BY ASAKO KANNO
筆、墨、硯。煎茶道美風流に出会う前は、日々の生活において、手にするどころか目にすることもなかったアイテムたちです。小学校で習字を習った記憶はありますが、実は苦い記憶しかありません。教室の床に大量の墨汁をぶちまけたあの時のこと。そうそう、「書いた字を遠くからみてみなさいね」という先生の言葉を聞いて半紙を遠くにのばしたら、前の席の男の子の真っ白なシャツにぺったりくっついてしまったことも。シャツが墨模様に染まった光景と、優等生の彼の表情。墨=皆の驚愕の顔しか思い浮かばないのに、この年で水墨画を習い始めたなんて、私にとっては青天の霹靂です。
はじまりは、入門前のこと。煎茶道のお稽古に興味をもっていたものの、コロナ禍の緊急事態宣言もあり、なかなか夢叶わず。そんななか美風流HPから、水墨画は煎茶道の礎となる文人趣味において、重要な教養のひとつだと知りました。水墨画・書・漢詩を楽しむ時間を、さらに豊かに彩るのが煎茶の存在なのだと。
お家元は、方外閑人 素履(ほうがいじん そり)という画名を持つ水墨画家でもあります。そんなお家元から直々にオンラインで水墨画を習うことがきることを知って、ふと興味が湧いたのがきっかけでした。家から出られないコロナ禍で、新しい冒険がしたかったこともあります。「やってみようかな! 家で墨を扱う分には、人に迷惑もかけないだろうし」と。
水墨画のいろはも知らないので、お家元が道具一式を用意して送ってくださいました。私の名入れの筆が嬉しく、しばらく机の上において眺めていましたっけ。さて、オンラインレッスン初日。「墨をたっぷり磨っておいてくださいね」というメールの一文からつまずきます。「はて、墨ってどうやって磨るのが正解?」。硯に水を垂らして墨をごしごしする動作は記憶にありますが、学校の授業では墨汁のボトルを使っていた気がします。そこで、you tubeを見ながら、墨を磨ることに。「墨は病人か幼娘に磨らせるのが良い」のだとか。今さら幼娘にはなれないので、弱った自分を思い浮かべながら磨ってみると、墨のふわりとしたいい匂いに包まれて、なんだか墨が好きになってきます。
レッスンでは、墨には油や木やらを燃やした時に出る「煤(すす)」と、動物の皮や骨から抽出した「膠(にかわ)」、そして白檀やジャコウ(ムスク)などの「香料」の3つの原料から作られていることを教えていただきました。ゆっくりと、ゆるゆると墨を磨ることは、癒しの時間でもあるのですね。
水墨画は、墨の濃淡、にじみやかすれを、ひと筆で墨をコントロールしながら描いていくものなのだと初めて知りました。色の濃度は、基本的には、水、墨、薄墨、この3つの色で描くのだそう。
筆にたっぷりの水を含ませ、雑巾で少し水分を拭き取ります。拭きとった分だけ薄墨を含ませ、また少し拭き取る。そしてまた拭き取った分量だけ、筆先に濃い墨をつける。なので、最初においた筆の色は濃く、だんだん薄くなり、最後には水が滲むという原理のようです。
しかしながら、この筆遣いの難易度に加え、レッスンも数えるほどしか参加できず。いまだ超初心者のまま足踏み状態です。ただ、こんな自分が墨を磨っていることが奇跡のように感じますし、入門以来、墨と硯と筆が身近に感じられるようになっただけで百点満点の気分です。家元がさらさらと魔法のように筆を動かしながら描き出す世界を覗く楽しみや、筆耕家の先輩が筆を動かすたびに、紙から優美な文字が浮き上がってくるのを目で追うのが楽しいのです。
入門後、お家元に白状したことがありました。墨の磨り方がわからず、You tubeを見たことを。どんな時も顔色ひとつ変えず、私の愚問に答えてくださるお家元がやや沈黙したあと、こんな感じの言葉をかけてくださったように記憶しています。「よく、この道を見つけられましたね」。幼少の頃から書画が好きで、マダムたちにまざって水墨画を習っていたというお家元にとって、相当な驚きであったに違いありません。お家元の仙人のような姿もあいまって、そのときはまるで桃源郷に迷い込んだ訪問者のような感覚になったのを覚えています。「この道の先には、何か楽しいことがあるのかも」と。神仙思想を根底にもつ山水画は、脳裏に浮かぶ空想の世界を描くのだそうです。私も、墨の香に包まれながら、自分で描く桃源郷のなかを遊べる日が来くるのでしょうか。そんな景色を見てみたいなとも思うのです。
菅野麻子 ファッション・ディレクター
20代のほとんどをイタリアとイギリスで過ごす。帰国後、数誌のファッション誌でディレクターを務めたのち、独立し、現在はモード誌、カタログなどで活躍。「イタリアを第2の故郷のように思っていましたが、その後インドに夢中になり、南インドに家を借りるまでに。インドも第3の故郷となりました。今は奈良への通い路が大変楽しく、第4の故郷となりそうです」