プライベートとパブリック、内と外、建築と自然といった相反する要素の関係性を探りつづけてきた藤本壮介。彼は現代建築界の傑出したコンセプチュアルアーティストだ

BY NIKIL SAVAL, PHOTOGRAPHS BY BENJAMIN HOSKING, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

 藤本壮介のモラトリアム期の最大の功績は、何ひとつ建築を手がけなかったことだ。北海道から上京し、東京大学の建築学科を卒業した1994年、23歳だった彼は、ル・コルビュジエとミース・ファ・デル・ローエの簡素で機能的な様式に強く惹かれていた。だがこれらの作品に想像力をかき立てられるだけで、具体的には何もできずただ途方にくれていた。大学で学んだ知識は十分とはいえず、建築の方向性は多岐にわたり、どれを目指したらいいかもわからなかった。彼いわく、ひどく内気なタイプだったため、憧れていた伊東豊雄やSANAAの建築事務所に面接に行く勇気さえなかったらしい。

画像: 写真は東京の事務所にて 藤本壮介(SOU FUJIMOTO) 1971年、北海道生まれ。東京大学工学部建築学科卒業後、2000年、藤本壮介建築設計事務所を設立。主な作品に、ロンドンのサーペンタイン・ギャラリー・パビリオン2013(2013年)、House NA(2011年)、武蔵野美術大学 美術館・図書館(2010年)、House N(2008年) など。2014年フランス・モンペリエ国際設計競技最優秀賞(ラルブル・ブラン)に続き、2015、2017、2018年にもヨーロッパ各国の国際設計競技にて最優秀賞を受賞。2019年津田塾大学小平キャンパスマスタープラン策定業務のマスターアーキテクトに選定 www.sou-fujimoto.net

写真は東京の事務所にて

藤本壮介(SOU FUJIMOTO)
1971年、北海道生まれ。東京大学工学部建築学科卒業後、2000年、藤本壮介建築設計事務所を設立。主な作品に、ロンドンのサーペンタイン・ギャラリー・パビリオン2013(2013年)、House NA(2011年)、武蔵野美術大学 美術館・図書館(2010年)、House N(2008年) など。2014年フランス・モンペリエ国際設計競技最優秀賞(ラルブル・ブラン)に続き、2015、2017、2018年にもヨーロッパ各国の国際設計競技にて最優秀賞を受賞。2019年津田塾大学小平キャンパスマスタープラン策定業務のマスターアーキテクトに選定
www.sou-fujimoto.net

 藤本は大学卒業後も大学院には進まず、計6年間を何をするわけでもなく東京の中野で過ごした。昼頃に目覚め、ときどき人で賑わう混沌とした街を歩きながら、建造物の特性や都市環境について考えたり、アイデアを煮つめたり、ほかの建築家の着想を掘り下げたりした。ほかには大したことをしなかったが、際限ない自由を気ままに謳歌していたという(「幸い親の援助があったので」と彼はつけ加えた)。少し変わったテーマのコンペに数回応募して、いずれも落選したが、これからの建築のあり方について自分なりに手探りしていた。勤勉さこそが重視される日本で、こんなキャリアのスタートは珍しい。彼にとって幸せな6年間だったというが戸惑いがなかったわけではない。「楽しかったけれど、日本の社会システムの枠から完全にはずれているという感覚はありましたね」

 だが“こうあるべきという世間のルール”に反して、自ら選んだ規格外の生き方が無駄ではなかったことを藤本は実証してみせた。48歳と建築家としては比較的若い年代ながら、“相反する要素の関係性”を探る透徹したビジョンの建築家として、今、彼はキャリアの最も輝かしい時期にいる。これまでに手がけた住居のなかでも、ひときわ奇抜なのが2011年竣工の戸建て住宅《House NA》だろう。

その箱を積んだような外観は、モダニズム以降、めったに見たことがないスタイルだ。ガラス張りのキューブを階段でつないだだけの構造は、新しい“部屋”の概念を伝え、開放的な空間と閉鎖的な空間、パブリックとプライベートの境界を問いかける。2010年に開館した、武蔵野美術大学の美術・図書館では“内と外”の概念を取り払い、ガラスで覆った木製の本棚を外壁として設けた。南仏のモンペリエでも、驚くようなフォルムの白いアパートを完成させたばかりだ。各戸のバルコニーがあちこちに突き出した円筒形のタワーは、枝分かれした木を模している。

画像: 巨大な書架の壁に囲まれた、武蔵野美術大学の美術館・図書館(2010年竣工)

巨大な書架の壁に囲まれた、武蔵野美術大学の美術館・図書館(2010年竣工)

 執拗なまでに同じアイデアを掘り返す藤本の作品は、ある意味、現代建築のコンセプチュアルアートと呼べるだろう。彼の話を聞いていると、内と外、個人と社会、私と公、自然と都市といった対極の言葉で構築された世界の住人になったような気がする。静けさとダイナミックさを併せ持つ彼の建築物は、こうした相反する要素から生まれるのだ。あてもない日々を過ごしていた頃、藤本は東京の街を散策しながら疑問に思ったそうだ。

なぜ賑やかな都市環境が、つまりその混沌が、子どもの頃に見た自然界の混沌に似ているのだろうと(故郷の北海道には活火山や温泉など起伏豊かな自然がある)。「人が考えたものなのに、どうしてこんな複雑な構造になったのかが気になったんです」。都市は人間がつくったものなのに、自然界の混沌に似ていることが彼には不思議でならなかった。「人工的な混沌」、おそらくこれこそが藤本の作品のキーワードであり、彼の偉業を理解し、説明するのに最適な表現だろう。

 2019年6月、東京・江東区越中島の静かなエリアにある藤本の事務所を訪れた。元倉庫を見事にリノベーションした事務所は、思わず見上げてしまうほど天井が高い。彼の建築作品と同じように、壁も家具も建築模型もまばゆいほど真っ白で、合板の大型作業台だけがブロンズ色のアクセントを添えていた。その日は週末だったが、彼のアトリエはこれまでに見たどの事務所とも様子が違っていた。そこには、コーヒーをがぶ飲みし、ヘッドフォンでテンションを上げるような曲を大音量で聴き、疲れた顔でオートキャド(註:建築施工図を書くためのCAD)を操るアシスタントたちはいなかった。目についたのは、模型制作にいそしむ数人の社員だけ。藤本は子どもが生まれてから、スケジュール管理に気を遣うようになったそうだ。しかし世界を舞台に活躍する坂 茂や隈 研吾と同様に、パリにも事務所を構え、最低月に一度はそこを訪れる彼に時間の余裕があるとは言えないだろう。

 2018年にはアメリカの〈ジャパン・ハウスロサンゼルス〉で、『藤本壮介:FUTURES OF THE FUTURE(未来の未来)』という展覧会が催され、藤本の創作プロセスが披露された。ホチキスの針やポテトチップス、くしゃくしゃの紙でできた模型を並べた会場では、藤本が常々探求する、人工物、身体、自然の“狭間にあるもの”が表現されていた。彼の手にかかれば、寿司に添えるプラスチックのバランはミニチュアの風景の一部になる。発泡スチロールのキューブを乾いた小枝でつないだ模型は、人工的な環境に自然を取り込むという新しい発想を示している。展覧会のオープニングで藤本が言ったように、彼は「自然を模倣して人工的につくったものが、改めて自然に別の可能性をもたらすかもしれない」と考えているのだ。

画像: 千葉県市原市の鉄道駅前、自然の中にぽつんと建つ公衆トイレ(2012年設置)

千葉県市原市の鉄道駅前、自然の中にぽつんと建つ公衆トイレ(2012年設置)

建材として主にスチールやコンクリート、ガラスを使う藤本が、まさか食べ残しのスナック菓子を建築に見立てるはずがないと思うだろうが、実は時折そうするらしい。「突拍子もない思いつきを話したり、たわいない雑談をしたり、くだらないものを持ってきたりして構想を練ることはあります」。その発想のプロセスにはスケッチ、思考のあれこれを書き連ねること、チームによる模型制作が含まれる。『未来の未来』展で藤本は、メタファーにあふれる想像力を鮮やかに駆使しながら、〈純然たる人工物〉と自然を結びつけ、両者の境界は曖昧であることを示した。建築の本質について繰り返し問いただしてきた彼が、建築とは対立した要素の融合であることを、来場者に伝えようとする熱い
思いも伝わってきた。

 彼が6年間、社会の枠の外で漫然と過ごしていた20代の頃には、今日の成功など想像できなかったはずだ。自ら選んだ無為の日々から抜け出す最初のきっかけ、つまり彼に転機をもたらしたのはふたつのコンペだった。ひとつ目は2000年の青森県立美術館の設計競技で、ほぼ全面にガラスを使った透明な空間を提案した。優勝は逃すが見事2位に入賞する。審査員のひとりだった伊東豊雄(藤本の一部の作品に見られる曲線や流動的なフォルムは伊東のデザインに通じるものがある)は、『新建築』誌で藤本の作品を取り上げ、新世代のホープとしてたたえた。「賞金は受け取っていないし、何かががらりと変わったわけじゃないんです。でもやっと水底から水面まで浮かび上がってきた気がしましたね」。藤本はまもなく設計事務所を立ち上げ、建築家として登録した。内気な性格を克服し、メディアに取り上げてもらい、ほかの建築家たちと交流するようにもなった。

 彼を成功に導いたもうひとつのプロジェクトは、1990年代後半に、父親と同じ精神科医である、父親の友人に依頼されたいくつかの病院の設計だ。これらのプロジェクトを通じて、彼は建築を独自の比喩で表現するようになった。少年時代を過ごした家は、父親の精神科病院の敷地からわずか100メートルの場所にある。「父親も同僚の医師たちも、患者たちは“閉じ込められた病人”ではなく、“空間と自由を必要とする独立した個人”だと考えていました」。そのため病院の敷地には囲いがなく、藤本がまだこの家で暮らしていた頃には、患者たちがよく彼に挨拶をしていたそうだ。

「ある意味、そういう環境で育ったのは幸運でしたね」。病気と健康、その境界について「あちら側にいても、またこちら側に戻ってくるかもしれない」と言う。つまり、一見相容れない要素の間にある差異とは“グラデーション”にすぎないのだ。「これが私の基本的な世界観なんです」。規格外を嫌う社会から数年間ドロップアウトした彼自身の人生も、この哲学にぴったりと当てはまる。「あちら側にいても、またこちら側に戻ってくるかもしれない」という道理で、彼自身が、自由に境界線の外に行って、また戻ってきたのである。

画像: 2014年竣工、渋谷区の《表参道ブランチーズ》は、店舗、オフィスが入った複合ビル

2014年竣工、渋谷区の《表参道ブランチーズ》は、店舗、オフィスが入った複合ビル

 医療機関としては最後になる、北海道伊達市《児童心理治療施設》(2006年竣工・現バウムハウス)の設計で、彼は初めて国際的な名声を得た。背の高い24個の白い箱を丘の上に並べたような建物は、写真で見るとどこか謎めいていて不気味だ。設計図上では、中心にある複数の箱が、かすかな距離を保ちながら好き勝手な方向を向いて並んでいる。内装写真を見ると、それぞれの箱の間に、風変わりな“くぼみ”のようなセミプライバシー・コーナーがあるのに気づく。彼がこうした配置や内装にしたのは、施設を利用する子どもたちが向き合う特殊な状況をよく理解していたからだ。一般的に心理治療施設というのは、患者が生活する場所でもあるため、社会の縮図を反映した空間をつくるべきだと藤本は考えている。

「この施設では約50人の子どもが一緒に生活をするので、ちょっと隠れたい気分になることや、ひとりきりになりたいときがあるんじゃないかなと思ったんです。だから子どもたちが人との距離を思い思いに選べる空間をつくりました。時にはひとりで、時には2、3人の本当の仲良しと一緒に、時には大勢の仲間と隠れられるように」。こうして生まれたのが、自分と他人との距離を自由に保てるスペースだった。着想から施工にいたるまで、藤本は開放的な空間と閉鎖的な空間のバランスを絶え間なく吟味し、開放してもプライバシーが保たれる限界と、区切っても人と交流できるギリギリのところを探った(オープンオフィスを設計する建築家に採り入れてほしい観点だ)。藤本は依頼主である医師と長年の知己だったおかげで「医師の意図がよくくみ取れたし、互いに信頼を寄せ合えた」と言う。

 この治療施設の設計は次のステップへの土台となり、藤本は国内で数多くの住宅設計を手がけるようになった。近年の住宅建築のなかでも際立った、数々のユニークな家を生んできたが、そのひとつが2008年に完成した大分県の《House N》だ。彼が初期に探求した「入れ子構造」の建築である。

画像: 大分県の《House N》(2008年竣工)の庭。藤本は斬新な発想の建築家として広く知られている

大分県の《House N》(2008年竣工)の庭。藤本は斬新な発想の建築家として広く知られている

 ダイニングルームは、キッチンなどを含む箱で囲われ、その周りは庭の箱で囲われている。どの箱にも開口部があり、入れ子の中心にある〈家〉の壁のあちこちにも大きな穴があいたように窓が並んでいる。それは普通の一軒家にある等間隔で並んだ窓とは違い、長方形を引き伸ばしたようなフォルムだ。開放感が特徴ではあるが、ミース・ファン・デル・ローエによる、週末の別荘《ファンズワース邸》(1951年)とは趣向が異なる。シカゴ郊外にあるミースのワンルームハウスは全面ガラス張りで中が丸見えだが、藤本のこの家は、重なり合った窓から見える庭のおかげで、自然と共生できる仕組みになっている。この斬新な構造には、住宅の従来の機能を刷新しようとする意気込みが映し出されている。

 だが最も藤本らしい、驚きに満ちた住宅建築といえば、東京の西部、閑静な住宅街に建つ《House NA》だろう。通りから見ると、コンクリート台を互い違いに並べ、スチールポールで箱型のフレームをつくり、ガラスで覆ったような印象の一戸建てだ。いわゆるファサードは存在せず、各フロアの高さにズレがあるせいか建設現場のように見える。21枚のフロアプレートでつくられた9つの部屋が互い違いの高さで浮かんだ様子は、ツリーハウスのようでもある。

この家を見に行ったとき、私は住所を間違えて、周囲の道を何時間もさまよった。このときばかりはさすがに、様式もサイズも異なる、日本の建築物の無秩序な外観に軽い苛立ちを覚えた。もし通りに沿って一列にレンガのテラスハウスが並んでいたら、ひとつだけ異彩を放つ近代建築が簡単に目に入ったのにと。私は長いこと、脇に見えた建築工事現場が《House NA》だろうと勘違いしながら歩きつづけた。プレス用に撮影された《House NA》の写真は、どこまでも開放されたムードが印象的な、戸建て住宅の広告のようだ。白い服の女性が白い床に座り、その後ろの一段高いフロアにいる白のトップスとジーンズを身につけた男性のほうを見ている。別の白い服を着た人は階段に座り、キッチンにいる女性と話をしている。どのシーンも、窓だらけのガラスのファサードから降り注ぐ光にまばゆく照らし出されている。

画像: 東京西部にあるツリーハウスのような《House NA》(2011年竣工) PHOTOGRAPH BY IWAN BAAN

東京西部にあるツリーハウスのような《House NA》(2011年竣工)
PHOTOGRAPH BY IWAN BAAN

 藤本は《House NA》の敷地面積には限りがあり(54㎡)、また斬新なデザインは施主自身の希望だったと教えてくれた。「広いとは言えない敷地だったので、そこにもしリビングからダイニング、キッチン、ベッドルームにバスルームまでつくったら、どこにでもあるただの小さな家になってしまいますよね。またご依頼主が独創的なスタイルを好まれる方だったんです」。藤本は施主と話をするうちに「これをするなら、あの部屋」という決まりを失った、現代の家の特徴に気づいたという。特定の機能を備えた部屋で、特定のことを行うという習慣は消失したのだ。今の人々はリビングルームでパソコンを使って仕事をし、ほとんどの場合パソコンを持ったままキッチンへ移動する。それなのに従来どおり、役割ごとの個室があり、閉塞的で移動しづらい家の中を、四六時中行ったり来たりしなくてはならない。こんな状況を変えようと、藤本は「インターネット時代の家」を編み出した。

 こうしてでき上がった家には、独立した個室ではなく複数の“コーナー”がある。児童心理治療施設と同様に、人と一緒にいたいか、ひとりでいたいかによって選べるスペースも設けた。構造的には、入れ子式の家具をひとつずつ取り出して積み重ね、それぞれを階段(階段は椅子の役目も果たす)でつないだようなイメージだ。やわらかな詩的な光を浴びながら、藤本は語り出した。「この家にいると、小さなプレートや柱、階段や椅子といったものが周りをふんわり漂っているように見えるんです。ガラスの箱というより、人工的な小さな浮遊物の中にいる。そんな印象ですね」。

だがそこで生活するとなると、プレス用の写真のようにすべてをオープンにはできない。施主は、外からの視線を遮り、室内のスペースを区切るためにカーテンを取りつけた。実際、カーテンは頻繁に閉じられているが、藤本はこれがこの家のコンセプトに新たな価値を添えていると言う。「この空間にはカーテンがあったほうがいいですよね。より人間的になるし、住宅としての意義が明らかになるので」。どこまでもオープンな新しいコンセプトの家で、施主は逆に、新しいプライバシーのあり方を発見したというわけだ。私が《House NA》を見に行ったときは雨降りだったが、カーテンはやはり閉めきってあった。そのときふと目についたのが、私道に停まっていたシトロエンだ。ル・コルビュジエが1927年にドイツのシュツットガルトに建てた、モダニズム建築の原型と称される直方体の《シトロアン住宅》(註:フランスの大衆車シトロエンにちなむ、量産可能な箱型建築)を仄ほのめかしているように見えた。

 建築とは人が暮らす場所であり、周辺の住民と共生するものだが、シンボルや比喩的要素が目立った建造物は多い。建築家の知的な満足度と、空間の利便性とは必ずしも一致しないものだ。その典型例が、エーロ・サーリネンが設計した、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港《TWAターミナル》(1962年完成)である。空に向かって曲線を描いたシェル構造(註:薄い曲面板から成る建築構造)の屋根は鳥の翼を思わせるが、建築家兼評論家トーマス・ド・モンショーは最近ある記事で、TWAターミナルは「美しいが、変化に対応できない」と綴っている。世界のあらゆる空港と同様、JFK空港の旅客数はここ数十年で爆発的に増加したのだ(1962年には年間1,150万人だったが、現在は約6,200万人)。

昨年、このターミナルは出発ゲートとしての機能を失ってホテルのロビーに生まれ変わり、シンボリックな、郷愁を誘う過去の遺物と化した。空を飛ぶことが人類最大の夢だった過去から、地球破壊に加担する、狭苦しい不快な移動手段とみなされる時代へと変化したのである。建築の中にある自然と、自然の中にある建築の要素を絶えず表現する藤本のコンセプトは、ときに立地環境や空間に必要な調和や実用性を凌駕してしまう。藤本らしい様式やテーマがあるとするなら、まさにこれがその特徴だろう。スペインの劇場設計コンペで2位になったのは、典型的なブラックボックス(註:黒い壁に囲まれた空間)とは対極の、開放感と透過性がある、雲のように渦巻いたコンクリート建築のアートセンターだった。セルビアの首都、ベオグラードの《ベトン・ハラ・ウォーターフロントセンター》のコンペでは、さまざまな流れ(人や交通、歴史や思考など)が絡み合うというアイデアのもと、スペインの劇場案に似た雲の構造を採り入れた。

また、南仏モンペリエの風土を意識した、真っ白なコンクリートの高層集合住宅《L’ Arbre Blanc(白い木)》(2019年竣工)は、各戸から巨大なバルコニーが突き出ていて、写真で見るとまさに木のようだ。だが従来の高層建築の常識を覆すという考え以外に、この住宅を設計するうえで木の形であることにどんな価値があるかはわからない。「いろいろなフォルムの建物をつくり出してきましたが、建築物の文化的背景はフォルムそのものよりも、使う材料に反映させています」と藤本。ベオグラードのウォーターフロント・プロジェクトでは、付近にそびえる中世の城郭を象徴した古い石を用いた。

画像: 瀬戸内海のアート島、直島の宮浦港にある、ステンレスメッシュでつくられた藤本壮介の作品《直島パヴィリオン》(2015年完成)

瀬戸内海のアート島、直島の宮浦港にある、ステンレスメッシュでつくられた藤本壮介の作品《直島パヴィリオン》(2015年完成)

 ロンドンのケンジントン・ガーデンでは、毎年、有名建築家がデザインする《サーペンタイン・パビリオン》が期間限定で展示される。2013年にその依頼を受けたのが、歴代最年少の藤本だった。彼は大胆なコンセプトと建築の機能性を巧みに融合し、ひときわ異彩を放つパビリオンを生み出した。「これまでのアイデアの集大成となる作品を披露できるチャンスでしたが、過去のアイデアの繰り返しは避けたくて。だから、あらゆるコンセプトを結晶化させてひとつのクリアな形にしたんです」

コンセプトの策定に与えられた一カ月間、さまざまな案を吟味した。ステンレスのミラーフレームが周囲の緑を映し出し、緑の中に溶けて消えたように見える建物(彼はこの案を「クレイジー」と呼んでいる)も考えたが、最終的に“消失”より“透明”というテーマを選んだ。こうして最終案は《House NA》のように白いパイプを格子状に組んだ構造物になった。完成したパビリオンは、雲の形そのものであるスペインの劇場の設計案より、ずっと雲のイメージに近かった。構造的にはこれ以上ありえないほどにシンプルで、白のスチールパイプでつくった、大小さまざまな格子を並べただけである。それなのに建築現場風ではなく、シュールな雨雲のオブジェか、緑色の背景に浮かんだ吹き出しのように見えた。英『ガーディアン』紙の建築評論家オリバー・ウェインライトは、このパビリオンが、80年代の大型コンピュータや映画『トロン』の未来像を想起させると論じている。同時にこの未来像は、藤本の表現を借りれば“原初的な未来”の建築――相反する要素が生む前衛的な建築――に通じるものでもある。

 藤本と肩を並べる建築家で、これほど粘り強く実験を繰り返し、一徹に、取り憑かれたように同じテーマを掘り返す者はほかにいない。コンクリート建築が復興を支えた戦後期や、巨大構造体を生んだ60~70年代日本のメタボリスト(未来都市の形成を目指して大胆な建築物を生んだモダニスト)の次世代の担い手として、「建築とは何か」という本質的で難解な問いに向き合いながら、驚くような空間を生んでいる。藤本に「初めて出会った建築は何か」と尋ねると、アントニ・ガウディの建築写真集との答えが返ってきた。この実験的で型破りなモダニストがバルセロナに建てた、奇怪で破天荒な20世紀の記念碑的教会《サグラダ・ファミリア》を知らない人はいないだろう。

「ガウディに出会うまで、建物はみんなただのビルだと思っていました。建築を建築として見ていなかったので」と藤本。だがガウディの世界を垣間見て「建築はクリエイティブな行為」だと気づいたそうだ。彼の作品の核を成すのは、相反する要素をもとに、空間のありとあらゆる可能性を追い求める無限の創造力だ。ひっそりと、内省的に、忍耐強く、藤本は建築の根底にある“不可解さ”を発端にしながら、建築の未来を紡ぎ出していく。

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