ジャコモ・ブレリは、田舎料理を作って人々にふるまうことに生涯をかけてきた。だが、そんな彼の運命を変えたのは、建築家のレンゾ・モンジャルディーノだった

BY DEBORAH NEEDLEMAN, PHOTOGRAPHS BY BERT TEUNISSEN, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

 2007年、ブレリは、ペレガリと彼のパートナーのローラ・サトリ・リミニに、店に入りきれない客のために新しいレストランを1軒造ってくれと依頼した。ともにモンジャルディーノを師と仰いでいたペレガリとサトリ・リミニは、1990年代初めにスタジオを立ち上げていた。新店舗を設計するにあたり、スタジオ・ペレガリは「ダ・ジャコモ」の時代を超越した感覚と細部へのこだわりを残しながらも、まったく違うものを模索した。トラットリアが昼間の客を魅了するものであるなら、新しい店は優美さを強調したディナー客のための店にしようと考えたのだ。メニューも肉とフォアグラに重点を置いた、やや高級なものになった。サトリ・リミニいわく、コンセプトは「居心地がよく、なじみのない街でも温かく迎えられていると感じさせる場所。ひとりで空港から直行してもいいし、映画や演劇を観てから寄ってもいい場所」だそうだ。「ダ・ジャコモ」はその存在が周知されるまでに1年ほどかかったが、このビストロは瞬く間に人気スポットとなった。理由のひとつは、世界でも最も人気のある著名人たちの間で話題になったためだ。

 ちょっと想像してみてほしい。美しさの粋を極め、伝統を守り抜くパリの店、たとえば「ル・ヴォルテール」や、「ル・グラン・ヴェフール」と、活気あふれるイギリスのレストラン、「ザ・ウォルズリー」や「ウィルトンズ」が合体したイメージを。往年のミラノの雰囲気を出すために、サトリ・リミニとペレガリは、19世紀末の北イタリアに影響を与えたフランス風の要素と、英国のクラブの内装に使われていたヴィクトリア調の細かい装飾とを組み合わせた。たとえば、壁柱やアーチで飾られ深い色に磨き抜かれた羽目板、アンティークの鏡、真鍮製の飾りや漆喰の天井などはイギリスからきたものだとわかる。手描きの絵が施された綿やベルベットの布、稀少本、 中国風の屛風、油絵などはフランスから取り寄せたという具合だ。スタジオ・ペレガリがテーブルや椅子、 照明や食器をデザインした。また彼らがデザインしないものは、アンティークの砂糖壺からガラスのカップ に至るまですべて特注でオーダーした。

画像: パンやケーキを販売する「ジャコモ・ パスティッチェリア」 ブレリの孫娘たちが経営するこのショップは、ベルエポック期のフランスのベーカリーを思わせる

パンやケーキを販売する「ジャコモ・ パスティッチェリア」
ブレリの孫娘たちが経営するこのショップは、ベルエポック期のフランスのベーカリーを思わせる

 ジャコモとスタジオ・ペレガリの3人は2010年に再びチームを組み、ノベチェント美術館、別名「ミラノ20世紀美術館」の中に入るレストランのデザインコンペに勝利した。ファシスト時代の建築スタイルで造られたその建物からは、歴史的に名高いドゥオーモ広場が見える。イタリアが抑圧されていた時代の建築の力強さを下敷きに、サトリ・リミニとペレガリは1920年代、アールデコ時代のニューヨークの楽天的な雰囲気を取り入れ、そこにアドルフ・ロースやジャン・ミシェル・フランクら、ヨーロッパのモダニズムのデザイナーたちのテイストを加えた。さらにひねりとして、 イタリアの形而上絵画家、ジョルジョ・デ・キリコと マリオ・シローニの要素も加えられた。そして今回もまた、漆塗りのパネル、真鍮の仕切り壁、漆黒に染められた木、金粉をあしらった木のパネル装飾から照明、食器に至るまで、あらゆるディテールは全体の雰囲気に合うよう、サトリ・リミニとペレガリのふたりがデザインを手がけた。「ジャコモ・アレンガリオ」は、その内装と立地のせいもあって、よりグローバルな繊細さを醸し出している。料理もやや軽め、かつ国際色を意識したメニューで、新規の国際色豊かな客層を想定したものだ。

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