BY HARUMI KONO
Vol.1 ジャヌ東京
麻布台ヒルズで育まれるつながり

284㎡の「ジャヌ スイート」からは東京タワーを真正面に臨む眺望を独占できる
ジャヌ東京が3月13日にオープンしてからおよそ1ヶ月半。毎日足繁く通うゲストもいるほどだ。東京で海外のラグジュアリーホテルの進出が進む中、異彩を放つジャヌ東京の人気の秘訣を総支配人 田中紀子氏へのインタビューを通して紐解く──。
ジャヌは世界のラグジュアリートラベラーを魅了するアマンの姉妹ブランド。両者の関係を例えると静と動。静かにプライベートな時を過ごすリゾートをコンセプトに掲げるアマンとは対照的に、躍動感に満ちた雰囲気で人やものとのつながりを通してラグジュアリーホスピタリティを提供している。

6階から13階までの8フロアに3タイプのゲストルームと7タイプのスイート、広さは55㎡から284㎡、客室の総数は122。すべての部屋はダブルシンクの洗面台、レインシャワー、バスタブを完備。プライベートテラスのある客室が多いことも特徴。こちらはシティビュースイート。左官職人の丁寧な仕事ぶりを感じるフレームワークの美しい壁に、ベッドサイドのランプは日本の行燈の中に西洋のランプシェードが組み込まれた遊び心あるデザイン
ここジャヌ東京は、122の客室、8つのレストラン&バー、ボクシングやスピニングバイクを含む5つのムーブメントスタジオ、スイミングプールなどを完備した総面積約4,000㎡の広さを誇るウェルネス&スパ施設を擁する。いずれの設備も都内最大級のレベルだ。このホテルで様々な国籍、異なるポジションに従事する総勢400名のスタッフを束ねる総支配人・田中紀子氏は新しいブランドを率いることにどのような思いがあったのだろうか。

ジャヌ東京総支配人 田中紀子氏
伊勢志摩にあるアマネムの総支配人を経て現職。外資系ラグジュアリーホテルでは外国籍の総支配人が活躍する中で日本人の総支配人は稀有な存在。親しみやすい人柄からホテルを訪れたゲストから「こちらにはよくいらっしゃるのですか」と声をかけられたことも
「世界初となるジャヌを任されることに対して高揚する気持ちを強く感じました。まずジャヌというブランドを自分自身で解釈し、それをスタッフと共有しました。ただ、現実的には2022年の着任から開業までの期間が1年半ほどでしたので、時間との戦いでした。もちろん重圧も感じました」
開業準備からオープンまでの間、高揚感と迫り来る時間、理想と現実の狭間に身を置いた田中氏。ジャヌ東京が大切にしていることの一つに「つながり」があるが、スタッフ同士のつながりはジャヌというブランド醸成をしたことで一層強いものになった。
「開業にあたり、すでにこれまで何らかの形で関わりのあったスタッフが4割ほどいましたので、オペレーションを行う上で、どのようなつながりを持ちたいかを念頭に全員が意見を出し合い、サービスの方向性を定めてゆきました」
現在も毎日行われるミーティングでは、マネジメントレベルの人材の中から数人が交代で一つのテーマに対する意見を述べることで個々の考え方を確認している。

中国から来日した点心師が、日本人のシェフと並んで腕を振るう中華料理の「虎景軒(フージン)」ではシグニチャーディッシュの「北京ダックの窯焼き」をオリジナルスタイルで一人分から注文できる

ホームメイドパスタやチーズが人気のオールデイダイニング「ジャヌ メルカート」は活気あふれる市場(イタリア語で市場の意味)そのもの

「ジャヌ・バー」では、浅草、神楽坂、人形町など東京の8つの街から着想を得たカクテルを提供。写真は豊洲がテーマの「ブラーオイスター」、フランス料理と見紛うほどの逸品。ホテルのある麻布台カクテル「ウェル セント」は、麻布台ヒルズのコンセプト、”Green & Wellness”を尊重したノンアルコールに仕上げている。カクテルを通して会話が弾む演出はジャヌ東京ならでは
ホテル内の8つのレストラン&バーのうち、6つの店舗ではオープンキッチンを配したことでキッチンスタッフとゲストの距離を縮め、スタッフとゲストのつながり、ひいてはゲスト同士のつながりにも功を奏している。オープンキッチンは料理しているところを実際に見たい、躍動感溢れる雰囲気を感じたいという好奇心旺盛なゲストに好評だ。
これらレストラン&バーの総席数は600席。一人でも大人数でも、その日、その時の気分によりいずれかの店舗を利用することが可能で、選択肢の多さもジャヌ東京がアピールできる強みだ。「例えば、今日は『ジャヌ グリル』で肉料理を、明日は『ジャヌ メルカート』の屋外テラスで愛犬と一緒に食事を、というようにレストランをご利用いただけます。開業から1ヶ月経ちますが、この1ヶ月で25日間、毎日レストランに通って下さったお客様もいらっしゃいます」
なぜこれほどジャヌ東京はゲストを惹きつけるのか。ゲストとジャヌ東京のつながりが生まれる背景には麻布台ヒルズというコミュニティが深く関わっている。「麻布台ヒルズは30年もの歳月をかけて作られたものです。東京の街中、麻布台ヒルズというコミュニティで人と人とが行き交い、挨拶を交わし、つながってゆく。そこにジャヌ東京があります。ジャヌ東京が地域と共生することを大切にすることが、このコミュニティに不可欠であると感じていただけたのではないでしょうか。将来は同じ敷地内や近隣の学校に通う子供たちに、ホテルを身近に感じてもらえるような職業体験なども展開したいと考えています」
コミュニティを通して人との交流や文化が生まれる。ジャヌ東京はコミュニティと渾然一体となることで、ホテルという領域を超えてラグジュアリーなサードプレイスとして重要な存在となり得ている。普段は下から見上げることが多い東京タワーもジャヌ東京の客室からは正面に見える。当たり前のことだが新鮮だ。いつも見ている景色を違う角度で見ることで、新しい価値観を生み出しているのだ。

約4,000㎡の広さを誇るジャヌ ウェルネスは、都内最大級のジム(340㎡)、25mの温水プール、5つのムーブメントスタジオ、9つのスパトリートメントルーム、ハマム(トルコ発祥のサウナ)とバーニャ(ロシア発祥のサウナ)を備えた2つのスパハウスを含むハイドロセラピーエリアで構成されている。ホテル宿泊者および「ジャヌ東京 ウェルネスコレクティブ」会員が利用できる

24時間利用可能なフィットネスジムには、国内ホテル初のマシン「Outrace(アウトレース)」と「Skill X(スキルエックス)」を完備し、毎日8~12種類のグループプログラムを提供

プライベート スパ ハウス内のトリートメントルームは、2名でも利用可能
PHOTOGRAPHS: COURTESY OF AMAN GROUP
レストラン&バーのダイニング・エクスペリエンスが注目されるジャヌ東京で、ホテル滞在の楽しみについて田中氏は時間の大切さを語る。「多くのことを詰め込むのではなく、今日はこれを楽しもう、とひとつのことに時間をかけて過ごしてみて下さい。余白の時間を作るということでしょうか」
今後、サウジアラビア、モンテネグロ、トルコ、モルジブなど世界12箇所に展開するジャヌ。その指針となるジャヌ東京の将来を世界が注目する。「ジャヌ東京は誕生したばかりなので今後、様々なことが変化してゆく面もありますが、”ここに来ればきっと何か面白いものがある”、そして”新しいものに触れることができる”と感じていただけるホテルになるように、そして人と人とのつながりの強いホテルにしてゆきたいと思います」
世界で唯一、アマンとジャヌが存在する東京は日々、多種多様なカルチャーを生み出している。その東京の今を映すジャヌ東京で、魂(ジャヌ)に訴えかける時間を過ごしたい。
ジャヌ東京
住所:東京都港区麻布台1-2-2
TEL. 03-6731-2333
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TEL. 050-1809-5550 (9am-9pm)
メール:janutokyo.fbres@janu.com
Vol.2 シックスセンシズ 京都
自然派ラグジュアリーホテルの先駆

京都・東山に美しく佇むホテル外観
1995年にモルディブでスタートした「シックスセンシズ」は、サステナビリティとウェルネスをコンセプトに掲げる自然派ラグジュアリーホテルのパイオニア。EUが環境問題の解決策として提唱した「循環経済行動計画」が2015年ということを鑑みると、シックスセンシズは世界がまだサステナブルに意識を向けていなかった時代から未来を見据えていた。世界21カ国でホテル・レジデンスを展開しているシックスセンシズが26番目のホテルとして日本に初上陸。場所は京都、東山地区。妙法院、三十三間堂、豊国神社という名だたる寺社が建ち並び、日本の歴史を紡いできた文化的に意味のある場所に。

(左)ワールド・ブランズ・コレクション ホテルズ&リゾーツ株式会社 代表取締役社長 河本浩氏
アメリカにてホスピタリティマネージメントを学び、米国内ホテルに勤務。2003年に帰国後、日本国内の複数のホテルの総支配人を経て2023年同社に入社。2024年4月より現職
(右)シックスセンシズ 京都 総支配人 ニコラス・ブラック氏
ヨーロッパで育ち、アメリカでホテルビジネスに携わる。国際的ライフスタイルホテルの総支配人として来日。前職では世界一のレストランと称される「noma(ノーマ)」京都でのPop-upを初めて手掛け、イベントを成功させた実績を持つ。アースラボでの和紙作り、発酵について学ぶなど日本文化をリスペクト。読者へのメッセージを問うと、笑顔で"Everyone is welcome." と答えてくれた
京都が選ばれた理由について、シックスセンシズ 京都を運営するワールド・ブランズ・コレクション ホテルズ&リゾーツ株式会社(ウェルス・マネジメント株式会社グループ)代表取締役社長の河本浩氏はこう語る。
「京都で新しくホテルを作る際、単なるラグジュアリーではなく何かに特化したラグジュアリーを持っているブランドを求めていました。サステナビリティとウェルネスを大切にしているシックスセンシズのフィロソフィーが、自然豊かな京都と共鳴すると考えていました。大規模ではなく、ゲストへ目が行き届く客室数が100室以下という点も重要でした。隣接する豊国神社の使われていない用地にシックスセンシズの有機菜園を作ることも神職の方々が快く場所を提供してくださったことで、地域とシックスセンシズの理念を共有することができます。そして総支配人ニコラスさんの存在が大きかった」

隣接する豊国神社の敷地内にある菜園で無農薬で作られるハーブ、お茶、野菜は、オールデイダイニング「Sekki」やアルケミーバー、アースラボでのワークショップで使われる
PHOTOGRAPH BY HARUMI KONO
全般的に人材不足が懸念される昨今、総支配人も例外ではない。ブランドのコンセプトを会得して勇往邁進するリーダーシップとホスピタリティを併せ持つ人物が、総支配人を務めるニコラス・ブラック氏だ。
「コロナ禍で自分を見つめ直す時間の中で内面に目を向け、心身の健康を意識するようになりました。あるタイミングでシックスセンシズのCEOにお話させていただく機会があり、その後、一年以上にわたって話し合いを重ねたうえで、シックスセンシズ 京都の総支配人になることを決意しました」
毎日くまなくホテル館内を巡り、ゲストはもちろんスタッフ一人一人に気さくに声をかけるブラック氏のフレンドリーな人柄は魅力的だ。スタッフから「ニコさん」と呼ばれるブラック氏が実践するのは、ポジティブなマインドで感情に訴えるエモーショナルなホスピタリティ。「心のこもったパーソナルタッチのあるホスピタリティを提供すれば、ゲストには滞在体験のよさをより深く感じていただけることでしょう」

オールデイダイニング「Sekki 」(節気)では、二十四節気の季節ごとにメニューが変わる「暦アフタヌーンティー」を提供。グルテンフリー、シュガーフリー(精製糖不使用)を多く取り入れている。写真は夏至のメニュー(提供期間2024年6月21日~7月6日)

中庭での朝食。米粉のパンケーキ、宇治の平飼い卵で作られたオムレツ、自家製のスムージー。気持ちの良い中庭で1日をスタート。この他、ビュッフェ、和定食がある
シックスセンシズ 京都のテーマは平安時代の雅。当時の人々が月、花、雨、雪といった自然と季節の移ろいを愛でたことは和歌に詠まれている。ホテルを訪れると感じる、澄んだ空気に北山杉や檜、柑橘系果物、カルダモンが漂う心地良い香りは、これから楽しいことを予感させる雨上がりの鞍馬山にインスパイアされて作られたオリジナルのアロマ。味覚を刺激する「オールデイダイニング Sekki (節気)」とカフェ「Café Sekki (カフェ節気) 」の名前は二十四節気に由来する。地元の旬の食材を用いて作られる料理を通して季節を感じとることができる。シックスセンシズ 京都では、二十四節気の暦に基づいて時が流れている。

全81室のうちスイートルームは8室。写真の「3ベッドルーム ペントハウス スイート」は238㎡という広さ
スイートルーム8室を含む全81室の客室には、「Sleep With Six Senses」のコンセプトに基づいたハンドメイドによる特注のマットレス、温度調整可能な枕やオーガニックコットンシーツ、羽毛布団、パジャマを完備。さらに上質な眠りを追求するゲストは、睡眠計測デバイスやスリーププログラムを利用することができる。

Grow With Six Senses(キッズクラブ)の玩具はすべて木製。「どうして木のおもちゃなのかな?」という疑問が環境問題への第一歩となる
シックスセンシズの取り組みで注目したいことの一つが「Grow With Six Senses」という子ども向けのキッズクラブだ。子どもたちが夢中になって遊びながら、折り紙など日本の伝統や、室内では靴を脱ぐといった習慣を学べる仕組みになっている。スパにはキッズスパメニューがあり、ファミリーフレンドリーな滞在が可能だ。「子どもたちが楽しければ親御さんも喜びます。またこのホテルに泊まりたい、世界のシックスセンシズに行ってみたいと子どもたちが旅のイニシアチブを取るきっかけになりますね」とブラック氏は雄弁に語る。

「シックスセンシズスパ 京都」のトリートメントルーム

時差ボケや疲労を素早く解消する「バイオハック リカバリー ラウンジ」

五感が研ぎ澄まされるような趣の室内プール
シックスセンシズの真骨頂といえる「シックスセンシズ スパ 京都」では、日本初の「ウェルネススクリーニング」を導入。最新鋭の機器で心拍数、血圧など、およそ40種類のバイオマーカーを測定し、数分で体の内部でケアが必要な箇所を導き出す。この結果を踏まえて専門家がトリートメントプログラムを組み立てる。長期スパンで定期的にスクリーニングを受けることも可能なので、世界のシックスセンシズではリピーターが多い。また、日本のホテルで2つめの「WATSU(ワッツ)/水中ボディワーク」専用のプールや、時差ボケや疲労を短時間で回復させる「バイオハック リカバリー ラウンジ」がある一方で、禅の思想に則って心身を休めるシックスセンシズ スパ 京都限定トリートメント「阿吽 (あうん)」も人気を博している。

「アースラボ」はシックスセンシズのサステナビリティの拠点。様々なワークショップを開催している

ウェルネスについて学ぶ拠点「アルケミーバー」では、天然由来の素材でボディオイルやスクラブなどを作るワークショップを開催。ビジターも参加可能で、自宅でもつくれるボディケアアイテムについて学べる
サステナビリティの中枢となるのは「Earth Lab」(アースラボ)。ここではホテルで使うすべての飲料水を浄水して再利用可能なガラス瓶にボトリングしている。自家発電ならぬ自家浄水をすることで、水の輸送にかかるCO2の排出量の削減とプラスチックフリーを実践している。2022年のシックスセンシズの公式発表によると、世界のシックスセンシズで170万本分のペットボトルの使用を削減した。アースラボでは金継ぎ、蜜蝋ラップ作り、廃棄された食材を粉砕して塗料として使用する扇子絵付け体験など、様々なアップサイクルのワークショップを提供している。エココンシャスな旅の思い出を家に持ち帰って欲しいというシックスセンシズからのメッセージが込められている。

客室のドアでは、和紙で作られた狐がゲストを見守って、消灯すると「Do not disturb」のサインにもなる
PHOTOGRAPH BY HARUMI KONO
かつて日本では着物を仕立て直し、竹の皮でおにぎりを包み、茶殻で掃除をしていた。衣食住において古くからサステナブルを実践してきた私たち日本人のDNAが時を超えてシックスセンシズ 京都と融合する。
PHOTOGRAPHS: COURTESY OF SIX SENSES KYOTO
シックスセンシズ 京都
住所:京都府京都市東山区妙法院前側町431
TEL. 075-531-0700
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Vol.3 伽藍下鴨
大正時代の美を今に伝える宿──

個人の邸宅のような伽藍下鴨の目印は小さな表札だけ。ここが宿と気がつく人はほとんどいない
©︎HIJIKA
下鴨神社、糺の森がある鴨川と高野川に挟まれたデルタ地帯。京都でも屈指の高級住宅地に建つ敷地面積265平米の「伽藍下鴨」。そのルーツは大正時代に遡る。当時、「下加茂カラー」という時代劇で一世を風靡した下鴨地区に一人の映画監督が暮らしていた。時が流れフランス人シェフが家屋をレストランという形で受け継いだ後、2017年、現在の持ち主である植良睦美氏に引き継がれる。当時、外資系の投資顧問会社に勤務しグローバルな環境に身を置いていた植良氏は、海外から訪れるゲストが日本文化、芸術を高く評価していることを感じていた。植良氏は京都に宿があれば、もっと深く日本の良さを知ってもらえるのではないかと考えるようになった。

玄関を入ると、趣のある廊下が続く
©︎HIJIKA
もともとアンティークや歴史のある建築が好きだったという植良氏。大正時代の美しい家屋を当時の建築技術を残しながら再生することを決め、プロジェクトが始動する。そうはいうものの、今ではもう手に入ることのない素材や再生が難しい高度な匠の技を必要とするものが多くある。

伽藍下鴨オーナー / Zero Waste Kyoto主宰 植良睦美氏
大学卒業後、ロンドン駐在を含み外資系金融業界で活躍。長年にわたって培われた日本の智徳を食や建築物を通じ伝えることができればと、2019年に伽藍下鴨、2021年には寺町通夷川上がるにZero Waste Kyoto(ゼロ・ウェイスト京都)を開業。
「古い家を再生する、伽藍下鴨の場合は大正時代に戻すわけです。その中で一番質感が出てくるのは、面積が大きく聳え立つ壁でした。大正時代の質感を再生できるのは左官職人、久住有生さんしかいないと思いました」

広々とした浴室は久住氏の最高峰の職人技で作られた。掻き落としで施されたさざ波、研ぎ出しで作られた浴槽と洗面台、浴槽に体を沈めた先には彫刻のような壁が見える
©︎HIJIKA
久住氏は、国内外の歴史的建造物、ホテル、商業施設、個人の邸宅を手がける世界を舞台に活躍する左官職人だ。その久住氏によって玄関、床の間、寝室とそれぞれの壁が大正時代の質感を取り戻しながら現代美を備えたものとなった。中でも注目したいのが、伽藍下鴨のエンブレムとなっている浴室の壁に施された「さざ波」のモチーフだ。
久住氏をはじめ、伽藍下鴨のプロジェクトに携わったのは各界で活躍する精鋭たち。題字は平安時代を舞台としたテレビドラマの題字揮毫を担当した書家の根本知氏、リノベーション全般は素材とディテールを大切にして空間を作る株式会社 洛(RAKU)。彼らの最高の技術が調和しながら、二年の歳月をかけて伽藍下鴨は大正時代の美しさを今に伝える宿となった。

庭の風景。伽藍下鴨の名前の由来となった伽藍石を中心に灯籠や井戸が趣を作る。朝、昼、夜、表情が変わる様子は見飽きることがない。担当したのは有名寺社の庭を手がけた庭屋・佐野健介氏©︎HIJIKA
床の間と飾り棚が備えられた和室、雪見障子を隔てた縁側、今となっては貴重な大正ガラスが嵌め込まれた窓の向こうの庭には、宿の名前の由来となった伽藍石が圧倒的な存在感を放つ。そして床の間には辻村史朗氏の壺、玄関には細川護煕氏の花器をはじめ、キッチンに置かれたイギリス製アンティークのカフェテーブル、寝室に置かれたフィンユールのライティングビューロー、それぞれの家具にぴったりな椅子など、植良氏が時間をかけて選んだ一つ一つの調度品が、ずっと前からそこにあったかのように室内の佇まいに馴染んでいる。

「洛」の家具部門が作成したベッド。窓側にはデンマーク製フィン・ユールのライティングビューロー。ペアで揃えたような椅子は日本製のBoConcept
PHOTOGRAPH BY HARUMI KONO

枕元に置かれているのは、伽藍下鴨の隠れたシンボルの砂時計
PHOTOGRAPH BY HARUMI KONO
そしてもう一つ、センスが光るのが二階の寝室にある大きな砂時計だ。
「テレビや電子機器類を置かずに、お客様には伽藍下鴨で過ごす間は何もしないという時間を大切にしていただけたらと思いました。時計を置くと、どうしても時間を気にしてしまいますよね。ゆったりした時間を感じていただくためにはどうしたら良いか考えた結果、砂時計が相応しいと思いました」(植良氏)

敷地内に建つ蔵の入り口
PHOTOGRAPH BY HARUMI KONO
何もしない贅沢を楽しむ中にも、伽藍下鴨には大人の遊び心をくすぐるものがある。庭にある蔵だ。秘密基地のような蔵の入り口に立つと、中は一体どうなっているのだろうと自然と好奇心が湧いてくる。一階はウイスキーを中心に自然派ワインを揃えたバー。グラスを傾けながら二階のライブラリーで本を読む。しかも、ライブラリーは本のタイトルを隠したブラインドライブラリー。どの本を読むのかは実際に手にしてみないとわからないという、ちょっとした仕掛けがある。

蔵の二階は梁を残した作りのブラインドライブラリー。空間演出は音楽プロデューサーでもある志水泰彰の助言を基にコーディネート
PHOTOGRAPH BY HARUMI KONO
滞在中の食事は、植良氏が中京区久遠院前町で主宰する「Zero Waste Kyoto(ゼロ・ウェイスト京都)」で扱う無農薬や無添加の食材を使った料理を中心に、ケータリングやシェフの派遣が可能だ。事前の予約により、好みの食材をヒアリングした上でオリジナルのメニューを組み立てるという贅沢な食事だ。料理を作るのは大原でカフェ「来麟」を経営し、野菜ソムリエの資格を持つ中山氏、出町升形商店街のビストロ「DELTA」で腕を振るう近江氏や、Zero Waste Kyoto の「Komorebi Kitchen」のイギリスからやってきたJosh Broad氏ら国籍の垣根を越えた面々。
彼らの食事に共通するのは身体に優しいこと。ヴィーガンやグルテンフリー対応は得意分野だ。もちろん三食とも外で食事をすることも、夕食だけ、昼食だけのように一食ずつ食事をリクエストすることもできる上、すりガラスの窓が大正ロマンの雰囲気を醸し出すキッチンで自炊もできる。

今では珍しくなった床の間と書院のある居間。床の間には辻村史朗氏の壺。植良氏は季節の花を飾り、客を迎えるという日本の伝統を大切にしている。続きの和室ではリトリートプランのゲストのためにアーユルヴェーダ、経絡、オステオパシー等を行う
©︎HIJIKA
伽藍下鴨は滞在だけにとどまらず、小規模の大切なイベントや集まりの場としても密かに人気だ。イタリアの高級ブランドが特別な顧客向けにシークレットイベントの場として選んだのが、伽藍下鴨だった。その際には、イタリアの最前線をゆくファッションアイテムと歴史を感じさせる大正家屋のコントラストが、顧客を唸らせた。また、前出のシェフたちの料理を披露する会も不定期で催される。
「様々な人たちが”自分を取り戻す時間”として活用いただける場所に育てていきたいですね。リトリートプランの紹介ビデオの音楽には、かねてからの友人である株式会社MUSIC FOR MUSICのアーティスト・岡嶋かなたさんやTenmaにも協力していただきました。そして新たに、サウンドアーティスト、PoropioreのYujin Fujiwara氏が作る音のインテリアを導入してお客様にお楽しみいただく予定です。ドーハで開催された国際園芸博覧会2023の日本パビリオンの音楽を担当されたYujinさんが伽藍下鴨のために、どのようなサウンドを作ってくださるか私自身も楽しみです」と語る植良氏。

左官職人、久住有生氏が手がけた美しい朝葱色の壁の玄関に飾られた「歴史的風致形成建造物」に指定されたプレート
PHOTOGRAPH BY HARUMI KONO
伽藍下鴨はゲストを迎える度に、僧侶の資格を持つEDGE flowers SEKKAの林惟彰コズモ氏が廊下と床の間の花を活ける「華飾」を行っている。美しい季節の花と室礼を通して大正時代の家屋の美しさが輝きを増す。京都市により歴史的風致形成建造物に指定されている伽藍下鴨で上質な時間を過ごす旅へあなたも、ぜひ。
伽藍下鴨
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住所非公開/詳細についてのお問い合わせは、公式サイトの「Contact」ページへ。
食事のオーダーは事前の予約が必要。
髙野はるみ(こうの・はるみ)
株式会社クリル・プリヴェ代表
外資系航空会社、オークション会社、現代アートギャラリー勤務を経て現職。国内外のVIPに特化したプライベートコンシェルジュ業務を中心にホスピタリティコンサルティング業務も行う。世界のラグジュアリー・トラベル・コンソーシアム「Virtuoso (ヴァーチュオソ)」に加盟。得意分野はラグジュアリーホテル、現代アート、ワイン。シャンパーニュ騎士団シュヴァリエ。
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