新世代のデザイナーたちは過去のロシアのまばゆい幻影よりも、ソビエトの時代のリアルな記憶そのものをファッションに投影する

BY ALEXANDER FURY, ILLUSTRATIONS BY PIERRE LE-TAN, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

 ディアギレフのバレエ団が1929年に解散したのちも、その影響は後年まで残り、それから約50年後、つまり70年代末にイヴ・サンローランは「ロシア・コレクション」を発表した。1976年のこのクチュール・コレクションには、タッセルつきブーツ、スラブ風の刺しゅう、目を奪うような「パパーハ(コーカサス地方の毛皮の帽子)」が登場したが、これらは実際ロシアのものではなかった。

サンローランがテーマにしたのは“空想上のロシア”だったからだ。同じようにバレエ・リュスも理想のロシアを描いた。ディアギレフは、革命の瀬戸際にあったロシアの現実より、帝政時代の豊かさや美化した農民生活(と農奴の身分)を描き、当時の厳しい現実から目を背けたのだ。また、バレエ・リュスの結成直後に、図らずもロシアで政治的騒乱が勃発したため、彼らはロシア国内での興行が実現できなかった。1909年と1976年のファッションでロシアが象徴したもの、それはただ単に“異郷”だった。過去と、異国の地への憧憬の象徴にすぎなかったのだ。

画像: 空想の翼を広げて 1976年のイヴ・サンローランの「ロシア・コレクション」と、現在活躍するモスクワのデザイナー、ウリヤナ・セルギエンコやヴィカ・ガジンスカヤの優美なドレス。ロシアの民族服や王室の衣装は、ファッションの世界でつねに理想化されて美しく描かれている。

空想の翼を広げて
1976年のイヴ・サンローランの「ロシア・コレクション」と、現在活躍するモスクワのデザイナー、ウリヤナ・セルギエンコやヴィカ・ガジンスカヤの優美なドレス。ロシアの民族服や王室の衣装は、ファッションの世界でつねに理想化されて美しく描かれている。

 カリーニングラード市で見たゴーシャ・ラブチンスキーのコレクションは、一見してそれとはまるで違うものだった。確かにロシア的なのだが、どこまでも現実的で夢や理想など投影されていない。ラブチンスキーは、丸刈りで顔は青白く、愛嬌のある笑顔を見せなければフーリガンと見間違えそうな風貌のデザイナーだ。彼はよく、デムナ・ヴァザリア、ロッタ・ヴォルコヴァとひとまとめに扱われる。

ヴァザリアは「ヴェトモン」のデザイナーで、2015年には誰もが羨望する「バレンシアガ」のクリエイティブ・ディレクターにも就任した。ヴォルコヴァは2017-’18年秋冬のショーで「ヴェトモン」と「バレンシアガ」のほか、イギリスの「マルベリー」やイタリアの「エミリオ・プッチ」などのスタイリングを手がけたスタイリストだ。3人は新しいロシアン・スタイルの魅力を発信し、“新時代のバレエ”つまり、東欧と西欧の美意識を融合したムーブメントを繰り広げている。

画像2: ソビエトの記憶を刻んだ
ロシアという新しいモード
<前編>

 1991年12月25日に崩壊したソ連の、厳しい制約や奇妙さをテーマにしたラブチンスキーのショーには、欧米のスポーツウェアをコピーしたような服が登場する。次の秋冬向けに発表されたポリエステルのブライトカラーのTシャツには、「футбол(サッカー)」という言葉がプリントされていた。これはアディダスとのコラボレーションアイテムだが、アディダスの3本ラインとキリル文字の組み合わせが、ニューヨークのチャイナタウンでよく目を引く模造品のように見える。

彼は先シーズンも似たようなアイデアを試した。コラボレーターである「カッパ」や「フィラ」のブランド名の下に、彼自身の名前を特殊で装飾的なキリル文字で刻んだのだ。ロシア語を知らないと意味はわからないが、そのひっくり返したような書体のかたまりが何を示すのかはわかる。そこには“よくわからないからこその魅力”があるのだろう。

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