身にまとうものには、その人の思いや考え、ときに主義や信条や、生きる時代の空気までも映し出されるもの。自他ともに認める稀代のモード愛好者、ファッションライター・栗山愛以が、自らの装いや物欲の奥にあるものを、ゆるゆると紐解き覗き込む

TEXT AND ILLUSTRATION BY ITOI KURIYAMA

 3月19日夜、ドリス ヴァン ノッテンから突然メールが届きました。「A letter from Dries(ドリスより皆様へ)」というタイトルで、読み進めるとデザイナーを務めるドリス・ヴァン・ノッテンが「6月末をもって退任する」とのこと。驚いてインスタグラムを開いたら、世界中のモード関係者が大騒ぎしていて本当のことなんだと思い知らされました。
 ドリス ヴァン ノッテンのアイテムはいくつか持っていて、実は本連載のVol.4ですでに取り上げています。が、「セカンドスキン」に終始していてブランドについては全然語っていなかった。そこで、今回はファッション好きが見過ごすことのできないニュースが飛び込んできた以上、改めてドリス ヴァン ノッテンについて思いを述べておかなければならない、と筆を取った次第です。
 メールを見てすぐに思ったのが、ドリスって何歳でしたっけ、ということでした。1958年ベルギー・アントワープ生まれとあり、現在65歳。勝手にもう少し若いイメージを抱いていましたが、一般的にはリタイアしてもおかしくない年齢ではあります。86年のブランド設立からもう40年近く経っているのです。
 ドリス ヴァン ノッテンのファンは、愛を込めて丁寧に作られた服はもちろんですが、彼の人間性に惹かれている方も多いような気がします。その人となりは、アントワープ郊外にある自宅「ザ・リンゲンホフ」で公私にわたるパートナー、パトリック・ファンへルーヴェとの静かな暮らしを大切にしながらものづくりに真摯に取り組む姿を追ったドキュメンタリー映画『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』(2017)を観るとよくわかります。2月28日にパリで行われた、彼が手がける最後のウィメンズとなったコレクションのショーを現地で観て難易度が高そうな中間色の応酬に戸惑っていると、「あれはドリスが美しいと思った情景を表現しているのであって、それを理解できないとは!」とドリス派のスタイリストさんに呆れられてしまったのですが、私はどちらかというと彼個人に感情移入するというよりは服の方を見ているのかもしれません。
 彼が時折生み出すダークな世界観が好きで、たとえば1920年代に名を馳せたエキセントリックなイタリア人カップルをイメージした2016-17 年秋冬などはツボで、大量のパールが交差する巻きスカートを手に入れたのでした。

画像1: 我、装う。ゆえに我あり。
栗山愛以、モードの告白
Vol.13ドリスの巻きスカート

 ランウェイのように、パンツの上から巻くのも良し。スタイリングを一気に華やかにしてくれるアクセサリーとして重宝しました。

画像2: 我、装う。ゆえに我あり。
栗山愛以、モードの告白
Vol.13ドリスの巻きスカート

 ただ、細い紐にパールの全重量がかかる繊細な作りゆえ、ラフに普段使いしていたら糸が切れてパールがこぼれ落ちるという惨劇も…修理をお願いしたショップスタッフの方に「パーティなど、特別な時にお召しください」とたしなめられたのでした。

画像3: 我、装う。ゆえに我あり。
栗山愛以、モードの告白
Vol.13ドリスの巻きスカート

 ダークなムードのコレクションにばかり反応してしまっていたとはいえ、いつもドリスの服への愛はひしひしと感じていました。とくにコロナ禍以降セレブリティ・マーケティングが加熱しエンターテインメント化が急速に進むファッション界の中で、彼の服そのものに集中する姿勢は貴重でしたし、服好きの私が求めるものでした。
 ブランドイメージがほとんど変わらなかったのですっかり記憶の隅に追いやられていたのですが、振り返ればドリス ヴァン ノッテンは2018年に「プーチ」という大企業の傘下に入っていて、22年にビューティラインをローンチするなどビジネスを拡大していました。さらに今後ブランドを引き継ぐデザイナーを発表するとのこと。ドリス ヴァン ノッテンは、ドリス本人がいてこそのブランドだったのでは…あれほど服へ愛を注いだ彼の代わりなんているんだろうか、と思わざるを得ませんが、時が経てば、巷にたくさんある、個人の名前を掲げた伝統的なブランドの一つとして私たちは自然と受け入れるようになっているのでしょうか。
 きっとこれまで築き上げた職人たちとの関係性を存続させなければ、といった責任感もあるのでしょう。本人の意志でこうした道筋を選択し、退任後はきっとあの素敵な家で穏やかな時間を過ごすのではないかとは思いますが、今はまだ、ドリスのいないドリス ヴァン ノッテンをうまく想像できないのでした。

栗山愛以(くりやまいとい)
1976年生まれ。大阪大大学院で哲学、首都大学東京大学院で社会学を通してファッションについて考察。コム デ ギャルソンのPRを経て2013年よりファションライターに。モード誌を中心に活動中。Instagram @itoikuriyama

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