アフリカはファッションの救世主となるか。栗野宏文がファッションの持つ力と希望をアフリカ・ナイジェリアの若手アーティストたち――カダラ・エニヤシや南アフリカのテベ・マググ、そして日本の新進ブランドとの交流から感じた、これから始まるものとは?

BY HIROFUMI KURINO, JUN ISHIDA(対談), PHOTOGRAPHS BY YUSUKE ABE

若手アーティストが表現するナイジェリアの現在
「FACE.A-J」の会場ではナイジェリア出身のアーティストで写真家の、カダラ・エニヤシの作品も展示された。カダラ来日に尽力した栗野宏文が、その作品の魅力について本人と語り合った。

画像: カダラ・エニヤシとユナイテッドアローズ上級顧問の栗野宏文。カダラは1994年生まれのアーティスト。欧米の写真美術館やアートスペースでもアフリカを代表する若手写真家の一人として作品を発表している

カダラ・エニヤシとユナイテッドアローズ上級顧問の栗野宏文。カダラは1994年生まれのアーティスト。欧米の写真美術館やアートスペースでもアフリカを代表する若手写真家の一人として作品を発表している

―― おふたりはどのように出会ったのですか?

栗野 6月にメンズ・コレクションでパリに行った際に、パレ・ド・トーキョーで『City Prince/sees』という展覧会が行われていました。そこで展示されていたのがカダラの作品で、とても力強いものでした。ナイジェリアのアーティストだと知り、ちょうど7月にナイジェリアのラゴスに行く予定があったので、コンタクトをとりました。実際に会って話してみると、アート、映画、音楽といろいろな分野で共通点が見つかりました。

カダラ 栗野さんに日本に興味はある?と聞かれたので、もちろんと答えました。そして今回初めて日本を訪れることになりました。

―― カダラさんは、建築を学んでいたと聞きました。写真家に転身したのはなぜですか?

カダラ 写真は子どもの頃から撮っていました。小さなニコンのデジタルカメラを使って、最初の被写体は妹でした。その後、大学に進み建築を専攻しました。ドローイングの技術があったので、建築家かエンジニアになることを勧められ、建築のほうがよりアートに近いと思い建築を選んだのです。進学後も写真は続け、偶然にもファッションデザイナーからキャンペーン写真の撮影をオファーされ、写真家としてのキャリアがスタートしました。

画像: カダラの作品『Ateleowo(Palm)Scenario:After the L’Ouverture』(2015年) COURTESY OF ARTIST

カダラの作品『Ateleowo(Palm)Scenario:After the L’Ouverture』(2015年)
COURTESY OF ARTIST

栗野 初期のコラージュ作品には建築的要素が見受けられますね。

カダラ この作品(下の写真)は、僕の建築家への欲望を表すものです。コラージュのアイデアは建築理論から影響を受けていて、「L’Ouverture」シリーズは、ル・コルビュジエの「近代建築の五原則」をベースとしています。彼はファサードをデザインする際に多くの対角線を用いましたが、僕の作品にもそれを応用しました。ほかにもウォン・カーウァイの映画やピエト・モンドリアンの作品を参考にしています。さまざまなメディア、カルチャーをクロスオーバーさせて作品を作っています。

画像: カダラの作品『On some faraway beach, L’OuvertureI』(2013年) COURTESY OF ARTIST

カダラの作品『On some faraway beach, L’OuvertureI』(2013年)
COURTESY OF ARTIST

栗野 ル・コルビュジエは常に作品の原点でありインスピレーションの源なんですね。あなたの作品のポリティカルな要素も興味深く思います。

カダラ 僕はゲイなのですが、ナイジェリアでは同性愛は違法で、最大14年の禁錮刑となる可能性があります。ですので、カミングアウトはしていませんが、カメラの前では自分自身をさらけ出したいと思いました。セクシュアリティやボディ・ポリティクスはナイジェリアでは緊張感のあるトピックスだからこそ語らなければなりません。ファッション写真でも、できる限りそのテーマをしみこませようと、スタイリングやセットデザインのディレクションを行なっています。

栗野 発表した当初、ナイジェリアの人々の反応はどうだったのですか?

カダラ 最初はあまりセクシュアリティをテーマにした作品は発表していませんでした。人々が驚きますから。写真は2013年頃までアーティスティックなメディアとは見なされていませんでした。でも今は人々の写真への見方も変わり、写真熱も高まっています。僕にとって、写真は自分の物語を語る手段です。今、ナイジェリアでメディアがどのような役割を果たしているかは明確にはわかりませんが、少なくとも人々が自分の意見を語る手段として用いるようになっています。

栗野 ナイジェリアの写真シーンはすさまじい勢いで変化している。彼は作品を通してセクシュアリティ、物質主義、企業の独占主義、帝国主義について語っています。ナイジェリアでメディアを自己表現の手段として使ったパイオニアです。

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.