フィンランドに点在する現代のサウナには、この国で育まれた建築の歴史が息づいている。そして豊かなサウナ文化は、素朴で長持ちする建造物が今なお崇高でありうるという未来をも提示している

BY MICHAEL SNYDER, PHOTOGRAPHS BY LUANA RIGOLLI, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

 北極に近い国、フィンランド。9 月の暑いある日の午後、建築家のラウラ・マッティラ(40歳)は、サウナの横に広がる芝生に膝をついていた。
 このサウナは、彼女と、彼女の公私のパートナーであるミッコ・メルツ(49歳)が8 年前に建てたものだ。ここは、ヘルシンキから車で西に1 時間ほど行ったところにある、かつて工業地帯だった街で、今ではフィスカルスというアーティスト村として知られている。

画像: 伝統的なサウナでは、最も低くて涼しいエリアが洗い場として使われることが多い。マッティラ&メルツが2017年にフィスカルスのアーティスト村の中に建てた「裏庭のサウナ」でも同じだ。

伝統的なサウナでは、最も低くて涼しいエリアが洗い場として使われることが多い。マッティラ&メルツが2017年にフィスカルスのアーティスト村の中に建てた「裏庭のサウナ」でも同じだ。

 マッティラは、それぞれ12.5㎡の面積があり、ほとんど完璧な左右対称をなしている二つの部屋(ひとつは脱衣所で、もう片方がサウナだ)の配置の見事さや、その2 部屋の間の空間が背後の森林をまるで絵はがきのように切り取っていることには、何もふれない。また、部屋の壁の角部分に使われている無垢材は、木組み工法によって凹凸部分が交互にぴったりとかみ合っており、その揃ったラインは横から見ると、まるで人間の手の甲に浮き出た節々の列のようなのだが、そんな工法の美しさについて語ろうともしない。
 そのかわりに、彼女は、この建物がどう機能するのかを語りたがった。たとえば、それぞれの丸太の隙間に幾層にも塗り込まれたリネン製のパッキング材に断熱効果があることや、サウナを使用したあとには、ストーブから立ち昇った余熱が、室内の低いところにまで循環することで、湿ったサウナを乾燥させることについて説明する。さらには、長い年月の間に木材が湿気を失い、収縮するのを見越し、窓やドアの側柱の周囲にあえて少し空間をあけて設計したことなども。「典型的なフィンランドの農家の建物はどれも基本的にそう造られている。家のフレームは丸太で組んで、パンを焼くためのオーブンがあり、ある程度の年月そこに住んだら、また新たに木材でフレームを組み、元の建物が縮んだぶんの空間を埋めていくわけ」とマッティラは言う。

 この建物の設計を彼女に発注した顧客である、指揮者兼バイオリニストのヤン・ソーデルブロム(54歳)は、建築家であるマッティラとメルツに「時代を超えて通用するデザインと、古風な感じを融合させてくれ」と注文したことを振り返る。そこでふたりは、彼のために、外から見ただけでは納屋なのかサウナなのかわからないような形の建物を造った。それは、まさに何世紀にもわたってフィンランド人たちが荒涼として痩せた土地に建ててきた建造物そのものだった。
 私たちにもおなじみのフィンランド式のサウナの起源は、約3000年前にさかのぼり、青銅器時代から鉄器時代へと移り変わる頃だといわれている。だが、それ以前の数千年間にも、さまざまな文化圏で発汗浴の習慣はすでに存在していた。

 近代のフィンランドは、丘陵地帯と、アカマツやトウヒやシラカバなどの森林に囲まれた土地ゆえに、農業で生計を立てるのがますます困難になりつつあった。そんななか、いくつかの農業コミュニティでは、斧で伐採した木材を使って脱穀用の納屋を建てるようになった。そんな納屋は解体しやすく、農民たちが自分たちの意思で、別の場所に移動することも可能だった。
 納屋の中で薪を焚いて室内に煙を充満させると、大麦やライ麦などの作物を乾燥させることができた。納屋の壁面には、フィンランドで最も一般的な木材であるアカマツが使われており、煙が木壁に染み込むことで、放射熱が生じる─それと同じ仕組みが、現代の「サヴサウナ」と呼ばれるスモークサウナでも使われている。
 いつしかサウナは、フィンランド社会における中心的な存在となった。サウナの中は女性たちが出産する場であり、病人たちの湯治場であり、さらに死に瀕した者が懺ざん悔げ を行い、臨終の祈りの儀式が行われる場でもあった。家族が集まり、サウナのオープンストーブを使って料理をし、乾燥した室内に漂う熱によって肉や魚を自然保存することができた。サウナは台所であると同時に診療所、神殿でもあり、困窮した隣人や、寒さをしのぎたい異邦人の旅人たちにとっては、眠ることができる宿屋でもあった。

 発汗浴は中世の間もずっと人気を保っていたが、16世紀にペストや天然痘、梅毒などがヨーロッパで猛威を振るうようになると廃れていった。だが、ユーラシア大陸の北端─つまり、1809年までスウェーデンの一部だった未開の貧困地帯であり、その後の100年以上はロシア帝国の一部だったその地─では、丸太小屋のサウナの人気は衰えるどころか、ますます隆盛を極めた。そしてフィンランドが1917年に国としての独立を勝ち得た頃には、サウナはフィンランド国民のアイデンティティの中枢となっていた。
 ノルウェー系アメリカ人のライター、ミッケル・アーランドは、世界のサウナの伝統について記した1978年出版の歴史書『Sweat(スウェット)』の中でこう書いている。「自分たちの浴室に、これほどまでに強く国家としての誇りを感じている国はほかにない」

画像: ヘルシンキの郊外にアールネ・エルヴィの設計で建てられた「ヴィラ・コイヴィッコ」の敷地内に、OOPEAAが2019年に併設したサウナ(インテリアはスタジオ・ペトラ・マヤンティエ)。薪ストーブがあるおかげで脱衣所や休憩エリアが暖かい。


ヘルシンキの郊外にアールネ・エルヴィの設計で建てられた「ヴィラ・コイヴィッコ」の敷地内に、OOPEAAが2019年に併設したサウナ(インテリアはスタジオ・ペトラ・マヤンティエ)。薪ストーブがあるおかげで脱衣所や休憩エリアが暖かい。

 フィンランドは今では、スカンディナビア半島のライバル諸国に引けを取らない手厚い社会保障制度をもち、約560万人の人口に対し、実に300万個ものサウナが国内に存在している─湖畔の小さなキャビンにあるサウナから、繁華街の中心にあるセミパブリックのスパまで多彩だ─「その人がどれだけお金持ちか、または、どんな仕事をしているかは、一切関係がない」と言うのは、ユヴァスキュラ市内にあるフィンランド中央博物館でキュレーターを務めるサイヤ・シレン(48歳)だ。「サウナという場所は、フィンランドの平等主義の根幹だから」

 同時に、サウナはフィンランド建築の礎でもある。つまり、限りなく原始的な材料を使い、必要なときにいつでも根源的な構造で建てられてきたのだ。近隣のスカンディナビア諸国と同様に、フィンランド人たちは「木の文化が人間の生活の一部」という環境で育つ、と語るのは、建築家で2023年出版の書籍『Designing the Forest and Other Mass Timber Futures』(森林とそのほかの集積材の未来をデザインする)の著者でもあるリンジー・ヴィークストロム(36歳)だ。森林は、フィンランドの国土の4 分の3 を占めており、この比率はほかのどのヨーロッパ諸国よりも高い。フィンランドの科学者たちは、木材を使用した建物の内装がもたらす鎮静効果や抗菌効果について研究し、また「ウッドクラスター」と呼ばれる郊外のコミュニティでは、製材業者や木挽き職人、大工職人たちが隣り合って暮らし、「サプライチェーンの隣組」を形成して、「そこでは誰もがお互い頼り合っている」とヴィークストロムはつけ加える。(②の記事に続く)

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