BY MICHAEL SNYDER, PHOTOGRAPHS BY LUANA RIGOLLI, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

マッティラ&メルツが手がけたフィスカルス・プロジェクトの脱衣所。木組みによる角継ぎの工法(開いている扉越しに見える)や、丸太の間にリネン製のパッキング材を詰めて断熱材にするなどの伝統的な建築技術を活用した。
スウェーデンやノルウェーの建築家のように木材を使って超高層ビルを建設した例は、フィンランドの建築界にはまだない。だが、マッティラ&メルツ、リヴァディ・アーキテクツ、OOPEAAやPES-アーキテクツなどの現代のフィンランドの建築事務所は、無垢材とクロスラミネート材(1990年代に開発されたエンジニアードウッドと呼ばれる、コンクリートや鉄に匹ひっ敵てきする強度をもつ木材のこと)を併用し、ごく小さいスモークサウナから、都市部の中心に広がる大規模な独立型のサウナに至るまで、さまざまな施設を造ってきた。
これらの建造物はしばしば、本格的な革新を目指すためではなく、むしろ昔ながらの技術を守りつつ、それをさらに発展させる方向に重点を置いて造られてきた。
地球の温暖化が進むなか、建築家たちは機能性と耐久性をより重視する傾向にある。環境負荷の大きい建築業界をより持続可能なものに変えていくためにも、再生可能でリサイクル可能な木材を使うことは、もはや必要不可欠なのだ。「私たちは何百年間もずっとこの建築方法でやってきた」とマッティラは言う。「そうやって建てた建造物は長持ちするとわかっているから」
1925年にアルヴァ・アアルトという名の若き建築家が書いたエッセイが、彼が育ったフィンランド中央部のユヴァスキュラ市の地元新聞に掲載された。それは、同市が見渡せる場所に、市民の誰もが使えて、街の中心的存在となる建築物を造るアイデアを提案する文章だった。「どんな建物にすべきか? 美術館か、図書館か教会か? いや、それではダメだ」と彼は記した。それらのかわりに、サウナの建設を提案した。「真の意味でフィンランド文化だと言える、ほとんど唯一無二のものだから」と彼は説明している。
1898年に生まれ、1976年に死去したアアルトは、フィンランドの激動の時代を生きてきた。第二次世界大戦後の同国では工業化と都市化が進み、さらにそこにソビエト連邦に占領された地域から移住してきた40万人以上の移民がどっとあふれた。当時、国内の建造物には依然として木材が使われ続けていたが、アアルトや彼の同業者たちは公共施設の建築にはレンガやコンクリートやガラスなどの大量生産された材料を使うことを好んだ。一方その頃、サウナの需要は、より私的な空間で高まっていた。
1970年代になると、ディベロッパーたちは、20世紀初頭の住宅地によくあった公衆浴場のかわりに、アパートメントに電気式のサウナを備えつけるようになった。同時に、台頭してきた中産階級層は、ちょっと前まで当たり前だった郊外のライフスタイルを懐かしみ、避暑地の別荘に丸太でサウナを建てることが人気となった。
アアルトと彼の最初の妻アイノ(1949年に死去)は、1930年代初頭から機能的な建物や家具を手がけて高い名声を得た。それらは、モダニズムの無機質で冷徹な抽象性になだらかな曲線と自然な仕上げを加えて、柔らかな印象を醸し出すものだった。だが、アアルトが生涯を通してデザインした27軒の独立型のサウナのことは、今ではあまり知られていない。
アアルトの作品の中で最も実験的だといわれた建築プロジェクトの数々─たとえば、トゥルク市の郊外に1933年に完成した、バウハウス建築の影響が色濃いパイミオのサナトリウム(註:結核患者のための療養所)や、ムーラッツァロ島の避暑地に1954年に完成した、アアルトと彼の2 番目の妻のエリッサが建築の実験住宅として使ったレンガ造りの夏の家「コエ・タロ」など─の敷地内にサウナを造った際には、アアルトは何世紀もの昔から伝えられてきた丸太小屋工法に、ほんの少し手を加えただけだった。
実際、ムーラッツァロ島のサウナの設計の際にアアルトは、幅が狭くなった丸太の端を交互に合わせて一般的な長方形の壁を造るのではなく、まるで花束の茎のように丸太をぎゅっと束ね、ふいごのような形の部屋を造り、入り口が少しだけ開く構造にした。サウナというのは「アアルトが手がけた建築の中でも唯一、彼自身が『デザインを何から何まで最初からやり直さなくてすむ』と言っていた場所だ」と語るのは、アルヴァ・アアルト財団のチーフキュレーター、ティモ・リエッコ(46歳)だ。

建築家トゥオマス・シルヴェンノイネンの避暑地にある別荘の浴室パビリオン。2015年に、フィンランド湾に突き出た花崗岩の岩盤の上に建てられた。地理的にはフィンランド南部の海岸沿いに位置している。
同じことが、アアルトのフィンランド人の後継者たちの中でも、最も先鋭的なことで知られるレイマ&ライリ・ピエティラ夫妻にも言える。彼らは1960年代の初頭から、アアルトの有機的なデザインをさらに発展させ、想像を超えた新しいレベルに昇華させた。その後20年ほどたって、ピエティラ夫妻はフィンランドの南西諸島にある土地を購入し、頑丈な松の丸太を使って二つの漆黒のサウナを建てた。屋根の軒部分を、まるで表現主義者のアーティストが描く絵のように極限まで長く伸ばしたデザインだ。周囲をセイヨウネズや樫の木に囲まれたこの二つの小屋は、真っ黒なコウモリが鋭角に翼を広げているようにも見える。だが、これら二つのサウナは、ミステリアスな外観でありながらも、アアルトがムーラッツァロ島に建てたサウナより革新的だったわけではない。
どんなサウナにも一貫した認識がある─それは木材がどんな状況にも落ち着いてなじんでいるという点だ。そしてその認識が、今でもフィンランドの建築の大部分を定義づけている。PES-アーキテクツを率いるトゥオマス・シルヴェンノイネン(55歳)は、12年前に、フィンランド湾沿いの彼の家族が所有していた土地にあった築100年の丸太小屋のサウナを解体し、同じ場所に98㎡の別荘と浴室を合体させた浴室パビリオンを建てた。その建物は、まるで岩場に打ち上げられた木製の桟橋のように、地面から表出した花崗岩の上に浮かんでいるように見える。
また、彼はもともとあったサウナに使われていた丸太を保管しておき、それを今、小さなゲストハウスを建てるのに再利用しようとしている。「木造りの建物の特徴は、どんな部分も交換可能だということだ」と彼は言う。「だからこそ、何度でも再生することができるんだ」
地理的にヨーロッパの辺境に位置するフィンランドは、国家としては、今でも崖っぷちに立っている。古くはスウェーデンやロシア帝国に支配された時代があり、そして最近ではNATO(北大西洋条約機構)の一部となった。ロシアの勢力拡大から自国を守るために、2 年前にNATOに加入したのだ。「私たちの思考回路には、真ん中にしゃしゃり出ていこうという意図はない」と語るのは、都市郊外などの周縁建築を専門とするオフィスOOPEAA(Office for Peripheral Architectureの略)の創設者であるアンッシ・ラッシラ(52歳)だ。
もし、アアルトとピエティラ夫妻が、世界的な建築の影響を取り入れながら、小さく、とりわけプライベートな空間である丸太小屋のサウナを別次元のものへと変容させたとするならば、ラッシラや彼と同世代の同業者たちは、それとは逆のことをやってきた。つまり、住民たちに公のプログラムを提供するような大規模な公共施設の中にも、サウナのエッセンスを注入することが必要だと説いたのだ。それは単にサウナがフィンランド文化に欠かせないからというだけではなく、公共施設をはじめとしたすべての建築に携わる人々が、サウナという建造物からもっと貪どん欲よくに学べるはずだという考え方だ。
2016年に、ラッシラは、アアルトの弟子のひとりであるアールネ・エルヴィが60年ほど前にヘルシンキ郊外に建てた避暑用の別邸に新しく併設すべく、約36㎡のサウナを設計した。草が生い茂る斜面のふもとに埋め込まれるように建てられ、外壁が黒く塗られたこの木造建築は、頑丈で飾りけがない外観のため、その側に立つガラスと漆喰の壁でできた軽やかな家のシルエットのようにも見える。
同時に、傾斜地の底地にぴったり沿い、長く深い角度の切り妻壁をもつこのサウナの形は、ラッシラが設計し、OOPEAAが今年、ラップランド(註:ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアの一部にまたがる地域)のスウェーデン国内に建設する予定の展示場スペース、コンスタル・トルネダーレンのデザインにも似ている。AORやルッカロイネン・アーキテクツなどのほかの建築事務所も、郊外に広がる大規模な学校施設や、カルチャーセンターなどの建設にあえて無垢材を使って可能性を広げている。「国の周縁部でこそ、変化が起きているんだ」とラッシラは言う。
とはいえ、今起きている変化のすべてがポジティブなわけではない。気候温暖化によって、先住民族が暮らす北部に広がる、炭素を吸収するはずの泥炭地が干上がってしまった。まるで熱帯の珊瑚礁が温暖化によって白化したように。フィンランドの森林管理は優れているが、それでも単一樹種の植林が一般的で、その結果、生態系の多様性が失われつつあることが問題になっている。
それでもフィンランドの若い世代の多くは、気候温暖化を食い止めようというこの国の野心的な目標を大々的に支持している。この世代は─2011年にヘルシンキ湾のさびれた地域に「ソンパサウナ」と呼ばれる無料の浴場がゲリラ的に出現した頃から─公衆浴場が市民のインフラとして欠かせないものだと再評価し、その価値観を取り戻してきた。同時期に、フィンランドは2008年に導入した理想的な公共住宅プログラムによって、ホームレスの問題を撲滅したが、これらの政府所有のアパートメントにも公共サウナが併設されている。
長年にわたって、フィンランドの研究者たちはサウナが血圧を下げ、免疫機能を向上させることを発見してきたが、今ではサウナによって、社会がよりよく機能することも明らかになっているようだ。
互いに平等で、ともに責任を果たし、支え合う─サウナでともに汗を流すことで培われたそんな価値観は、フィンランドという国にとって、そしてこの国の持続可能な未来にとって、木材と同じくらい不可欠なものだ。サウナとは、建造物や場所である以前に、儀式なのだ。ラッシラは、サウナ体験を「精神的に自分を洗い流す感じ」と称した。アルヴァ・アアルト財団のリエッコは、ムーラッツァロ島にアアルトが建てたサウナを「最も神聖な場所」と呼ぶ。フィンランド中央博物館のシレンによれば、この国の親はよく子どもたちに、「サウナに入るときは、教会の礼拝に参加するときと同じようにふるまいなさい」と教えるそうだ。2012年の初めから、ユヴァスキュラ市郊外のヤムサという場所に数多くの歴史的なスモークサウナの建物群が再建され、「サウナ村」と呼ばれている。シレンはこのサウナ村で毎夏の土曜日に、十数基のサウナに火入れをするボランティアをしている。「私が思うに、たぶん、逆だったんじゃないかな」と彼女は言う。「サウナでふるまうのと同じように、教会でも行動するべき、というほうが、しっくりくる」
スモークサウナの中に入ってみると、教会の中というよりは、母の胎内にいるような感覚を抱く。すすけた黒壁を陽光がわずかに照らし、薪の煙の匂いが漂う室内の空気は摂氏93度を超えることもある。金属製の台の上の白熱した石に水をかけると、ジュッという音とともに蒸気の塊が─これはフィンランド語で「ロウリュ」と呼ばれ、この言葉だけは、たとえバイリンガルのフィンランド人でもほかの言葉に翻訳することはない─低い天井に立ち昇っていく。
目に見えない熱波が頭皮を包んだかと思うと、首すじを滑り落ちる。ロウリュはまるで幽霊のような感じだが、暗闇の中で一緒に過ごす人々と同じくらい活き活きした存在だ。5 ~10分、あるいは20分たったら外に出てひんやりした空気にあたる。すると、暗闇の中で今まで影のようにぼんやり見えていた四方の木の壁や、傾斜のついた屋根や、日射しや雨や雪から守ってくれる深い軒が、目の前にくっきりと輪郭を現す。
シレンはこう問いかける。「これ以上に永遠を感じられる体験が、ほかにある?」
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