの。それに、戦ってこそ面白さも味わえる〉と言って警察や容疑者と堂々と渡り合い、事実をもとに論理的に真相を突きとめていく。
 おばあちゃん子で若い女性は苦手なスティーブンが、メイドから情報を集めようとして、塩漬けのハムを顔面に食らうくだりは思わずふきだした。謎解きはもちろんユーモアにも惹きつけられる本格ミステリだ。

石井千湖のブックレビュー「本のみずうみ」記事一覧へ

画像: 石井千湖 書評家、ライター。大学卒業後、8年間の書店勤務を経たのち、現在は新聞、週刊誌、ファッション誌や文芸誌への書評寄稿のほか、主にYouTubeで発信するオンラインメディア『#ポリタスTV』にて「沈思読考」と題した書評コーナーを担当。

石井千湖
書評家、ライター。大学卒業後、8年間の書店勤務を経たのち、現在は新聞、週刊誌、ファッション誌や文芸誌への書評寄稿のほか、主にYouTubeで発信するオンラインメディア『#ポリタスTV』にて「沈思読考」と題した書評コーナーを担当。

▼あわせて読みたいおすすめ記事

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.