夜の深い闇を、自分たちの居場所としてきたNYのアーティストたち。街は以前より早く眠りにつくようになったが、彼らは今もなお、暗闇の鼓動に呼び起こされながら、創作の火を灯し続けている。画家や俳優に、夜の過ごし方をたずねた。

INTRODUCTION BY LIGAYA MISHAN, PHOTOGRAPHS BY RICHARD BARNES, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

 夜は、白昼とは隔てられた異界だ。その扉が開くのは日没でも、太陽が地平線に沈む瞬間でもない。通りの人影が消え、人々がベッドに入り、外への意識を閉じた瞬間、ようやく闇が立ち上がり、私たち─夜を領分とする者たち─の時が始まる。
 太陽のない世界では、時間の感覚を失ってしまう。英語では深夜を「死んだ時間」「魔の刻」と呼び、古くから亡霊や不穏な者たちが彷ほう徨こうする時間とされてきた。夜の闇は昼の秩序から解放された世界であり、監視されることも足跡を追われることもない。何が起きてもおかしくなく、何をしても見とがめられない。
 だが実際には、夜という時間の大半は、仕事や他者、社会が定めたルールによって奪われてしまう。夜更かしをすると妙な後ろめたさを覚えるのは、普段なら別の何かのために流れていくはずの時間を"盗み出す"─自分のものとして使う─からだ。まるで、自分の人生には与えられていなかったはずの時間を、ひそかにつくり出しているかのように。
 それでも私たちはその時間をくすねようとする。睡眠や健康を犠牲にしてさえも。翌朝の慌ただしさを知っているからこそ、夜という時間を手繰り寄せたくなるのだ。ランチボックスを用意し、子どもを学校に送り、会社のデスクにへばりつく、そんな一日がくるとわかっているからこそ。夜更かしは自滅的で、心身をすり減らす。だがその魅力にはあらがえない。
 科学者たちは、都会の空が明るすぎて星が見えなくなる現象を「ノクタルジア(夜を失う悲しみ)」と名づけた。だが人間は順応できる。私たちは今も、この街の中に自分だけの暗闇を見つけ出すことができる。
 あの頃の夜を、私は今も鮮明に覚えている。汗と熱気でむせ返るようなダンスフロアを抜け出し、外のひんやりした暗闇に触れた衝撃。非常階段に腰かけ、遠ざかっていく音楽を背景に、誰かと話し込んだこと。その人が一度だけ素顔を見せてくれたあの瞬間。私は暗闇のニューヨークを何より愛していた。灯りのついた窓の間に、抜けた歯のように暗い窓が交じったビル。あらゆる音や光が心臓のようにドクドクと脈打つ街。家の鍵をぎゅっと握り、ヒールで足早に歩きながらも、胸の高鳴りは抑えられなかった。「そう、この感覚。これこそが私、ニューヨークこそ私の街」「眠らない街」と呼ばれていたNYだが、今ではどの店も深夜前に閉店し、朝4 時まで営業できるはずのバーでさえ早々とシャッターを下ろす。24時間営業のコーヒーショップやダイナーといった"夜の彷徨者の避難所" までも姿を消しつつある。街の灯りは相変わらず輝いているのに、今はみんな家のベッドの中にいる。
 でも暗闇を愛する私たちのような人間は、夜がくると目を覚ます。思考が動き出すのは、日が沈んでからだ。昼に咲く生真面目な花々が花びらを閉じたあと、ようやく出番がくる。私たちは、白昼には許されないほど奔放で、むせ返るくらい濃厚な香りを放って咲き誇る、夜の花なのだ。
 だが年を重ねてからの私は、夜ごと机の前に張りついている。PCの暗い画面を見つめ、頭から雑音が引くのを待っていると、普段目を背けてきた自分自身の一番深い部分がそっと姿を現す。言葉は、いつもそこから生まれる。
 時折、自分と同じように、昼夜を反転させて生きた人々について思いを馳せる。作家やアーティストはいつの時代も"陰の住人" で、闇の中でしか見えない真実を示してきた。米女性画家リー・クラズナーは1950年代後半から60年代初め、夜通しアトリエにこもり、黒・白・アンバーだけで描く技法を生み出した。「色彩は自然光の下で理解するもの」と考えていた彼女は、暗闇でも判別できる色だけで絵を描いたのだ。写真家のアルヴィン・バルトロップは1970〜80年代、荒れ果てたウェスト・サイドの埠頭をさまよい、家出少年、ドラァグクイーン、犯罪者たちを撮り続けた。彫刻家のルイーズ・ブルジョワは90年代半ば、不眠症と闘いながら、ベッドの上で8 カ月間に220点ものドローイングを描き上げた。
 空が白み、朝がくると、私たちを束の間自由にしていた夜の魔法はふっととける。太陽が昇ると、その光は濃紺の空を削り、現実を照らし出す。昼が平凡な日常に身を捧げる時間であるなら、夜はそれに背を向ける時間だ。私は眠りに屈せず、闇の中にとどまり続ける。

ジェーン・ベンソン
コンセプチュアル・アーティスト。
52歳。チェルシー在住。

画像: ジェーン・ベンソンと双子の娘たち、マンハッタンにある自宅兼スタジオにて。2025年12月10日撮影。 THESE INTERVIEWS HAVE BEEN EDITED AND CONDENSED. PHOTO ASSISTANT: ERNESTO EISNER. PRODUCTION: IAN WILLIAM BAUMAN

ジェーン・ベンソンと双子の娘たち、マンハッタンにある自宅兼スタジオにて。2025年12月10日撮影。

THESE INTERVIEWS HAVE BEEN EDITED AND CONDENSED.
PHOTO ASSISTANT: ERNESTO EISNER. PRODUCTION: IAN WILLIAM BAUMAN

 家の最上階には、ルーフテラスに面した部屋がある。ガラス窓に覆われているせいで夏は暑く、冬は冷え込むので、家族はこの部屋の存在を忘れかけている。だが10歳になる双子の娘たちは、明け方に悪夢を見るとここにやってくる。私は毎朝4 時に起き、3 時間ほど制作に没頭したあと、娘たちと夫を起こしに行く。
 この"約3時間"は何より貴重だ。車のクラクションやゴミ収集車の轟音以外、周囲はしんと静まり返っていて、誰かに話しかけられることもない。起きて一番にするのは、ティーバッグを二つ使って濃い紅茶を淹れること。私の作品はサウンド、オブジェ、デジタルプリント、ドローイングと多くの要素が絡むので、その組み合わせ方には気を遣う。今手がけている作品は、メジェーン・ベンソンと双子の娘たち、マンハッタンにある自宅兼スタジオにて。2025年12月10日撮影。アリー・シェリー作『フランケンシュタイン』(1818年)の"怪物"のモノローグを土台にしたもの(ちなみにこの独白はメアリー自身の心の声のような気がする)。文章に現れる音節[“do,”“re,”“mi,”“fa,”etc.]の表記だけを抜き出して楽譜にし、メゾソプラノ歌手のハイティン・チンに歌ってもらう予定だ。それ以外の残りのフレーズや言葉を拾い上げて、抒情的な短文もつくっている。こうした緻密な作業には音のないひとりの時間が必要だ。静寂が、自分の内なる感性を研ぎ澄ませるのだから。
 ときどき、もし別の街で子育てをしていたら、今みたいな生活はしていなかっただろうと思う。熱気で渦巻くNYは、朝がきた瞬間にざわつき出し、その混沌の中では思考さえ止まってしまう。最近、コーネル大学時代の教え子に街で偶然会った。結婚したという彼女は「子どもができても作品はつくれるんでしょうか」と不安をこぼした。私は咄嗟にこう返した。「きっと段取りがよくなるはずよ」。親になったら、それまでの生き方ややり方は手放さなければならない。子どもは決まった時間に、決まった場所へ連れていく必要があるから。変えられないことが多いなか、私は自分のために一日の時間を3 〜4 時間〝増やす″ことにした。時間がないという現実を認めたくない、私なりの小さな抵抗として。
― interview by Coco Romack

ウェンデル・ピアース
俳優・プロデューサー。62歳。
アッパー・ウェスト・サイド在住。

画像: マンハッタンのセントラルパークを歩くウェンデル・ピアース。2025年12月13日撮影。

マンハッタンのセントラルパークを歩くウェンデル・ピアース。2025年12月13日撮影。

 米作家ラングストン・ヒューズの、2 冊目の自伝のタイトル『I Wonder as I Wander』(1956年)は、まさに自分の生き方そのものだ。仕事のスケジュールはあまり読めないが、時間ができたらすぐ街に出て、音楽を聴きに行く。「Guantanamera」はライブが楽しめるキューバ料理の店で、ダンスもできる。そのあとは、数ブロック北にあるジャズの文化施設「Jazz at Lincoln Center」内の「Dizzy’s Club」へ。ここは、同文化施設の芸術監督で、ニューオーリンズ時代からの友人であるウィントン・マルサリスが約20年前に始めた店だ。深夜のステージが多く、セントラルパークが一望できるロケーションも素晴らしい。ついでに言うとセントラルパークの散歩は夜がいい。ふとした瞬間に田舎の星空の下にいるような気持ちになれるからだ。こんなふうに夜な夜なジャズクラブを渡り歩くようになったのは、育った環境のせいだろう。
「Dizzy’s Club」を出たあとはダウンタウンへ向かい、クラブをはしごする。ウェストビレッジの「Smalls」は格別だ。ほぼ一晩中演奏が続くここにいると、ビートニク時代(註:1950年代のカウンターカルチャー)のNYの夜が蘇る。夜明け間際にアッパー・マンハッタンに戻り、アダム・クレイトン・パウエル・ジュニア・ブールバードの「Shrine」で朝を迎える。そこで大好きなアフロビートに身を任せていると、ガーナのアクラやブルキナファソのワガドゥグのクラブに飛んで行った気分になる。
 2019年にアーサー・ミラーの戯曲『セールスマンの死』(1949年)で主人公ウィリー・ローマンを演じていた間、睡眠は昼にとっていた。あの役は俳優にとって魂を削るような試練で、舞台後は緊張をときほぐす必要があった。ロンドン公演のときはソーホーの「Ronnie Scott’s」で朝3 ~ 4時まで過ごし、ブロードウェイ公演のときもジャズクラブに通った。ジャズクラブは自分にとっての"聖域"で、創作活動の原動力になっている。
 NYの日中は混沌とざわめいているが、夜は静まり返る。その静寂の中にいると、自分の心の声が聞こえるようになる。胸の奥にしまっていたビジョンや望みが浮かび上がり、未来の景色もすっと見えるようになる。ジャズクラブの扉を開けば音楽が脈を打ち、この街の地中では絶えずエネルギーが沸き立っていることを思い出すんだ。"眠らない街"と呼ばれてきたNYも、最近はうたた寝をしている。でもこれは一時的な流れにすぎないと思う。最近の若者はこぞってオーラリング(註:健康状態を24時間測定するリング型の端末)をつけて睡眠時間を管理しているらしいが、本来これは中年の自分がやることだろう。こんなふうに時代は変わっても、NYのナイトライフには常に色褪せない魅力がある。マイルス・デイヴィスは夜の街を歩き、ソニー・ロリンズはウィリアムズバーグ橋で、2 年間昼夜を問わずサックスを吹き続けた。自分にとって夜更かしは習慣というより、心を豊かにするために欠かせない時間なんだ。
― interview by Kate Guadagnino

アン・クレイヴン
画家。64歳。トライベッカ在住。

画像: アン・クレイヴン、マンハッタンの自宅アパートメントの 屋上にて。2025年12月8 日撮影。

アン・クレイヴン、マンハッタンの自宅アパートメントの
屋上にて。2025年12月8 日撮影。

 最上階に住んでいる私は、階段を上がればすぐ屋上に出られる。太陽と同じように月も昇るけれど、月の出は日ごとに遅くなっていくので、気づけば一晩中、屋上で絵を描き続けていることもある。屋上に運ぶのは、1 台ずつ担いでいくイーゼルと、キャンバス3 枚、油絵の具、筆で、一番大事なのがロウソクだ。光が多いと夜空がぼやけてしまうので、灯りはそれだけでいい。パレットの色の配置は身体が覚えているので、真っ暗になっても絵は描ける。
 私はこれまでずっと目の前に見える、生きた風景だけを描いてきた。大学院時代には、著名なアーティストのアレックス・カッツの助手も務めていて、彼によく「自分は今何をしているのか」を考えさせられた。月を描くことは私の生涯のプロジェクトで、自分がどこにいたかを記録する日記のようなものでもある。たとえば毎年夏を過ごすメイン州では、花を活けた祖母のクリスタルのフラワーベースをスツールに置き、その向こうに昇る月を描いていた。エンパイア・ステート・ビルに月がそっと"キスした"瞬間を捉えたこともある。この習慣は、月を描いてきた先人たち―エドワード・ホッパー、アリス・ニール、ロイス・ドッド―へのオマージュでもある。彼らもきっと、私と同じように自然と対話していたにちがいない。自然は私たちに多くのことを教えてくれるから。
 月が空をゆっくり移動していく間、私はずっとこんなことを考える。「今この瞬間の月の色は? 次はどの色を選ぼう」と。空高くに昇りつめた月の色はとても淡く、色を失ったようにも見える。先日は、アイボリーブラックとコバルトブルーを混ぜて空を、チタニウムホワイトとカドミウムイエローに温かみを出すカドミウムレッドを加えて、月を描いた。運がよいときには、ほんのりオレンジ色に染まった月がハドソン川に沈んでいく美しい瞬間に立ち会える。
 1999年から長いこと、私のスタジオはハーレムにあり、同じ建物にアーティストのデイヴィッド・ハモンズもスタジオを構えていた。2011年にトライベッカへ移り、去年4 月には自宅スタジオを拡張した。NYで描く夜空は、メイン州の澄みきった空と質感がまるで違う。NYの空気は汚染のせいか、大量の人々が呼吸するせいなのか重く濁っている。だからこの街の空はクリアに見えないが、そのぶん、人々の暮らしがよく見える。誰もいない、しんと静まりかえった屋上は、自分と夜空だけが向き合う、親密で心落ち着く場所。でも同時に、周囲には数えきれないほどの人がいて、ものをつくったり、ディナーをしたり、眠りについたりしている。そう思うと、暗闇の中でも私はひとりきりじゃないと感じられて、ふと心が温かくなる。
― interview by C.R.

>ニューヨーク、夜の断片②」へ続く

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