BY MIKA KITAMURA, PHOTOGRAPHS BY MASANORI AKAO
2023年11月。東京・虎ノ門ヒルズの「TOKYO NODE」内に、フレンチレストラン「アポテオーズ」が誕生した。この店を率いるのはパリの「ERH(エール)」で5年連続ミシュランの一ツ星を獲得してきたシェフ、北村啓太だ。
片や、本誌のウェブ連載でもおなじみ、世界で大活躍のパティシエ・長江桂子。ふたりはパリの「ピエール・ガニェール」でともに働き、「桂子さん」「啓太くん」と呼び合う仲。凱旋帰国といわれる北村と、最近、仕事の場を少しずつ日本にも展開しはじめている長江が、フランスでの経験を踏まえ、今後の展望や仕事への思いを語り合った。
──パリの「ピエール・ガニェール」ではどれくらい一緒に仕事をされたのですか。
北村 2008年の渡仏直後に入店しました。当時のシェフパティシエが桂子さんでした。言葉も不自由で、通訳してもらうことも。本当にお世話になりました。
長江 私はガニェールグループ全体のデザートを担当していて出張も多く、そんなにお世話できていなかったけど(笑)。その後、啓太くんはビストロの料理長を経て「エール」で一ツ星を獲得、去年帰国されたのね。
北村 はい。パリで二ツ星をと思っていたのですが、日本からオファーをいただいて。虎ノ門ヒルズというビッグプロジェクトで、パリでやっていた以上のことができるなら帰国しようと決めました。料理人は自分で店を開くことが最終目標になりがちですが、今の時代、個人でのガストロノミーレストランの運営はとても大変です。企業と組むことで料理に集中できる環境を整え、ミシュランの一ツ星以上を狙いたい。星のために仕事をしているわけではないのですが、星はフレンチの料理人として一つの誇りだと思う。それをきっかけに次のステップアップにつながると考えています。
長江 啓太くん、いいタイミングで帰国したね。経験を積んでからのチャレンジなので、大きくステップアップできると思う。
──おふたりとも、長いフランス生活で苦労されたことがあると思いますが。
北村 僕はフランスで大変だと思ったことがないんです。学校を卒業して入った成澤由浩(よしひろ)シェフの店(当時は小田原「ラ・ナプール」)での修業が本当に大変で。完璧を求める成澤シェフについていくのは並大抵のことではなく……。あの経験があったから、フランスでは何でも来いという状態でした。成澤シェフには本当に感謝しています。ただ、ガストロノミーの経験しかなかったので、ビストロでは初めての仕事が多く、鍛えられました。厨房スタッフ4名で昼夜計100名ほどのゲストに対応するので、朝7 時半に始動、夜中まで働き詰めでした。鹿や猪は毛がついたままで来るし、1週間に羊3頭をさばいていました。肉に丁寧に火入れするなんて無理。ビストロではオーブンに放り込む。そんな状況でベストな火入れを試行錯誤。料理人としての幅が広がり、技術や瞬発力を磨くよい機会でした。
長江 よい経験でしたね。
北村 マルシェにも通って、食材を見て回りました。食材と触れ合うことで、知識を自分に叩き込めたことがよかった。一方で、フランスでは家族との時間を大切にするようになりました。フランス人は仕事をするときは仕事に集中し、パッと切り上げてプライベートの時間を楽しむ。メリハリのある時間の使い方がいいなと。娘が生まれ、離乳食は僕がほぼ作りました。
長江 娘さんは幸せね。私はガニェールシェフに鍛えられました。メニューがめまぐるしく替わるでしょ。彼にとってお皿はキャンバス。いったん絵を完成させても、翌日は色や形を変え、消して新たなものを描く。それに合わせてデザートも替える。
北村 あの天才シェフの要望を理解するには、知識と経験、瞬発力が必要ですね。
長江 全店舗のデザートを担当していたので、辞めるとき渡したレシピは5,000以上に。
北村 それはすごい!
長江 私はパリの大学に留学し、そのままパティシエの道に入ったので、仕事はフランスでしかしたことがなかったんです。今になって日本のことを学んでいます。
日本の生産者の作る食材に刺激を受け、料理の新しいヒントを得る
──長江さんは、日本にも仕事の場を展開していくそうですが。
長江 この4 月で日本を出て27年になります。毎月のように世界中を移動していた生活がコロナ禍で一変し、両親のことも心配になって。考えてみれば、私の仕事はどこにいてもできる。ならば日仏の2拠点生活もありだなと。軽井沢の店を任されるので、春から軽井沢をベースに活動します。
──シェフの生産者さん探しに長江さんおすすめの農園を一緒に訪ねられたとか。
長江 はい。日本には自然と共存しながら、小規模または個人で自分の信じる道を突き進み、魅力的な食材を育てる生産者が多いことに気づきました。フランスは農業国ですが、そういう人たちは少ないんです。
北村 帰国してすぐ、全国の生産者さんに会いに行きました。「食材は作り手」です。僕にとっておいしい食材とは信頼できる生産者さんが育てているもの。彼らがどんな思いで育てているかを知ってから料理に向き合いたい。そんな食材を使えるのはワクワクします。世界に通用する自分の料理哲学を見つけるカギは、生産者さんに学ぶことだと思っています。
長江 同感です。昨年、長野の農園にサワーチェリーを摘みに行きました。木々にそよぐ風の匂いや摘みたての味を思い浮かべながら、デザートに仕立てました。
北村 素敵だなあ。
長江 一方、食の業界で技術継承が難しくなっているのが気になります。過度な労働は避けるべきですが、私たち職人の仕事は、技を繰り返して体得するもの。それには時間が必要です。最近、職場にその余裕がなくなってきています。
北村 僕もそのことは懸念しています。長江 フランスの調理師学校では、学生のインターンシップがあります。在校中に就業経験ができれば、自分に合った職場を選べたり、実際の技術を何度も実践できたり。現在、日本の調理師学校卒業生で、実際に調理師やパティシエの仕事を続けているのは5%に満たないと聞きました。行政と力を合わせられたら、若い職人の未来が広がるはず。先日、そのことを県庁に提案させていただきました。
北村 その動きは未来につながりますね。
長江 レストランをつくり上げているのは、食材や料理人のほか、器、カトラリー、照明、家具やアートまでと幅広い。そのひとつひとつに職人の技がある。お客さまがひとりでも何かに興味を持ってくださり、それが次世代につながれば本望ですね。
北村 僕もそうやってお客さまに伝えていこうと思っています。
「信頼できる生産者さんとの出会いから料理のヒントが生まれる。食材にこめられた思いの伝え手として、僕は料理を作っていく」
──北村啓太
高層ビルの49階。ダイニングからの都心の眺めに高揚感で満たされる。「アポテオーズ」は、フランス語で「最高の称賛」、バレエ用語で「フィナーレ」を意味する言葉。頂点を目指す願いも込めて名付けられた。レストランは厨房とサービスのチームワークが大切と、パリ時代のチーム3 名もともに日本へ。内装は、デンマーク「ノーマ」の店内を手がけたデザイナーユニット「スペース・コペンハーゲン」によるもの。器は北村の故郷・滋賀の信楽焼をはじめ、各地のものを使う。新潟・燕三条の老舗などのカトラリーを揃え、店内の香りや音楽もオリジナルだ。料理は、食材のピュアな味わいを繊細に表現している。北村啓太は実際に訪ねて生産者の声に耳を傾け、そのこまやかな手作業を見たからこそ、彼らに信頼を寄せ、食材にこめられた彼らの思いを理解して伝えるべく、皿の上に表現する。「日本の食材と今のフレンチの技をかけ合わせ、記憶に残る料理を作りたい」。北村の思いは確実にゲストに届き始めている。
「私たち職人の技は時間をかけて反復し、身につけるもの。それを次世代に残すために何ができるかを考えています」
──長江桂子
2012年にパリでコンサルティング会社「AROME(アローム)」を設立し、お菓子のブランドや店舗の立ち上げ、メニュー開発、技術指導などの仕事で世界を駆け巡る長江桂子。最近は、サウジアラビアの砂漠地帯の観光化プロジェクトに関わり、提案や技術指導などを行う。その地域のオアシスでは柑橘類が豊富に育つので、それぞれの味の特徴を引き出すメニューを提案してきた。「いつも、その土地の産物を未来にまで活かせるようにと考えています」
昨年から、「クレソンリバーサイドストーリー 旧軽井沢」でもメニュー開発とスタッフの育成を担っている。この店では、長江が信頼を寄せる生産者の食材をできる限り使う。近隣の農園を訪ねては、彼らが丹精こめた畑で自身が感じた印象をお皿に盛り込む。4 月下旬から長江のデザートとその他のメニューの提供が始まる。厨房には必ず立ち、お客さまを迎えるという。世界を魅了してきた彼女の、華やかで洗練された味わいを五感で楽しみたい。
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