BY MASANOBU MATSUMOTO
パリのオペラ座ガルニエ宮の屋上に精霊が舞い降りたように、純白の衣装をまとったダンサーたちが優雅に踊るーー。現在、シャネル・ネクサス・ホールで展示されている写真家ピエール=エリィ ド ピブラックの作品『In Situ』の一枚だ。

《Analogia》シリーズより
© PIERRE-ELIE DE PIBRAC / AGENCE VU’
ラテン語で“現場で”もしくは“本来の場所で”を意味するこの作品を、ピエール=エリィは2013年~2015年の2シーズンにわたり、バレエ団の拠点であるガルニエ宮とオペラ・バスチューユに滞在しながら制作した。当時の芸術監督だったブリジット ルフェーブルに企画を提案し、このバレエの聖地を自由に出入りすることを許された彼は、日々、研鑽を積むダンサーたちに密着し、ときにダンサーと共作しながら、本作をつくりあげたという。
「実をいえば、この作品は妻との会話から生まれたものなんです」とピエール=エリィは制作秘話を明かす。「きっかけは、撮影をはじめる4年前の2009年、当時フィアンセだった妻と、ガルニエ宮でアンジェラン プレルジョカージュの『ル・バルク』を観賞したこと。その帰り道、彼女が僕にこう言ったのです。『もし、あなたがこのバレエ団で何か作品がつくったら、それは私への最高のプレゼントにもなるわね』。素晴らしいアイデアだと思いましたし、それからゆっくりと時間をかけてそのアイデアをふくらませていったわけですが、いま、こうして作品を目の前にして思うのは、これは妻へのプレゼントでありながら、妻からの僕の写真家人生におけるもっとも素晴らしい贈り物でもあった、ということです」

《Analogia》シリーズより
© PIERRE-ELIE DE PIBRAC / AGENCE VU’
この『In Site』を三部作という形式をとっている。リハーサルやバックステージの様子、ダンサーたちの日常を幻想的なモノクロームで切り取った《Confidences(フランス語で“秘密、打ち明け話”の意味)》、ガルニエ宮のさまざまな場所で11人の若手ダンサーを配置して撮影した演劇的な《Analogia(アナロジー)》、長時間露光による“ブレ”で、ダンス表現における美の一面を表現した《Catharsis(精神の浄化)》。コンセプト、撮影方法すら異なるそれぞれのシリーズは、彼がバレエ団の世界を知っていくプロセスと大きく関係している。
「最初に撮りはじめたのが《Confidences》。ガルニエ宮とオペラ・バスチューユに滞在するようになって、僕が重要に思ったのは、まずダンサーたちを知ることでした。そして、2〜3カ月かけて、彼らがいる空間に身を浸し、時間を共有しながら、じっくりダンサーを観察しました。そうして見えてきた彼らの身体、彼らがいる世界の美しさを描いたのが、このシリーズです」

2点ともに《Confidences》シリーズより
© PIERRE-ELIE DE PIBRAC / AGENCE VU’

《Confidences》シリーズより
© PIERRE-ELIE DE PIBRAC / AGENCE VU’
また、とりわけガルニエ宮を出入りするなかで、彼は「この歴史ある建物も、バレエのクオリティに大きな影響を与えていること」を実感する。この気づきが、荘厳なガルニエ宮自体を表現対象とする《Analogia》を生んだ。
彼が狙ったのは、ダンサーですら畏怖するこの空間を、本物以上のスケール感で表現すること。そのため、大型のビューカメラを改造して撮影に挑んだと話す。「この作品では、11人の若いダンサーたちを起用し、人物の配置やポーズは、撮影現場で彼らの意見を聴きながら決めていきました。また衣装もパリ・オペラ座のオリジナルで、中にはおよそ100年前に作られたものもあります。ダンサーやオペラ座のスタッフとのコラボレーションで実現した特別な作品」とピエール=エリィは言う。

《Analogia》シリーズより
© PIERRE-ELIE DE PIBRAC / AGENCE VU’

《Catharsis》シリーズより
© PIERRE-ELIE DE PIBRAC / AGENCE VU’
もうひとつの《Catharsis》は、バレエという身体表現に対する、ピエール=エリィのパーソナルな考えをビジュアライズしたものだ。ダンサーは踊りとともに、身体から空間にエネルギーを放ち、観客はそれをエモーションとして受け止めるーーこの作品群では、彼が感じるその情感を、“ブレ”を駆使した抽象絵画のようなイメージで表現した。
ピエール=エリィがとびぬけて優れているのは、主題に対する洞察力や観察眼だろう。そして、ときに無音カメラを、ときに改造したカメラを使い、コンセプトに最適な方法論を導き出す。
また演出も巧みだ。この作品において、おそらくピエール=エリィはいずれの被写体とも目線が合わないように撮っている。(ただし例外的に、ポートレイトとして撮影したバレエを習う少女たちのカラー写真では、ピンボケした被写体のひとりが視線をこちらに向けているように見える。また引退前のオーレリ・デュポンを本番直前の楽屋で撮ったカットでは、手に持った鏡の向こう側に、カメラ目線のデュポンが映っている)。

展示風景。《Confidences》シリーズのうち、当時ダンサーで現在芸術監督である、オーレリ・デュポンを楽屋で撮影したカット
PHOTOGRAPH BY MASANOBU MATSUMOTO
それは、カメラを持ったピエール=エリィの存在が気にならなくなるほど、彼がしっかりと場に溶け込み、またダンサーたちと信頼関係を築いた証だが、同時にオペラ座をずっと見守ってきた亡霊、『オペラ座の怪人』のファントムのようなまなざしをほのめかす。そうして『In Situ』は、パリ・オペラ座の舞台裏をドキュメントしながら、どこか現実を超えたフィクショナルな物語の世界へと鑑賞者を誘うのである。