ジャコモ・ブレリは、田舎料理を作って人々にふるまうことに生涯をかけてきた。だが、そんな彼の運命を変えたのは、建築家のレンゾ・モンジャルディーノだった

BY DEBORAH NEEDLEMAN, PHOTOGRAPHS BY BERT TEUNISSEN, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

 私たちは「ジャコモ・ビストロ」の窓際の角の席に座っていて、午後の光がそこに差していた。スタジオ・ペレガリがデザインを担当し、2007年にオープンしたビストロだ。ブレリの横には娘のティッチアーナがいて、私たちはリゾットの上にのったこの秋最後の白トリュフを食べていた。ブレリは手を大きく振って、恐怖におののいていたというペレガリの見方を否定した。「でも、私はこう思ったんだ。『レンゾがレストランの何を知ってるって言うんだ!? 彼は億万長者のために家を造ってる人間だろ』ってね」。ブレリが恐怖に駆られていたかどうかはさておいて、この指摘はもっともだ。元の「ダ・ジャコモ」はシンプルな店で、モンジャルディーノは豪華な家を造るクリエイターだった。裕福なイタリア人御用達の建築家で、庶民の生活からは遠くかけ離れた人物と、ささやかなトラットリアのオーナーを結びつけた糸とは何だったのだろう?

 モンジャルディーノはブレリのために1989年にヴィア・パスクエール・ソットコーノに「ダ・ジャコモ」を建てた。今日、その建物に入る者が、20世紀初頭に建てられたトラットリアがそっくりそのまま残っているように錯覚したとしても無理はない。あの『ミシュランガイド』の最新刊ですら、この店のオープン年を間違えて記載したほどだ。とはいえ、内装に古ぼけた感じはいっさいない。「モンジャルディーノが手がけた箇所は、すべてそのままの形で残してある。何ひとつ変える理由がないからね」。店内を歩きながらブレリは言い、「まさに完璧だ」と続けた。確かに、あまりにも完璧すぎて、これが世界で最も美しいレストランの内装のひとつであることすら意識しないでいられるほどだ。部屋の装飾のあらゆる部分が注意深く細密に造られているのにもかかわらず、適度な抑制によって必要以上の華美さを感じさせない工夫が凝らされているのだ。

画像: ダークな色の羽目板と、モロッコ製の革で装丁が施された書物で飾られた「ジャコモ・ビストロ」。19世紀のフランス文化と 北イタリア、ヴィクトリア 調のデザインが溶け合い、威厳がありながらも温かい家のような味わいを醸し出している

ダークな色の羽目板と、モロッコ製の革で装丁が施された書物で飾られた「ジャコモ・ビストロ」。19世紀のフランス文化と 北イタリア、ヴィクトリア 調のデザインが溶け合い、威厳がありながらも温かい家のような味わいを醸し出している

 実のところ、1900年代初頭のロンバルディア州のトラットリアを想起させるのがモンジャルディーノの意図だった。当時は昼食が一日のうちのメインの食事であり、この店も日中に食事をする場所として設計したのだ。彼は子どもの頃の思い出にある牛乳店のパステルカラーを使うことにした。複雑に凝った木のパネル部分には薄緑色を、その上部の、浮き彫り模様の壁紙には黄色を使った。そうしたディテールは、漆喰(しっくい)加工や天井と壁の境目のモールディング、タイルの床といった職人技、そしてごくベーシックな木の椅子などとあいまって、まるで過去にタイムスリップしたような気持ちにいざなってくれる。海で捕れたての新鮮な魚を中心としたブレリの料理もまた、今はもう見あたらない古きよき田舎暮らしを思い起こさせる。「先進的なレストランには、人は新しい味を体験するために行く」とペレガリは言う。「ここには、人々は食べるために来るんだ」。にもかかわらず、いや、むしろこの店がデザインや食の流行をいっさい追わないからこそ、「ダ・ジャコモ」は常にクールなものを探し求めてやまない国際的なファッション界の住人にとって必須の店となっているのだ。この27年間、ファッション業界の人々がミラノを訪れると、彼らは決まって「ダ・ジャコモ」の扉の中に吸い寄せられてきた。

 

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