人馬一体、道を究める。そんな馬術の魅力を知っていますか? 日本が誇る3人の馬術師の、それぞれの軌跡と抱負をスペシャルインタビューでご紹介

BY KEIICHI HARAGUCHI, PHOTOGRAPHS BY TAMAKI YOSHIDA, STYLED BY MAKI OGURA, HAIR & MAKEUP BY KEITA IIJIMA(MOD’S HAIR)

石井直美さん(パラ馬術)

画像: 馬術師たちはバレリーナのようにきゃしゃでありながら、鍛え抜かれた体幹と強靭な筋肉を持つ。石井さんも然り。LIFEのロゴが冴える生き生きとしたニットを颯爽と着こなしてくれた ニット(参考色)¥95,000 モンクレール ジャパン(モンクレール) TEL. 03(3486)2110 ヘルメット、乗馬パンツ、グローブ、ブーツは本人私物

馬術師たちはバレリーナのようにきゃしゃでありながら、鍛え抜かれた体幹と強靭な筋肉を持つ。石井さんも然り。LIFEのロゴが冴える生き生きとしたニットを颯爽と着こなしてくれた
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モンクレール ジャパン(モンクレール)
TEL. 03(3486)2110
ヘルメット、乗馬パンツ、グローブ、ブーツは本人私物

 馬場馬術という競技は、知識がさほどない私たちから見るとわかりにくいところがたくさんあるスポーツだ。馬は自らの意思で駈歩(かけあし)を始めたり、回転したり、前足を交互に高く上げる歩様を見せたりと、実に多彩な動きを見せる。その間、騎手はほとんど何もせずに鞍上で座っているだけのように見える。いかに躍動的に美しいステップを馬が踏むか、そして正確な図形を描き出すか、それらを人馬の美しい動きと姿勢で行えるかで採点されるのが馬場馬術で、人はほとんど優雅に静かに座っているだけのように見えるほうが、高得点を期待できる。

 100Kgのバーベルを持ち上げる腕力も、誰よりも速く走る脚力も馬場馬術では求められない。この競技で求められるのは、同じことを何度でも繰り返して馬と自身の体に教え込む忍耐力と常に平常心を保ち続けられる精神力、そしてどんな動きでもバランスを崩さない体幹の強さだ。動物と共に競う唯一の競技であり、老若男女の区別もない馬術競技には、馬と一体になるコミュニケーション能力が何よりも求められる。ロンドン五輪で71歳の最高齢のオリンピック選手として話題になった法華津 寛氏も馬場馬術の選手だが、馬の声を聴き、馬を鼓舞し、いたわることで、強い信頼の絆を馬との間に築きあげてきた。それには心の鍛錬も必要だ。ライダーがイライラしたり集中力を欠いていたりすると馬も不安になって挙動にそれが出る。人が気力も集中力も充分な状態で騎乗すれば、馬もその期待にしっかりと応えてくれる。

 石井直美さんが乗馬を始めたのは、44歳の時。勧めてくれたのは夫で「障がい者でも乗れるらしいよ」という一言がきっかけだ。子どもが独り立ちして夫婦二人の生活に戻り、さあこれからどうしようかという時だった。「それまで目的を持って何かに集中するということがなかったので、そろそろ自分に投資して、妥協せずに何かをやってみてもいいのかな」と思い立ち、乗馬クラブの門を叩いたという。勧めた夫は、“乗馬セラピー”的な楽しみ方を想像していたようだが、検定試験を受けて一つずつステップアップしていくうちに、彼女は競技としての乗馬に目覚めていった。もともと動物が好きでその動物と力を合わせて挑む馬術は、石井さんにうってつけのスポーツであったようだ。

 10歳の時に事故で右上腕部の欠損というハンデを負って以来、スポーツらしいスポーツはほとんどしてこなかったという石井さん。最初は、片手で馬に乗るということに多少の不安を覚えたものの、その戸惑いはすぐに克服したという。
「そもそも両手で手綱を握るという経験がないので、騎乗した際の違和感みたいなものは感じたことがありません。こんなものなのかなというだけですね」と石井さんはいうが、馬という動物はあれだけの大きな身体でありながら、バランスに関しては相当デリケート。ライダーが少し左に重心を傾けると馬も左に流れるし、緊張して身体が硬直したまま騎乗すれば、馬は前脚で立ち上がらんばかりの挙動を見せる。その馬をバランスよく御するために、石井さんは自分専用の特殊な手綱を使う。左右の手綱の間に棒を渡し、その中央を握ることでハミから馬への指示が左右均等に届くように工夫している。義手をつけて騎乗するのも、そのほうが正しいバランスを見つけやすいだろうという、馬への配慮でもある。

 パラ馬術は障害の程度によって5つのグレードに分かれているが、石井さんが属するのはグレードⅤ。障がいの程度がもっとも軽い選手が集まるこのカテゴリーは、障がいの状況も幅広いうえに、求められる競技内容のハードルも高いのだ。騎乗にほとんど支障をきたさない指一本欠損の選手もいれば、石井さんのような選手もいる。ハンデ差にもかかわらず同じ土俵で競うわけだが、2018年の全日本パラ馬術大会、2019年3月の「CPEDI3★ Gotemba 2019 Spring」という大きな公認競技会のグレードⅤで、石井さんは見事に優勝する。乗馬を始めてからわずか10年での快挙だ。それでも東京パラリンピックの日本代表になるには、もう1ランクのステップアップが必要という。「60%の壁というのがあるんです。62%以上の成績をとらないと日本代表になれませんが、私の場合は、今、55〜56%。相当頑張らないと60%の壁は越えられません」と現状分析をする。

 馬場馬術は決められた複数の運動チェックポイントを10点満点中の獲得点で採点し、その総合得点が満点の何%にあたるかで最終点数が決まる競技。これを5%上げるのは、人馬ともに大きな覚悟と努力が必要となる。そこまで乗馬に打ち込むエネルギーがどこから来るのか石井さんに訊いてみた。「10歳で障がい者となり、それからずっと社会からさまざまな支援を受けてきました。社会に対して私なりに恩返しをしたいという思いがまずありますね。それと昔読んだ経営コンサルタントの田辺昇一さんの著書のなかに“革命を起こせ”というフレーズあり、なぜかずっと頭に残っていて、それに刺激されたところもあります」

画像: 石井直美(NAOMI ISHII) 1964年生まれ。サンセイランディック所属。44歳で乗馬を始め、左手のみで手綱を持ち、馬を制御。2018年全日本パラ馬術大会 グレード V 1位

石井直美(NAOMI ISHII)
1964年生まれ。サンセイランディック所属。44歳で乗馬を始め、左手のみで手綱を持ち、馬を制御。2018年全日本パラ馬術大会 グレード V 1位

 いつも自分を支えてくれた社会への恩返しと彼女はいうが、本来であれば障がいの有無に関わらず、誰もが負い目を感じずにありのまままで暮らせる社会が理想であることはいうまでもない。ともあれ、一人の社会人としての責任感が乗馬へのエネルギーという形にも表れているのだろう。年齢を重ねると共に、障がいにまつわる恥ずかしいという気持ちも薄れてきたのだという。マイナスととらえていたことも、プラスととらえることができる。彼女のその思いが、日々コツコツと努力を積み重ねていく鍛錬へと直結しているのだ。

 現在、石井さんは「サンセイランディック」という不動産関係の会社に所属している。ニッチな不動産案件を丁寧に扱う会社で、彼女の活動を支援してくれている。週に4日、あるいはそれ以上のペースで石井さんはつくば市の「乗馬クラブ エトワール」に通っている。東京パラリンピックでの日本代表入りを共に目指す予定のパートナー“ゴールドティア”もこのクラブにいて、代表の中島悠介氏の訓練を受けている。

 ラジコン飛行機が趣味という夫は、毎週のように谷和原インターの近くまで通っていた。互いにつくば周辺に縁があるのであればということで、それまで住んでいた浦安からつくば市へと居を移すことになった。その結果が、週4日のトレーニングスケジュールを、現実のものにしてくれた。

「でも、私が馬術に入れ込むほど、家族をはじめまわりに迷惑をかけているんではないかと思うときもありますね」という石井さん。競技としての乗馬に当初は消極的であった夫も、石井さんの馬術に向き合う情熱を目の当たりにして、次第にペットの世話を買って出るなど留守を守ってくれるようになったという。高齢のご両親のことも気がかりで、今は兄弟が気遣ってくれているとのことだが、「いつまでも周りの人に甘えているわけにはいかないと思っています」

 だからこそ、石井さんは今、馬術に意集中して取り組もうとしている。確かな結果を出すこと、それが彼女を取り巻く人たち、彼女を支えてくれる人々への何よりの恩返しになることを、彼女自身が誰よりもわかっているからだ。

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