現在建造中の新国立競技場を手がけ、世界の注目を集める建築家、隈研吾。彼は建築の可能性を問い直す一方で、資源が減少する今「建築はどうあるべきか」を模索しつづけている

BY NIKIL SAVAL, PHOTOGRAPHS BY STEFAN RUIZ, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO

画像: 藤屋旅館の内装

藤屋旅館の内装

 日本で高い評価を受ける一方で、海外での活動が比較的少なかった隈研吾は、著作の中で、建築家の自己主張を抑えて「建築を消す」こと、周囲の環境に溶け込む建築のあり方を目指す「負ける建築」といった建築観を繰り返し提唱してきた。しかしそんな彼も63歳にして、ついに世界的名声を獲得することになりそうだ。その地位のゆくえは、あるたったひとつの建物にかかっている。2020年に開催される東京オリンピックのための、新国立競技場。隈の建築への関心をかき立て、この職業へと進ませたきっかけ、丹下健三の最高傑作である国立代々木競技場から約1.6km離れた場所にこれを設計することになったことは、彼の宿命と言ってもいいだろう。新国立競技場は、隈研吾の作品のなかでも最も自己主張を抑えた建築になるだろう。それがまた世間の物議を醸すことにもなるに違いない。

当初採用された故ザハ・ハディドのデザイン案および、のちに彼女のデザイン監修のもとで日本の設計チームが種々の条件に合うよう調整した修正案は、巨大な流線形の自転車用ヘルメットかマンタのようだと、多くの日本人建築家の非難の的となった。建築界のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞を受賞した槇文彦を中心とする建築家たちはハディド案に抗議する署名運動を繰り広げ、隈も署名に加わった(当時まだ存命だったハディドは、自分のデザインに異を唱える人たちは日本人の建築家が選ばれなかったことに腹を立てているのだと反論した)。

日本を代表する建築家のひとりである磯崎新は、ハディド案を支持する一方、修正案には厳しい批判を表明。日本スポーツ振興センターに送った書簡には、「当初のダイナミズムが失せ、まるで列島の水没を待つ亀のような鈍重な姿」、「(修正案が実現すれば)将来の東京は巨大な『粗大ゴミ』を抱え込むこと間違いなく」と苛烈な言葉が並んだ。これらの批判を背景に、安倍晋三首相は2015年、新国立競技場の総工費が大幅に膨らんだことを理由として建設計画の白紙撤回を表明。これを受け、すみやかにやり直しのコンペティションが行われ、隈研吾の案が採用された。

 しかし隈は、新国立競技場のプロジェクトがはらむ別の問題点も指摘する。オリンピックのおかげで国内の建築費がどれほど高騰することになるのか。とりわけ、彼にとって最も重要な建築のいくつかが存在する地方が打撃をこうむることに不安を覚えるという。また、ほかの建築家をおとしめることを嫌う彼は、ハディド案の撤回を求める嘆願書に署名はしたものの、公然と批判することに当時は抵抗を感じていたと語る。

その新国立競技場の建設予定地は東京では数少ない緑地のひとつとして知られ、隣接する明治神宮外苑のイチョウ並木は、1900年代初頭に明治天皇の遺徳を讃えて植栽されたものだ。また、この付近はたまたま隈の毎日の通勤路でもある。昔ながらの家並みが残る神楽坂の自宅からファッショナブルな南青山にある事務所まで、約30分の道のりの途中にあたるのだ。「あのあたりは自分の庭のようによく知っている」という彼は、外苑の杜にハディド案は「合わないでしょうね」とさらりと言った。「なにしろ私は毎日あそこを通っているんですから」。まるで、それが自分が競技場を建てることになった唯一の理由であるかのように。

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