国内外を旅して風景や人、土地の文化を撮影するフォトグラファー、飯田裕子。独自の視線で切り取った、旅の遺産ともいうべき記憶を写真と言葉でつづる連載、最終回

TEXT AND PHOTOGRAPHS BY YUKO IIDA

 近隣のサンタフェという街には至る所にギャラリーがあり、プエブロ族の土器が芸術作品として販売され、インディアンの貴重な収入源となっている。彼らの土器作りの来歴をひもとけば3,000年以上前にもさかのぼる。近隣にある遺跡からも、多くの土器が出土している。

画像: 付近の岩肌には、祖先から伝わる絵文字が刻まれていた

付近の岩肌には、祖先から伝わる絵文字が刻まれていた

 北米インディアンたちの祖先は遠い昔、氷河期の頃、北方のベーリング海にできた陸橋回廊を通ってアジアから新大陸へ移住していった、アジア系の民族だ。彼らの表情のどこかに懐かしさを覚えるのも、そのせいかもしれない。そして、彼らの持つ自然観は、確かに、自然すべてに神を見出す日本の八百万神信仰とも似ているところがある。

画像: 彼らの祖先は遠くアジアから渡ってきた。祭りの踊りにはまだシャーマニズムの色も残る

彼らの祖先は遠くアジアから渡ってきた。祭りの踊りにはまだシャーマニズムの色も残る

 その土器は彼らのあいだでは「魂の器」とも呼ばれる。成人になる頃には自分の土器を決め、その土器が一生涯、魂を見守ってくれるのだという。そして最期には土器とともに葬られる。人の身体も、いずれはマザーアースの一部へと還ってゆく。土器はマザーアース、母なる大地の化身であり、母あってその子どもである人間が生かされているという思想は、現代文明社会に生きるわれわれにとって重要なメッセージかもしれない。

画像: 土器を焼くときには、遺跡の土器片も新しい土と混ぜて再利用される

土器を焼くときには、遺跡の土器片も新しい土と混ぜて再利用される

 土器の作り手たちは今もなお、昔の土器片を丁寧に拾い、粉にし、再び粘土に混ぜ再生している。自然物や大地がそうであるように、土器も輪廻転成されるのだ。ひとつひとつの土器にはシンボル的な意匠が施されている。そのデザインはクランと呼ばれる血族の繋がりの中で代々継承され、雨や風、雷といった自然現象から、カエルやバッファローなどの動物、トカゲや蝶といった昆虫までさまざまだ。それらはみな、地球上のかけがえのない仲間であり、いろいろなサインで人間の魂を成長へと促してくれる存在だ。

画像: 土器の絵付け。フリーハンドで自然のモチーフを描いてゆく

土器の絵付け。フリーハンドで自然のモチーフを描いてゆく

「模様を描くときは、そのモチーフとの会話を楽しむんだよ」。ユッカというサボテンの繊維で作った絵筆に墨を含ませ、雨を表す幾何学模様を描きながら作り手の女性が言った。「雨雲は命に必要な大切な水だよ。その水はこうして今も私たちの体の中に巡って生きているでしょう?」。メガネ越しに私にウインクする。

画像: 世界初の核実験が行われたアラモゴロド近くの白い砂漠。今は静かな美しさをたたえていた

世界初の核実験が行われたアラモゴロド近くの白い砂漠。今は静かな美しさをたたえていた

 光沢のある黒い土器が焼かれている村もある。光沢仕上げの道具には、色とりどりのドロップのような鉱石が使われていた。「このかわいい石たちも祖先から伝わったものだよ」と語るブルー・コーンは、かつて、原爆の産みの親として知られるオッペンハイマー博士の家政婦をしていたという。じつはプレブロ族の暮らす地域にはウラン鉱床が多くあり、原子力関係の研究所が集中している。少し離れたアラモゴロドの砂漠では、世界で初めての核実験、トリニティー実験が1945年7月16日年に行われた。

「彼は原爆作りを研究するより土器作りを学んだ方がよかったわねえ」。冗談交じりに話す彼女はまるで、母なる大地の代弁者のようだった。

飯田裕子
写真家。1960年東京に生まれ、日本大学芸術学部写真学科に在学中より三木淳氏に師事。沖縄や南太平洋の島々、中国未開放地区の少数民族など、国内外の“ローカル”な土地の風景や人物、文化を多く被写体とし、旅とドキュメンタリーをテーマに雑誌、PR誌で撮影・執筆に携わる。現在は千葉県南房総をベースに各地を旅する日々。公式サイト

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