さまざまな分野で活躍する“おやじ”たち。彼らがひと息つき、渋い顔を思わずほころばせる……そんな「おやつ」とはどんなもの? 偏愛する“ごほうびおやつ”と“ふだんのおやつ”からうかがい知る、男たちのおやつ事情と知られざるB面とは。連載第11回は実業家の堀淵清治さん

BY YUKINO HIROSAWA, PHOTOGRAPHS BY TAKASHI EHARA

 サンフランシスコにベースを置き、日本をはじめアジアでもビジネスを展開する堀淵清治さん。サードウェーブコーヒーのブームを巻き起こした「ブルーボトルコーヒー」を招致。また、カカオ豆から板チョコレートになるまでの全行程を、一つの工房で行うビーン・トゥー・バーの文化を日本にもたらした「ダンデライオン・チョコレート」のCEOといえば、ピンとくる人も多いだろう。

 そんな堀淵さんの人生の最初の転換期は大学時代。ロックバンドを編成し、音楽(と麻雀)に明け暮れていた。第三次安保闘争の真っ最中だったが、「いわゆるノンポリで、大学を卒業してちゃんとした企業に勤めてというまっとうなレールを進むというよりは、楽しいことをしたい、自由でいたいという精神が強かった。だからこそサンフランシスコに渡ってしまったのだと思う」と言う。

 遊びのつもりで1カ月だけ滞在したそこは、音楽はもちろん、ファッションもアートもライフスタイルも、既成の体制や文化に反抗するようなカウンターカルチャーやニューエイジ運動が隆盛を極め、そのうねりが世界中へと爆発的に拡散されていた。そのさなかに身を置いた堀淵青年は、「新しいことをしようというカルチャーに衝撃を受けたし、時代が動き、世界が目まぐるしく変わる様子を味わった。“ここしかない、アメリカに住もう”と思いましたね」。

画像: 大学構内や近くのカフェで味わった、バターたっぷりのクロワッサン。ストロベリージャムに加え、自称“バタリーナ”の堀淵さんはさらにバターを塗ることも

大学構内や近くのカフェで味わった、バターたっぷりのクロワッサン。ストロベリージャムに加え、自称“バタリーナ”の堀淵さんはさらにバターを塗ることも

 カルチャーショックを受けたのは食べ物も然り。カリフォルニア州立の大学院へ留学した際に「感動したのはバークレーが発祥と言われる“カフェ・ラテ”。それといっしょに味わうストロベリージャムやバターをたっぷりつけたクロワッサン。朝食にそれを食べるのが死ぬほど幸せでしたね。あとはメープルシロップをたっぷりかけたワッフルやパンケーキ、バナナブレッド、チーズケーキ、ブラウニー…… どれも日本で口にしたことがないものばかりで、それを学内や近所のカフェで味わうために大学院に通っていたような気がするほど(笑)。当時は食にまつわる仕事をするなんて予想だにしていなかったけれど、当時の食体験や感激が、今の仕事につながっている。不思議なものだよね」。

 その後、山中でヒッピーライフを送るなど、奔放な人生を歩んでいたが、33歳のときに大手出版社・小学館のオーナーと知り合ったことから歯車が一気に回り出す。「帰国時に読んだ日本の漫画の精度の高さに驚き、これはアメリカでも広めるべきだと思い、『ビズコミュニケーションズ』を設立しました」。当時アメリカではコミックスは冷遇されていた時代。だが白土三平の『カムイ外伝』や池上遼一の『舞』、新谷かおるの『エリア88』などの漫画をアピールして果敢に攻めた。独特な読み方を浸透させるのに多少の時間はかかったが、『ドラゴンボール』、『北斗の拳』、『うる星やつら』、『らんま1/2』、『ONE PIECE』……その後のヒットは言わずもがな。「漫画で日本の文化や魅力を示すことができたのはうれしかったし、誇らしかったですね」。

画像: 「烏羽玉」6個入り¥450 亀屋良長 TEL.075(221)2005 公式サイト

「烏羽玉」6個入り¥450
亀屋良長
TEL.075(221)2005
公式サイト

 社名が『ビズピクチャーズ』となり、サンフランシスコの複合施設「NEW PEOPLE」に入店した「ブルーボトルコーヒー」を日本に招致したり、「ダンデライオン・チョコレート」を上陸させたり。日本に戻って仕事を展開することが増えたのが約5年前。帰国した際に無性に食べたくなるものは? 「日本を離れてわかったのですが、僕はあんこが大好きなようで、まず徳島の母が作ったおはぎが浮かびますね。あとは、京都にある『亀屋良長』が1803年の創業時から作り続ける『烏羽玉』はいいですよ」。黒糖を使ったこし餡に、薄く寒天をまとわせ、けしの実をふったあんこ玉は、一口サイズながらもコクと余韻はとめどない。「おやつは疲れたときに、一番手軽に元気をくれるものだね」。

 最後に、外(海外)から日本を見つめる堀淵さん、今の日本に対して思うこと。それからアドバイスはあるのだろうか?「日本は流行が最優先。本質を見つめ、指摘するジャーナリズムの精神がまだ薄いと思いますね。また、どんどん閉鎖的になっているような気がしています。インターネットがあるから全世界とつながっているような錯覚を起こしてしまいがちだけど、そこから得られるのは情報であって体験ではない。1カ月でも1週間でもいいから実際に旅をして世界から日本を見てみることをおすすめします。いいところも悪いところも見ることは、とても大事だと思うから」。

画像: 堀淵清治(SEIJI HORIBUCHI)さん 1952年徳島県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、渡米。日本の漫画や映画の配給会社を立ち上げる。「ダンデライオン・チョコレート・ジャパン」のCEOを務め、現在は国内に5店舗、台湾でPOP UP SHOPを展開中 PHOTOGRAPH: © 2019 DANDELION CHOCOLATE JAPAN

堀淵清治(SEIJI HORIBUCHI)さん
1952年徳島県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、渡米。日本の漫画や映画の配給会社を立ち上げる。「ダンデライオン・チョコレート・ジャパン」のCEOを務め、現在は国内に5店舗、台湾でPOP UP SHOPを展開中
PHOTOGRAPH: © 2019 DANDELION CHOCOLATE JAPAN

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