BY KOTARO KASHIWABARA
話題を呼ぶ「デスティネーションレストラン」の現在地
英字新聞の老舗ジャパンタイムズは、2021年から毎年、日本各地に点在する訪れるべき10店を「Destination Restaurants List」として発表しているが、この5月24日、「第4回 The Japan Times Destination Restaurants」の受賞レストランが発表され、28日に麻布台ヒルズで授賞式が行われた。
「Destination Restaurants List」は、東京23区と政令指定都市にあるレストランは選出対象にはしないという、徹底的にローカルガストロノミー(地方の豊饒な食文化)にこだわったもの。北海道から沖縄までの10店の中から、今年の「Restaurant of the Year」は北海道中川郡豊頃町の「Elezo Esprit」が選ばれた。私も開店直後に訪れており、素晴らしい施設と哲学に共感したから、その受賞にはまったく異存がない。授賞式では佐々木章太シェフにお祝いの言葉を伝え、北海道での再会を約束した。
私は前回の記事で、ここ数年でデスティネーションレストランと呼ばれる素晴らしいレストランが地方に出来ており、そこで食べるためだけにわざわざ出かけるガストロノミーツーリズムが日本各地で行われていることを記した。そして北陸応援の気持ちを込めて富山県氷見市にある寿司「成希」の素晴らしさをお伝えしたが、ジャパンタイムズのアワードも同じように、ローカルガストロノミーを表彰している。審査員のひとり、実業家の本田直之氏は授賞式で、「すでに審査のバックリストには100軒以上のレストランがあるが、毎年素晴らしいレストランが続々誕生するので、それを更新するのが大変なくらいだ」と述べていたが、私も同意する。この連載でもご紹介したい店は日本中に数多くあるからだ。
進化する軽井沢の地で豊かな食文化の一端を担う「飯箸邸」
その中で今回ご紹介する「飯箸邸」はローカルガストロノミーにこだわりつつも、軽井沢という立地をうまく捉えた店として、この数か月で一番印象に残った店だった。最近、北海道や東北、北陸、四国、九州など、観光地でもなく交通も不便な場所にあるデスティネーションレストランの動きとは別に、東京から2時間以内くらいの郊外にもまた素晴らしいデスティネーションレストランが出来ている。たとえば鎌倉や山梨、湯河原、外房といった地域である。
軽井沢もそうした地域のひとつ。ご存知のように、軽井沢は日本随一のリゾートであり、年間850万人もの観光客が訪れるのだが、その実態は半数近くがアウトレットモールを訪れる買い物客で、古くからの別荘族はどんどん減っている。だがその一方で、外資系金融業やITなどで成功した40代、50代の富裕層が別荘を建てたり、移住してきており、新しい文化が生まれてきているのだ。
彼らは「旧軽」と呼ばれるかつてのエスタブリッシュメントの象徴のような場所にはこだわらず、自分たちのライフスタイルに合った場所に家を作り始めた。そして彼らの食文化需要に見合う形で、料理人たちが続々と軽井沢の郊外に店を出すようになってきたのである。しかも軽井沢町を超えて、佐久市、御代田町、小諸市、東御市といった、近隣の都市にもその動きが広がっている。
もちろん、軽井沢の中心部の家賃が高くなりすぎたという事情はあるだろう。だが、それ以上に郊外が魅力的になり、わざわざ訪れるに足る、つまり軽井沢を中心としたガストロノミーツーリズムのエリアになっているのだ。その象徴的な例は軽井沢から車で30分近くかかる信濃追分にあるレストラン「NAZ」である。30歳の料理人、鈴木夏暉シェフが26歳のときに開いたレストランで、「発酵」をテーマに独立。オープン直後から軽井沢の別荘族のフーディーたちに「発見」され、いまや予約は1年以上取れない。
そのNAZから歩いて10分ほどのところに「飯箸邸」はある。ル・コルビュジエに師事したモダン建築の大家、坂倉準三が設計し、もともとは世田谷にあった飯箸邸を移築した一軒家レストランで、目の前には広い芝生がひろがる。かつて三國清三シェフのフランス料理店があったが、閉店後そのままとなっていたものを、オーナーの宮部拓也氏が一目で気に入り、ほぼそのままのかたちで譲り受けた。
もともと宮部氏は参宮橋「レガーロ」や中目黒「アウダーチェ」などでサービスマンの経験を積み、サービス主導のレストランをつくりたいと考えていた。「レストランブライダルができる店がいいと当初は都内で探していたのですが、ここを紹介されて、かつて行ったことのあるイタリアの郊外のレストランに似ていると思ったのです」(宮部氏)
シェフは広尾「アクアパッツアァ」で経験を積み、直近は下北沢「クオーレ・フォルテ」にいた杉本誠也氏。さらに和食「件」にいた望月清登氏を御膳番(アシスタント)として加えた3人でスタートした。契約したのは昨年10月だったが、今年1月末にオープンと聞いたときには驚いた。私も軽井沢には長年ご縁があるのでわかるが、1月末の軽井沢は極寒の地。観光客はもちろんのこと、別荘族も正月を過ごして帰り、ほとんどよそ者が訪れない時期だからだ。「もちろん人は少なかったのですが、東京時代のお客様も来ていただいたし、我々も徐々に慣れることができ、いい経験でした」(宮部氏)
私も開店情報は事前に聞いていたが、実際に訪れたのは春。その頃には3人の呼吸も合い、気持ちのいいサービスを受けた。
飯箸邸の一番の特徴は昼夜一緒のメニューで、アラカルト中心なこと。所望されたとき用のコースはあるが、出来ればアラカルトで食べていただきたいと宮部氏は言う。「ランチメニューを作らなかったのは、それ専用の安価な食材を仕入れたくなかったから。ランチだからという言い訳を作りたくなかったんです。それにここは庭の見える昼のロケーションが素晴らしいのでゆっくりしていただきたいと思ったのです。でも前菜とパスタだけでもいいですし、夜に2軒目にいらして、デザートと飲み物のオーダーだけでもかまいません」
また、極端なローカルガストロノミーにはこだわらず、シェフの出身地の南伊豆や北海道の食材であっても、いいものは使っている。地産地消のストイックな食材でヒリヒリするような料理は、時代とともに進化する食文化を感じさせるが、無意識のうちに「旨い」と思わせるような料理も、軽井沢のように成熟した文化の地域には似合うと思う。これからのガストロノミーツーリズムは、この2極のあいだで動いていくように私は感じている。「まだ軽井沢の方々とのつながりが少ないせいもありますが、少しずつ関係が出来て、この地域の食材も増えてきましたね」と宮部氏もほほ笑む。
この日いただいたのは、シェフの修業先のスペシャリテをアレンジした「南伊豆産金目鯛のアクアパッツァ飯箸邸風」「北海道塩水雲丹のリングイネ」「長野県産信州黒毛和牛フィレの炭火焼」の3種。飯箸邸のメニューは仕入れ状況により変わるが、そのなかではオーソドックスな皿を選んだ。誰が食べても「うん、美味しいね」と言える味に整っている。
「私は軽井沢のほかの地域を知りませんが、信濃追分は窮屈さがないところが気にいっています。お客様も2拠点で住まわれる40代以上の落ち着いた方が多く、みなさんご自分の好みで使っていただいています。うちはお子さんの入店もかまいませんので、家族連れの方も多い。ゆくゆくは、お子さんの成長を一緒に見守れるようなレストランになれるといいと思っています」
ゴールデンウィークは、それまで60%しか受けていなかった予約を試験的に100%受けたところ、連日満席が続き、てんてこ舞いだったという。ただ、それを機に予約を増やすのではなく、また前のとおりの席数に減らしたというのが宮部氏らしいエピソード。
「せっかく信濃追分まで来ていただいて、きちんとしたサービスが出来ないのは申し訳ないじゃないですか。お盆の時期もゆったりと過ごせるようにするつもりです」
これもまた、デスティネーションレストランのひとつの方向性だと、私はあらためて感じた。
飯箸邸
住所:長野県北佐久郡軽井沢町追分46-13
TEL. 080-3752-1184
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柏原光太郎
ガストロノミープロデューサー。文藝春秋で「文春マルシェ」創設を経て、「日本ガストロノミー協会」会長、「食の熱中小学校」校長、「Luxury Japan Award 2024」審査委員などを務める。近著に『ニッポン美食立国論 ―時代はガストロノミーツーリズム』。