現在建造中の新国立競技場を手がけ、世界の注目を集める建築家、隈研吾。彼は建築の可能性を問い直す一方で、資源が減少する今「建築はどうあるべきか」を模索しつづけている

BY NIKIL SAVAL, PHOTOGRAPHS BY STEFAN RUIZ, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO

 大成建設(施工業者)、梓設計(設計事務所)そして日本政府といった要求の多いメンバーの中では、最終案は必然的にそれぞれの意見を折衷したものになる。しかし、その設計プランを見ると、隈の多くの作品と同様、むしろシンプルで、これほど壮大な競技場としてはきわめて控えめだというのが第一印象である。

多層式だが、その高さはハディド案の3分の2ほどと低く、50mに満たない。格子状に組んだ木材が見えるような屋根構造。完成予想図によればコンコースには樹木が点在し、建物全体が公園に囲まれていて、明らかに周囲の自然景観との調和を重視したデザインとなっている。資材として使われる2000m³もの杉とカラマツは、日本の全都道府県から調達する予定だ(最近になって、ある下請け業者がボルネオの森林破壊に加担している疑いがあると環境団体からの指摘があったが)。隈のプランは、はっきりそうと意図したわけではないにせよ、ハディドが示した未来的で自己主張の強いデザインとは─そしておそらく、未来的で自己主張の強い建築一般とも、真逆の指向性を表している。

隈が設計する、明るくて、シンプルで無駄がなく、木材を中心とした建築物は、建築雑誌や業界紙にあふれる硬直したフォルムの建物とは一線を画す。その作品は一見すると日本の伝統、いわゆる「日本らしさ」を表現しているように思えるが、よく見るとそれは、目の錯覚を誘導し、内と外とのあいまいな境界を感じさせるテクニックのひとつであることがわかる。

隈の建築は、見かけで判断するとだまされる。強迫観念に取りつかれたように同じ素材が繰り返し使われ、自然との調和や人間性よりもITや高層化を追求する“ハイモダニズム”を否定したかと思えば再び受け入れ、新たに解釈しなおす──。つねにパラドックスとアイロニーに満ちた建築論を展開する隈は、自身が標榜する“謙虚で控えめな建築”を求めるがゆえに、しばしば扇動的な発言をする。「私は建築の定義を変えたいのです」と彼は言う。ある意味で、隈研吾はすでにそれを成し遂げてしまっているのだが。

画像: 1964年開催の東京オリンピックのために丹下健三が手がけた国立代々木競技場。隈が建築家を志した 原点となった建築だ PHOTOGRAPH: THE ASAHI SHIMBUN/GETTY IMAGES

1964年開催の東京オリンピックのために丹下健三が手がけた国立代々木競技場。隈が建築家を志した 原点となった建築だ
PHOTOGRAPH: THE ASAHI SHIMBUN/GETTY IMAGES

 隈研吾が生まれるおよそ10年前、第二次世界大戦で焼夷弾の爆撃に見舞われるまでは、たいていの日本の伝統的家屋には木材が使われていた。一方で、木材は天候や湿度の影響で劣化しやすいために継続的なメンテナンスや修繕が必要であり、非耐久性、脆弱性、地味さといった難点もある。こうした性質上、木材は大規模な建築には適さないと考えられてきた。だが、隈は木の魅力にどうしようもなく取りつかれている。「建築家はいかなる場所でも目立つべきではない」と語った隈にとって、木はぴったりの素材だといえるだろう。

建築家を志して以来およそ50年、隈がこんなふうに建築家に控えめな姿勢を求めるのは、この職業に対する複雑な抵抗感を抱いているためだ。建築の勉強を始めた頃の彼は、どこにでもいる怒りに満ちた若者で、時代の流れに逆らおうとする気持ちが強かった。自分が何を望んでいるのか見極めることなく、あらゆるものを否定してかかった。丹下健三の国立代々木競技場との出会いは彼の原点ではあったが、16歳になった1970年頃には、日本のモダニズム建築への興味もすっかり失ってしまっていた。

その年に隈が訪れた大阪万博では、丹下健三と彼に強い影響を受けた黒川紀章や菊竹清訓ら(きよのり)ら“メタボリスト”と称するグループが、建築史上最も奇抜で、目を見張るような建築を披露していた。1960年代に日本のモダニズム建築の先駆けとして登場したのが、このメタボリストたちだ。

彼らの展開する建築運動「メタボリズム」は、細胞の新陳代謝のように、成長する都市と柔軟に呼応する建築を提案していた。“海上都市”や“空中に浮かぶ家”など、数々の壮大な計画や近未来のビジョンを創造し、ヨーロッパのモダニズムをファンタジーの領域にまで広げたのだ。しかし隈にとっては、大阪万博は消耗するものでしかなかった。尊敬する建築家たちはみな、空想的なフォルムをつくり出すことのみに関心を寄せ、環境や人間のニーズをまったく無視していたからだ。

PRODUCTION BY AYUMI KONISHI AT BEIGE & COMPANY

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