BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY KIKUKO USUYAMA
“前向きな脱走”で次のステージへ
南青山のフロムファーストビルの2階に、「オカイユ」はある。コンクリートの床と呼応するスケルトンの天井はオフホワイトをまとい、ソリッドなデザインをニュートラルに包み込むショップは、恩田登喜枝さんのファッションにも通じていた。この日の装いは、「テン ハンドクラフテッド モダン」のオールインワンに、「ヴェロニク ルロワ」のブラウス。華奢な体型をエフォートレスな抜け感で包みながらも、さりげなく構築的な印象を与えるコーディネートだ。「大人のリアルクローズに必要なのは、“キレ”と“品”と“抜け”。年齢を重ねるに従って “キレ”と“品”の割合が多めに必要」と恩田さん。これまで無条件に似合っていたオールインワンも、どこか素材の張りやデザインのアクセントがないと難しく感じるようになってきたとか。撮影の日に着ていた一枚は上質なコットンリネンで、程よいボリューム感をヘムカフスが引き締めていた。光沢のある白いコットンブラウスは、張りのあるテクスチャーで、ジャケット代わりに活躍するという。さらに、手首にはモノグラムのフェイスの「マスト ド カルティエ」のヴィンテージウォッチとエルメスのブレスレットを重ね着け。「昔は、あまり時計を身につけなかったけれど、年齢とともにカチッとした部分がマスト」だという。熟練したお洒落を、いとも自然な雰囲気で着こなす恩田さんのセンスは、どのようにして培われたのか。
恩田さんのベクトルがファッションへと向かったのは、7歳年の離れた姉の影響が多分にあるという。同級生が母親と買い物をする頃に、恩田さんは中学生の頃から姉に連れられ銀座に出かけていた。「ちょっとお化粧をしてくれたり大人用の水着をパッドを抜いて着せてくれたり……憧れの大人の世界を体現させてくれたのが姉でした」。雑誌『エムシーシスター』を愛読し、フレンチスタイルに憧れた女学生は、やがて小さなスタイリスト事務所を経て、フリーのスタイリストに。モード誌の世界に憧れる中で、ファンタジックな演出よりもリアルクローズを提案することの方が自分に向いていると気づく。半年ほどパリでエネルギーチャージをした後、ベイクルーズに入社しバイヤーの職を得る。希望するブランドを担当できそうな気配がなく、退職の意思を告げようとしたタイミングで、インポートブランドを中心に展開する「ドゥーズイエムクラス」が立ち上がり、プレスを経由してバイイングを担当するようになる。
当初は2人のバイヤーで買い付けから、別注のオーダーの管理、企画、雑誌のタイアップからカタログ撮影まで関わった。しかも、扱うアイテムも洋服に加えてアクセサリーからバッグやシューズまで幅広く、終電で帰宅する日も少なくなかったという。ワンシーズンに何度もパリを訪れ、ロンドンやニューヨークへ飛ぶことも度々だった。「海外では担当するブランドに見合う新規のメゾンを発掘する合間に、大好きな蚤の市でアンティークを買い付けたり、振り返れば目紛しいなかでも満たされた日々でした。ちょうドゥーズイエムクラスに勢いがつきはじめた時期に自由に仕入れをさせていただけたことは、ありがたい経験でした」。好きな世界で責任のある仕事を任され達成感を得る一方で、加速する忙しさのなかで業務がシステム化し、丁寧に向き合えないもどかしさも募った。商品のセレクトにおいても、当然のことながら予算やショップのテイストに合うことを優先しなければならず、だんだんと限界を感じて気持ちが足踏み状態に。「アパートの一室でもいいから、自由に好きなものを集めた店をやりたい」。そう決意して会社を辞めたのは30 代半ばだった。
2002年、裏原宿の古いアパートメントの一室から「オカイユ」はスタート。籠や食器、革製のぬいぐるみといったアンティークの“小間物”を中心に、それらを引き立たせるハイブランドのヴィンテージ、「J&M Davidson」など現代のシックなブランドの服や小物がミックスされた空間を実現した。そんな折に展示会で見つけたのが、パターンから縫製までを粘り強く追求する気鋭のブランド「テン」(現在の「テン ハンドクラフテッド モダン」)だ。後に夫となる都島圭さんが、独力で全てを作り上げる究極の服に引き寄せられたという。「最初に目にとまったものが、革のベルトが付いた真っ白なハンドニットのタイトなローゲージパンツ。一枚で履けたら可愛いけれど、誰なら履きこなせるんだろう?と思いながらも、微笑ましくもクール、形容し難い魅力が、たまらなく可愛かった」。ほどなくして、2009年に最初の店から神宮3丁目のヴィラローザへ移転。ふたりはパートナーとなり、2015年の改装の際に「オカイユ」の隣りが「テン」のアトリエとなった。
現在の南青山に店を移したのは 2021年。度々、店舗が変わることで客が離れる不安はないのか問うと、「場所を移ることで物事が好転すると思うタイプなので、それほど心配はしませんでした。前向きな現実逃避型なんです(笑)」と冗談めかしながらも、「以前から青山の通りに面した店のオープンに憧れがありました」と本音を明かしてくれた。「私にとって、思いがけず出合った好みのものやお店は、ほかの何にも替え難い魅力があって。それまでの店も気に入っていましたが、マンションの中なので外からは見えず、“歩いていて偶然に見つけられる”可能性はあまりありませんでした。「オカイユ」がたまたま通りかかった人のお気に入りになってくれたらうれしいなという思いがあって……。そのことを話したら夫のスイッチが入ったんです」と言う。物件探しから建築家のチョイスまで都島さんが積極的に動き、タイミングと幸運の巡りあわせで青山のファッションビルのパイオニアともいえる、フロムファーストに店舗が決まる。内装を設計しのは、「ケースリアル」の二俣公一氏。洋服選びにも通じる、洗練と遊び心が同居する空間が完成した。
さらに、「もう東京に紹介されていないブランドはない」と海外への買い付けに消極的になる恩田さんを「自分も同行するから行ってみない?」と導いたのも都島さんだったという。パリはもちろん、ロンドンやドイツやニューヨークまで……自分たちの目で選び抜いたブランドと恩田さんの十八番ともいえる蚤の市で見つけたヴィンテージのアイテムが丁寧に集められた。新しいお店で表現したいスタイルを聞いてみた。「タイプや年齢にとらわれず、その方が自身では気づかない似合うものを提案したいですね。ナチュラル系の人はすっきり見え、エッジィな人にはノーブルに見えるようになど、頼まれてもないのに見つけ出したい。洋服に関しては、世話焼きなんです(笑)」。ここでは恩田さんのお眼鏡に適ったリアルクローズに出会える。
本当に必要なものだけと暮らす
「オカイユ」に流れている都会的かつ柔和な空気感は、自宅にも息づいていた。マンションは、パタン・ランゲージを用いた優れた建築「泰山館」を手がけたことでも知られる、建築家の泉 幸甫氏のデザイン。エントランスの瑞々しい前庭と硬質な建物、コンクリートの外壁と真っ白な螺旋状の内階段など、モダンさの中に有機的な要素が散りばめられている。室内に入ると、コンパクトな空間に二人の審美眼に適った“一番好き”なものだけが端然と配置されていた。
部屋の中心に据えたのは、カラーチップを見ながらグリーン味を帯びたアイボリーを選び抜いたというダイニングテーブル。壁のコーナーに L 字型に取り付けたミラーとともに、以前の「オカイユ」で内装と什器をお願いしたモリオ氏にオーダー。カーテンは、ミラノのショールームで見かけて以来、ずっと憧れていたというデンマークのテキスタイルブランド「クヴァドラ」製。セレクトした色は、意外にも淡いピンク色。チュールのような透け感があり、カーテン越しに外を眺めると何気ない日常が夕焼けに染められたように美しく映る。そのカーテンに合わせて、ソファのファブリックもペールグレーに張り替えたとか。日常に選ぶものは、できるだけ妥協せずに選ぶ。日々食べるものがその人の体をつくるように、毎日目にするものが感性を研ぎ澄ますのだろう。遊び心がありながらカジュアルすぎない家具や小物は、二人の生き方を映しているようだ。
最後に伺ったのは、旅のエピソード。ここ2年ほど、2〜3ヶ月に1度の割合で訪れているのが箱根の仙石原にある「箱根リトリートフォーレ」。従来型の温泉宿ともホテルとも異なり、北欧リゾートを思わせる柔らかな光が差し込むモダンな空間が心地よいとか。新宿から箱根へと電車で向かう前に必ず訪れるのが、大型書店だ。「三浦しをん、ブレイデイみかこ、山田詠美など、まずは好みの作家のコーナーを巡ります。その後は、何の情報にも頼らずその時の気分で手に取った一冊を旅の友に」。それは、海外の蚤の市で掘り出しものを探し当てるような感覚に似ているという。
帰り際、ふと目にとまったのが洗いざらしの白いコットンのような2冊のアートブック。何でもアムステルダムの書店「ブーキ・ウーキ」で求めたという。一冊はドイツ出身の現代美術家ディーター・ロスの母親、ヴェラ・ロスが、庭の植物や動物を優しい眼差しで描いたドローイング集。もう一冊は、ドイツのアーティストであるアンドレア・ディッペルの作品集。数字やアルファベットに命が吹き込まれたものから、音符や記号、幾何学的な要素を有機的な世界に溶け込ませた作品まで。軽やかなタッチで描かれながら哲学的な背景に魅了される、クールでユーモアたっぷりの作品集だ。「ミュンヘンに彼女の作品を扱うギャラリーがあるそうなので、いつかオカイユで展覧会をできたら……」。未来を描くことが苦手だと語っていた恩田さんだが、眼差しは大きな夢に輝いていた。
恩田登喜枝
1964年生まれ。セレクトショップ「オカイユ」オーナー。原宿と神宮前で 7年ずつショップを展開した後、2021 年から表参道のフロムファーストビルへ移転。独自の美意識で海外ブランドやヴィンテージの服や時計、アクセサリー、インテリア小物をセレクト。パートナーの都島圭さんが手掛ける「テン ハンドクラフテッド モダン」やオリジナルのレザーアイテムも扱う。
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