BY NOBUYUKI HAYASHI, PHOTOGRAPHS BY TAMEKI OSHIRO
コロナ禍に台頭したAI技術がすごい勢いで世の中を変え続けている。そんな中、それとは対極に見える伝統文化「茶の湯」に注目する人が少しずつ増えている。経営者を含むリーダー層はもちろん、若年層や海外の人たちからも関心が高まりつつある。
全国51の支部に加えニューヨーク市にも支部がある茶道宗徧(そうへん)流では、今年に入って同市の生徒4人から、鎌倉の本部、宗徧流不審庵を訪ねたいとの相談があった。着物姿で訪れた4人のうちのひとりは「ニューヨークでの生活は時間の流れが速くて常に忙しく、自分を見失いがち。そんな中、自分を見つめ直す時間をつくるために茶道を学んでいる」と言う。家元は「海外の生徒は作法を身につけるためではなく、それをやることが自分にとっていいことだと思ってお茶を習っている。ヨガと同じだ」と評する。
少し前までは「茶道」と聞くと、どんな意図かもわからない作法を覚えさせられる煩わしさなどのイメージが先行し、敬遠する人が多かった。最盛期には500万人いた茶道人口は、2011年頃には150万人ほどにまで減少した。
しかし最近になって、作法やマナーばかりを重視した明治以降の「茶道」を再考し、茶の湯の文化の本質を改めて見つめ直す茶人が増えてきた。それに伴って従来の「茶道」の枠組みにとらわれない新しい試みも次々と誕生している。また茶の湯の要素を企業活動に取り入れる事例も少しずつ出てきた。
今回は、そうしたテクノロジー企業と歴史ある流派の家元、そして茶の湯の文化を世界に広め未来につなぐZ 世代といった先駆的な3つの事例を紹介したい。
茶の湯を通して最先端のテクノロジーを模索する研究所
「研究をすることは、未来を切り開いていくこと」──自らの役割をそう謳うソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL)。2020年4 月、コロナ禍と時を同じくして京都に新しい研究拠点をオープンした。リサーチディレクターはCSO(Chief Science Officer)の暦本(れきもと)純一。同拠点の目的は、文化と技術が高度に融合した「ゆたかさ」を探究することだという。
「人類の進化を大局で見たとき、加速主義だけだと閉塞感が生まれる。AIが人類の仕事を奪うというが、AIの進歩で人類がやることを失う一方で、人類が何をすべきかの提示を両輪で行う必要がある」
この研究拠点の面白い特徴が「個室はないが、茶室はある」こと。暦本の研究テーマ「Jack
In」(デジタル空間に没入し能力を拡張すること)に掛けて「寂隠(じゃくいん)」と名付けられた茶室は、センサーなどの最新デジタル技術を取り入れながらも、伝統的な茶室建築の思想・技法で造
られている。設計は茶室建築を専門とする遠山典男氏。数寄屋建築茶美会(さびえ)の一級建築士だ。
「茶美会」とは「茶道」や「茶会」という言葉がもつイメージを打破し、「茶の美に出会う」というコンセプトを掲げて伝統と現代との融合を果たそうとした運動であり、茶道裏千家十五代家元鵬雲斎の次男・伊住政和が提唱した。2022年2 月、政和の次男である伊住禮次朗が、その意志を引き継いで株式会社ミリエームに活動の母体となる茶美会文化研究所を興して再始動させ、ソニーCSLと共同で研究テーマ開発や実証を行なっている。
「茶の湯などの伝統文化を研究する場合、東京でやろうとすると表層だけをなぞったものになりがちだが、必要な"本物"が身近にあるのも、京都に研究所を開設した理由」だと暦本。
では、彼は茶の湯の文化のどんな部分に惹かれ、どんな研究をしているのだろう。古来、茶室は「市中の山居」と称されていたが、実際は、自然の素材を使いながらも人工的に手を加えた空間。これは現代におけるVRやARを先取りしたものだというのが暦本の見立てだ。茶室に入ると人は心が静まるが、その効果も科学的に分析しているという。
「人間の能力の拡張」を主な研究テーマとしてきた暦本だけあり、茶の湯の作法やお点前の動きも最新の映像技術で記録・分析をしている。茶室の天井に仕込まれたカメラやセンサーで茶人のお点前の様子を3 次元情報として記録。メガネ型のARデバイスを通して見る立体映像として茶室に投影し、好きな角度から見ることができる。練習者が自分のお点前の様子を「体外離脱」視点で見直すことも可能だ。
ほかにも茶室の扉の透明ガラスを部分的に障子のように曇らせたり、着物の紋様をAIで生み出したりと、日本の伝統を最新技術でアップデートする研究も行なっている。「茶の湯の文化は、数寄屋造りや華道、着物など日本のさまざまな伝統文化のハブになっており、それだけにいろいろと研究のしがいがある」と暦本は語る。
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