BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY YUKO CHIBA

「軽井沢Ha-Na-Re」にて、取材を終えたタイミングで、手早く仕上げられた番外編のランチ。メニューにはないご褒美のような一皿のワンショットをお裾分け
《EAT》「軽井沢Ha-Na-Re(はなれ)」
一皿一皿で物語る、食と人の幸せな関係

ゆったりとテーブルを設えた完全予約制の空間
人生とは、傍からは“何でもない”ように見えて、その人にとっては掛け替えのない大切な物事の連鎖で成り立っている。旅先では、時折この他人の“何でもない”ことが、眩しく見えことがある。今回の旅では、レストラン「軽井沢Ha-Na-Re」のオーナーシェフ、近谷雄一氏が食材と生産者に注ぐ姿勢に心を動かされた。料理人が食材や生産者に思いを馳せることは当たり前かもしれない。だが、一歩踏み込んで生産者とのコミュニケーションを重ね、真にリスペクトした自然の恵みだけを振る舞うには、嘘のないひたむきな情熱が不可欠だ。その実直な縁からもたらされた、忘れ得ぬ記憶に刻まれた一皿こそが、ご覧の「酒井さんの羊のロースト」である。

生命力に満ちた食材が、近谷氏の采配で一期一会の一皿に昇華されて。料理はすべてコースメニュー

メイン料理に添える天然きのこと小布施の茄子
「羊は酒井さんのものしか使いません」と近谷氏が最上の信頼を寄せるのは、北海道の道東、白糠町で「羊まるごと研究所」を営む酒井伸吾氏である。「ハッピーな羊からは、ハッピーな肉しか生まれない」という考えのもと、牧場では羊の幸せに何よりも心を寄せ、健康な母羊を育てることに重きを置いている。自然交配の羊だけを扱い、その出頭数は年間わずか100頭前後という。取材の折には幸運にも今年2月に生まれた羊が手に入り、モモ肉をメイン料理の一皿として仕立てていただく。
表面をローストした後に、じっくりとオーブンで保温した肉は歯切れがよく、上質な脂肪と香り高い風味が際立つ。付け合わせの天然きのこは、地元のきのこ採り名人からもたらされた和製ポルチーニと呼ばれる「やまどり茸」。小布施産の茄子と一緒に肉の油で焼き、エゴマとブラックオリーブのソースを添える。健やかな肉が口の中で穏やかに溶けたことは語るも野暮だ。

自家菜園のハーブを摘むオーナーシェフの近谷雄一氏
20代でフランス料理を学び、その後16年に及び東京のイタリア料理レストランでシェフを務めた近谷氏。自分が本当に信じられる食材を用いて、自由な感性で、家族をもてなすような手塩にかけた料理だけを創作したいという思いで独立。食材や生産者との距離が近く、自宅の離れで客人を迎える感覚の空間を求め、思い切って軽井沢へ移り住む。中軽井沢に土地を見つけ、1階をレストランに、2階を居住スペースとした理想の家が2024年に完成した。
レストランの設計で印象的だったのは、厨房から見える窓が絵画のように絶妙な距離で配置されていることだ。四季折々の表情に富む自然が映し出される意図に加え、家族の気配が厨房にいても感じられる設計になっているとか。その話を聞いてふと気がついた。この建物で紡がれている家族の“何でもない”一瞬一瞬さえも、美味しい一皿の糧になっているのだと。

店の目の前の自家菜園には、トマトやハーブ、ツルムラサキが植えられて。パスタのオーダーが入ると、摘みたてのハーブで仕上げることも

時間のあいたときには愛娘と過ごすという庭のベンチ
「軽井沢Ha-Na-Re(はなれ))」
住所:長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢長倉3116-9
電話:0267-41-0987
公式サイトはこちら
《BUY&EAT》「森香るお菓子 くろもじ庵」
“抜け感”を味わう黒文字づくしの和カフェ

草花の合間から、優しく囁くような看板がのぞく
別荘地の林道にぽつんと佇む「森香るお菓子 くろもじ庵」。店を営むのは、和ハーブとして知られる黒文字の可能性に魅せられた山崎 哲氏。その爽やかな香りを主役に据えた和洋菓子をメインに、地産の実りを用いた和菓子や黒文字茶を販売している。抗菌作用が高く、日本では古くから漢方薬として知られる黒文字は、クスノキ科の木に属する。爽やかなウッドフレーバーで仄かな甘さもあり、煮出すとやや赤みをおびているため、和製ローズウッドとも呼ばれている。未体験の黒文字スイーツに心躍らせ、まずは己の胃袋で体感することに。

手前左からプルーンの道明寺と、秋の鹿の子、奥は黒文字ようかん。ルビー色に艶めく黒文字茶とともに

和菓子のほかに黒文字のショコラテリーヌやプリンも揃う
ショーウィンドウに並ぶ鮮やかな和洋菓子を前に、ひとつに絞りきれない。同行するフォトグラファーとシェアすることを言い訳に、3つの和菓子と黒文字茶をリクエストする。まず目に留まったのは、地元産アーリーリバー品種のプルーンをジャムに仕立て、道明寺粉とあわせた色鮮やかな和菓子だ。プルーンのフレッシュな酸味が黒文字茶の爽やかさとよく合う。季節限定の和菓子で諦めきれずもうひとつセレクトしたのは、薩摩芋やリンゴ、胡桃を粒餡にデコレーションした秋の鹿の子だ。ここでもほっこりとした和菓子と、黒文字茶の静かな風味が好相性。
そして、店の看板商品である黒文字ようかんも忘れずにオーダーする。北海道産の粒餡を用いて丁寧に練り上げる最後の工程で、黒文字の葉を乾燥させて細かく刻んだものを加えるという。一切れ口に含むと、そのハーバルな甘みが優しく広がり、最後にすぅーっと鼻に抜ける爽やかさを感じる。山崎氏にそれを告げると、「気づかれましたか、この“抜け感”こそが黒文字の一番の魅力なんです」と嬉しそうに答える。

黒文字に魅せられたという店主の山崎 哲氏

手土産に求めた黒文字茶。寒さへ向かうこれからの季節は、ゆっくり煮出して楽しみたい
山崎氏の前身は、軽井沢のホテルにある日本料理店の料理人だ。きのこや山菜など地元の食材を提供してくれる名人が、あるとき黒文字を持ち込んでくれたのを機に、黒文字のお菓子を創作。目から鱗の美味しさを知る。また、茶の湯の世界では、茶室のまわりに黒文字の垣根を設え、客人を迎える間際に湯をかけ、立ち込める黒文字の甘い薫りでもてなすこともあるという。そんな情緒ある逸話も、山崎氏が黒文字に心惹かれた一雫となった。その後、都内のフルーツパーラーで働きながら和菓子作りの腕を磨き、2019年に再び軽井沢の地に戻り、「くろもじ庵」の看板を掲げた。森の中で淡々と、黒文字の優しさを届けてくれる小さな菓子店は、美味しいものを熟知した近隣の別荘に暮らす人や地元の老若男女にも、じわりじわりその名が知られ今では6年の月日を重ねた。
取材を終え東京でいつもの日常をおくる中、小さな変化は起きがけに飲むお茶が黒文字茶へと変わったことだ。秋の乾いた朝の空気に、ルビーレッドのお茶が深い森の健やかさを運んでくれるようでだ。

テラスや庭も心地よく、ペット連れでも尋ねられる
「森香るお菓子 くろもじ庵」
住所:長野県北佐久郡軽井沢町追分1472-7
電話:0267-46-8707
公式インスタグラムはこちら
《BUY&EAT》「Pâtisserie TAK. (パティスリータク)」
日常を照らす“ご褒美”のフランス菓子

手土産としても人気の高いパウンドケーキは、常時8種類ほどが揃う
商業施設の1階奥、扉を開けるとマリーゴールド色の壁に包まれ、まるでカスタードクリームの部屋にいるような高揚感に駆られる。窓の外はキャベツ畑の鮮やかな緑色と真っ青な空に染まり、壁の色やショーケースに並ぶケーキとともに、ビビッドなカラーパレットを奏でている。ここに佇むと、雄大な浅間山さえケーキ型のように見えてきた。平日の昼間だというのに客足が絶えず、なかなか店主と挨拶さえ交わせないほどの賑わいである。黄金桃のパフェに笑顔する女性同士もいれば、おつかいものにパウンドケーキを求める人、妻のバースデーケーキを買いにきた男性から、シュークリームをカンバセーションピースにテラスで過ごす近隣に住まう夫妻まで。お菓子を媒介とした幸せの光景に、しばし見惚れてしまった。

店はフランスの田舎町のレストランをイメージ。鮮やかなマリーゴールド色とパールグレーの配色にセンスが光る

窓からの眺めはご覧のとおり、キャベツ畑と浅間山のコントラストが圧巻である
店のコンセプトをたずねると「お菓子でささやかな幸せを届けること」とオーナーシェフの岡部拓真氏。「目指しているのは、日常的な“おやつ”の延長。エレガントだけれど気取りがないお菓子です」と言葉を継ぐ。季節のフルーツを用いた華のあるケーキと肩を並べ、シュークリームやロールケーキ、プリンといったアイテムが目を引くのは、“ちょっと特別ないつものお菓子”を大切にしたいという思いからだと知る。
岡部氏は、東京・中目黒にある人気の洋菓子店「クリオロ」で働いたのち、フランス・リヨンへ渡り1年間の修業をする。帰国後は代々木上原の「アステリスク」でさらに腕を磨くなか、妻・春希さんと出会う。子どもを授かったことを機に北軽井沢へ移住し、地元のホテルでパティシエを務めたのち、満を持して御代田に自分の店を持つ。自身の名前を冠した「Pâtisserie TAK.」が誕生したのは2022年9月のことだ。

一心にお菓子を作り続けるオーナーシェフの岡部拓真氏

「御代田の人々の暮らしに寄り添う、町のお菓子屋さんでありたい」と語る妻の春希さん
“おやつ”の延長と語るのはプロの謙遜で、経験と秀逸な技に裏付けられたが味わいは格別である。たとえば店の看板商品「ケイク オ フリュイユ」もそのひとつ。スレンダーな形状のパウンドケーキには、プルーンやアプリコット、イチジクなどを自家製シロップに漬け込んだドライフルーツのコクと、クルミやアーモンドの香ばしさが凝縮。しっとりとした食感と鼻に抜ける濃密な香りは、全体にコニャックを染み込ませたためだとか。繊細な仕掛けを何層にも奥行きをもたせた逸品に、リピーターの多さも頷けた。
次の取材先へ向かう車中の“おやつ”として、シュークリームを求めて店を後にする。車が走り出すやいなや早々に箱を開け、ビスキーな皮にかぶりつく。中から溢れた色鮮やかなカスタードクリームと、太陽のようなマリーゴールド色の壁の余韻が重なり、心の奥まで優しい光が降り注いだような気持ちになる。口のまわりに粉砂糖をつけながら、とめどもなく幸福感が湧き上がってきた。

訪れた時季は信州のジューシーな黄金桃が食べ頃を迎えていた。写真は、アーモンドのタルト生地にスポンジとカスタードクリームを重ね、黄金桃を贅沢にトッピングしたタルト
「Pâtisserie TAK. (パティスリータク)」
住所:長野県北佐久郡御代田町馬瀬口451-6アンベリール御代田1-2
電話:0267-46-8856
公式インスタグラムはこちら

樺澤貴子(かばさわ・たかこ)
クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。
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