日本酒を美しく引き立てる
「鎚起銅器」の酒器とは

You Don’t Want to Drink Sake From Just Any Old Cup
金属加工の産地、新潟県燕三条地域。歴史ある玉川堂で、職人たちが銅器をつくる──その魅力に迫る

TEXT BY VIVIAN MORELLI, PHOTOGRAPHS BY ANDREW FAULK, TRANSLATED BY YUMIKO UEHARA

画像: 手作業で銅板を叩く――1816年に創業した玉川堂が一族で受け継いできた技で今でも銅器づくりがおこなわれている

手作業で銅板を叩く――1816年に創業した玉川堂が一族で受け継いできた技で今でも銅器づくりがおこなわれている

 先日、ある友人が、大切にしているという日本酒用のうつわを見せてくれた。職人がひとつずつ手づくりしたもので、素材は銅、形はまるみがあり、深い群青色に金色が細かく散らされ、まるで星がきらめく夜空のよう。玉川堂(ぎょくせんどう)という、1816年の創業から「鎚起」を一族で継承してきた老舗の作品だ。「鎚起」とは、銅を鎚で手打ちして加工する専門技術を表す日本語である。

「このうつわのデザインは、実は私の世代から始まったものなんです」と、玉川基行は語る。玉川堂代表取締役社長であり、この家業を率いる一族の七代目だ。「デザインや色は職人たちが考案しています」

画像: 玉川堂の銅器製品の一部。「デザインや色は職人たちが考案しています」と、代表取締役社長を務める玉川堂七代目、玉川基行は語る

玉川堂の銅器製品の一部。「デザインや色は職人たちが考案しています」と、代表取締役社長を務める玉川堂七代目、玉川基行は語る

 ぐい呑(17,600円、およそ110ドル)にはピンと来ないあなたには、同じデザインのビールカップがいいかもしれない。ぐい呑よりも背丈があり、飲み口がカーブしている(23,100円から25,300円)。

 玉川堂が本店を置くのは新潟県燕市。日本の本州西側、東京から新幹線で2時間ほどの街である。

 新幹線の駅名は「燕三条」だが、燕三条地場産業振興センターの関川啓三がメールで教えてくれたところによれば、「これはふたつの街の名前」なのだという。「燕市(人口76,694人)と、三条市(人口92,364人)、どちらも金属加工とものづくりがさかんな街です」

 そんな知識をもたずに新幹線に乗ったとしても、燕三条駅に降り立ったとたんにわかるはずだ。改札口を出た先にいくつかのガラスケースがあり、玉川堂をはじめとする地元の工房で職人がつくった金物が飾られている。同じく燕三条から誕生した工業製品も陳列されており、たとえば銅器・ステンレス製品ブランド「YUKIWA」のタンブラーやカクテルシェイカー、マドラーなどは、世界のバー業界でも有名だ。一部の商品は駅構内の大きなショールームで販売されている。

画像: 新潟県燕市から山々を望む

新潟県燕市から山々を望む

 なぜ金属加工なのか。始まりは鉄釘だった。この地域では現在でも稲作がさかんなのだが、今から400年ほど前、河川氾濫で農作物が頻繁に被害に遭うことに悩んだ農民たちが、収入のために「和釘」と呼ばれる釘の製造を始めた(昨今では一般的な釘ではないが、伝統的な建造物にはいまだに使われている)。

 やがて盆栽用の鋏やカトラリーの製造も始まり、さまざまな技術がきわめられていった。たとえば「鏡面仕上げ」の技術は、2001年に発売された初代iPodにも使用されている。

特別なつながり

 玉川堂の本店は築110年。日本の登録有形文化財で、ショールームと工場(こうば)を備え、玉川基行もここを住まいとしている。

「私たちは200年以上も銅器をつくってきました」と玉川は語る。「つくり続けていく。それが私たちにとって、とても大切なことなのです。特に、手作業で鎚を振るう技術を守っていく必要があります」

 材料となる銅は、昔は近くの弥彦山で採掘していた。今では、もっぱらインドネシアや南米諸国で産出された銅を地元の流通業者を通じて調達している。

画像: 製作途中の銅器や道具

製作途中の銅器や道具

画像: 職人が銅を熱する

職人が銅を熱する

画像: 玉川堂の銅器は、手作業で鎚を振るう「鎚起」という手法でつくられる

玉川堂の銅器は、手作業で鎚を振るう「鎚起」という手法でつくられる

画像: さかさまに伏せた銅製のコップ

さかさまに伏せた銅製のコップ

 商品は燕市の本店のほか、東京の銀座にあるショップでも買えるし、電話やメールで直接購入もできる。アメリカのニューヨークにある専門店「Tea Dealers」のオンラインショップや、イタリアのミラノにある「Amleto Missaglia」でも一部商品を取り扱う。

 だが、玉川にとって、客が燕本店まで足を運んでくれることが特別だ。

「お客様がここまで来てくださる理由は、職人の技を見ることができるからです。どんな人がつくったかを知っていると、そのうつわに特別な結びつきを感じるものですよね。お手入れや使い方もきっと変わってきますし、思い入れもだいぶ違ってくるでしょう」

 工場の広さは30㎡ほどで、床には畳が敷かれている。取材をした日には、部屋を仕切る広いガラスが外の雪を映して明るく光っていた。室内中央の巨大な棚には、素材を成形し表面を均すために使う「鳥口」と呼ばれる鉄棒が200本ほど。それとは別に、さまざまな形や大きさの金鎚と木槌が200本ほど棚や壁に並んでいる。

 リズミカルな鎚の音以外、室内は静寂に包まれている。

画像: 「私たちは200年以上も銅器をつくってきました」と語る玉川基行。「つくり続けていく。それが私たちにとって、とても大切なことなのです。特に、手作業で鎚を振るう技術を守っていく必要があります」

「私たちは200年以上も銅器をつくってきました」と語る玉川基行。「つくり続けていく。それが私たちにとって、とても大切なことなのです。特に、手作業で鎚を振るう技術を守っていく必要があります」

 玉川堂で働く職人は18人――女性が7人、男性が11人――で、平均年齢は34歳だ。

 工場を見学したときには、職人のひとり、田中大和(33歳)がビールカップとなる銅を叩いていた。「カーブをつぶさずに叩いていくのが、一番難しいところなんです」と、円型の底を示しながら説明する。

 田中は2017年に銀座店の販売員として玉川堂に入社した。金属加工の正式な修業経験はなかったが、2年後には職人チームに加わることが認められた。「昔は先輩の技を観察して自分で学ぶものでしたが、今はそうではありません。私も道具の使い方や手順を教わりました」

 2018年に入社し、同じく職人として働く土田真澄(30歳)も、その説明にうなずく。「経験豊富な先輩たちを頼りにしています。わからないことがあれば、自分から聞くというのが、私たちの責任でもあるんです」

画像: 玉川堂のぐい呑。日本酒造組合中央会の説明によれば、酒器の形と厚みが酒の味わいを変えるという

玉川堂のぐい呑。日本酒造組合中央会の説明によれば、酒器の形と厚みが酒の味わいを変えるという

酒も、茶も

 日本酒造組合中央会の説明によれば、酒器の形と厚みは酒の味わいを変えるのだという(日本の高級なバーでは、さまざまな酒器をとりそろえ、客に好きなサイズや形を選ばせることもめずらしくない)。

 銅のうつわで日本酒を飲んだことはなかったので、紺色の水玉がついたぐい呑(16,500円)とふつうのガラスコップで飲み比べてみることにした。ぐい呑みのほうは、くちびると指先に触れる感触がひんやりとしていて、酒もきりりとして感じられる(銅器は「熱燗」にも適していて、うつわを持つ手をあたためてくれる)。

「日本酒は世界で好まれるようになりましたから、贈り物にも最適ではないでしょうか」と玉川は言う。贈答用の桐箱もある。蓋の表面にあしらわれた黒の文字は玉川自身が筆をとって書いているという。

 人気があるのは酒器だけではない。草づるを編んで持ち手にした湯沸(ゆわかし)(935,000円)は、注ぎ口まで継ぎ目なく一枚の銅を叩いてつくられている。

 銅器は経年変化も楽しめるため、一種の家宝として、「数世代の心と思いをつなぐ」贈り物にもなる――玉川はそう語っている。

玉川堂の新店舗がこの春オープン

画像: PHOTOGRAPH BY OOKI JINGU

PHOTOGRAPH BY OOKI JINGU

 玉川堂の燕本店、銀座店につづく新店舗<⽟川堂 笄 KOGAI> が、東京・西麻布にオープンした。熟練の職人が一枚の銅板を金鎚で丁寧に打つことにより生み出される玉川堂の鎚起銅器(ついきどうき)に加え、⼯芸のセレクトショップとして、玉川堂の銅器と共に楽しめる手仕事でつくられた暮らしの道具も取り揃えている。店内にはお茶を提供するためのキッチンカウンターや椅⼦も用意されており、銅器のメンテナンスや使用方法の相談、玉川堂の銅器と共に愛用できる工芸品を提案するなど、訪れた人が美しいものづくりの世界に触れられる空間となっている。

⽟川堂 笄 KOGAI(ぎょくせんどう こうがい)
住所:東京都港区⻄⿇布2丁⽬18-10
TEL. 03-6450-6370
公式サイトはこちら

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.