装いやたたずまい、醸し出すムード。スタイルにはそのひとの生きてきた道、生き様が自ずとあらわれるもの。美しい空気をまとう先輩たちをたずね、その素敵が育まれた軌跡や物語を聞く。第10回は、世界最高齢のプログラマーとして知られる若宮正子さん。この4月で89歳を迎えた今もなお、講演活動で日本全国を駆け巡り、海外旅行へも積極的に出かける若宮さんの原動力に迫った

BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY KIKUKO USUYAMA, SPECIAL THANKS BY MOKICHI KAMAKURA

デジタルツールは未知への魔法の絨毯

画像: 着用の瑞々しい印象のブラウスは、自身が“エクセルアート”でデザイン

着用の瑞々しい印象のブラウスは、自身が“エクセルアート”でデザイン

 81歳でiPhone向けのゲームアプリ「hinadan」を開発、世界最高齢のプログラマー誕生──2017年にCNNで報じられたこのニュースは、たちまち世界を駆け巡った。アップル社のCEOであるティム・クック氏からは、同社のイベントWWDC(ワールドワイド・デベロッパーズ・カンファレンス)に招待され、翌年には国連社会開発委員会で高齢者におけるICT(情報通信技術)の重要性を英語でスピーチ。今でも年間150回を超える講演活動をこなし、この取材の翌週には島根に飛び、2日とあけず熊本や宮城へと移動。依頼はすべて自分で把握し、多岐にわたる仕事を一人こなす。そんなハードな日々を気遣うと、アップルウォッチを示しながら「予定はGoogle カレンダーが管理してくれますでしょ。新幹線は書斎みたいなものだから、出張は苦じゃないんですよ」と、淡々と答える。デジタルデバイスとの関わりをシャットダウンせず、むしろ積極的に繋がろうとする若宮さんを牽引するのは“好奇心”だという。

画像: 撮影は鎌倉のレストラン「MOKICHI KAMAKURA」で行われた。iPhoneで場所を確認するのもお手のもの

撮影は鎌倉のレストラン「MOKICHI KAMAKURA」で行われた。iPhoneで場所を確認するのもお手のもの

 パソコンとの出会いは、40年以上勤め上げた銀行を退職する間際のこと。「母との二人暮らしで介護生活がはじまったら、なかなか人に会えませんでしょ。私、お喋りが大好きだから(笑)」。そこで思いついたのが、家にいながらにして社会との接点がもてるパソコン通信だったという。「自力でセットアップを試みるも、今よりもシステムが複雑だったため接続設定まで要した時間は3ヶ月。それでも、介護とお喋りを両立させたいという願望が優ったんですね」。 “マーチャン”というハンドルネームでバーチャルワールドへの門扉が開くと、近所のお店の経営状態からアラスカのおすすめのオーロラスポットまで、インターネットで“好奇心”を満たす情報を収集する楽しさにものめり込んだ。「今までの生活とは比較にならないほど。海外のニュースだってリアルタイムで入手できる。日本にいながらにして擬似海外旅行をしていると錯覚するほど衝撃でした」。パソコンは自由に羽ばたける翼であり、溢れる好奇心をのせて魔法の絨毯のように瞬時にどこへでも連れて行ってくれる感覚だったという。

画像: 今でも親しいパソコン仲間からは“マーチャン”という当時のハンドルネームで呼ばれている

今でも親しいパソコン仲間からは“マーチャン”という当時のハンドルネームで呼ばれている

画像: 「心拍数だって測れるんですよ。日頃の健康管理もこれで手軽にできます」と若宮さん

「心拍数だって測れるんですよ。日頃の健康管理もこれで手軽にできます」と若宮さん

 若宮さんは多彩な肩書きで呼ばれているが、「デジタルクリエイター」というのもそのひとつ。この日、纏っていたブラウスをはじめ、自らの著書のカバーまで。表計算ソフトのエクセルを使って図案を描く、若宮さん考案の“エクセルアート”を駆使している。パソコンをはじめる目的が“誰かとお喋りをする事”にあったように、“エクセルアート”というアイディアも、日常の些細な気づきが発端。70代で母親の介護を終え、近所の主婦たちに頼まれて自宅でシニア向けパソコンサロンを開いていた頃のことだ。パソコンの利便性を理解してもらう目的でエクセルの使い方を教示。その際に数式の計算ではなく、セルに色をつけて図案を描くことを思いついたという。「シニア世代の女性は編み物や手芸を趣味としている人が多いでしょ。小さなマス目に色をつけてオリジナルの模様を作れば楽しんでもらえると閃いて」。それを“エクセルアート”と名づけたところ、話題が数珠繋ぎとなり、米国マイクロソフト社からも称賛の声が届く。誰しもが、若宮さんのように行動したいと憧れるが、年齢や環境を言い訳に好奇心に蓋をしてしまいがちだ。若宮さん自身は、好奇心をどのように紡いできたのだろうか。

画像: 若宮さんがデザインしたエクセルアート。コースターや団扇、鮮やかなブラウスの端切れで作ったポーチまで様々な作品がある

若宮さんがデザインしたエクセルアート。コースターや団扇、鮮やかなブラウスの端切れで作ったポーチまで様々な作品がある

画像: 2018年秋の園遊会に招かれた際には、自身デザインのエクセルアートのドレスとワックスビーズのバッグで出席。「秋葉原で部品を買って花が点滅する仕掛けをほどこしたら、当時の皇后陛下に『あら、光りますのね』とお声がけいただきました」と、嬉しそうに当時を振り返る

2018年秋の園遊会に招かれた際には、自身デザインのエクセルアートのドレスとワックスビーズのバッグで出席。「秋葉原で部品を買って花が点滅する仕掛けをほどこしたら、当時の皇后陛下に『あら、光りますのね』とお声がけいただきました」と、嬉しそうに当時を振り返る

失敗して笑われたら、一緒に笑えばいい

画像: 「海の近くで済んでいるので、ブルーが好き」と、花と蔦模様を自らデザインしたエクセルアートの鮮やかなブラウスのバリエーションを披露

「海の近くで済んでいるので、ブルーが好き」と、花と蔦模様を自らデザインしたエクセルアートの鮮やかなブラウスのバリエーションを披露

 若宮さんのオリジナリティ豊かな創造性を育んだ礎は、戦争に翻弄された少女時代を生き抜くなかで芽生える。「世の中がどんどん移り変わるサバイバルな時代でしたから。何も物がないから食べる物でも、暮らしの道具でも、自分たちで工夫して生み出さなければならない。人と自分を比べるという感覚も気持ちの余裕もありませんでしたから。自然と創造力を鍛える結果になったのかもしれません」。その後、中学生時代を迎えると、岩波少年少女文庫に没頭する。『あしながおじさん』や『赤毛のアン』『大草原の小さな家』など、小説の中に描かれている海外の暮らしに思いを巡らせながら、空想の旅を楽しんでいたという。パソコンというツールを手にいれるまでは、本を通して新たな世界を知ることが若宮さんの創造性を育んだ。デジタルデバイスを使いこなす今でも、本は特別な存在だと語る。

画像: 実用書や旅行記をはじめ、小説も自分以外の世界を広げる手段

実用書や旅行記をはじめ、小説も自分以外の世界を広げる手段

「池波正太郎の作品は今でも繰り返し読みますね。『剣客商売』などを読んでいると、登場人物が寡黙なのがいい。一椀の葱の味噌汁を介して父と息子の気持ちが通じ合うシーンなど……活字からシーンを思い描くことで、映像で観る情報以上の世界に遊ぶことができます」とお気に入りの一冊について熱弁。文中の描写からヒントを得て、実際に料理を作ってみることもお手のものだとか。そんな話の流れから得意料理をたずねると、「すべて家で作ろうとすると億劫になりますでしょ。コンビニの菜の花の胡麻和えや切り干し大根だっていいお味。余ったら翌日は卵でとじてアレンジします」。気負いすぎず便利なものに頼り、なんでも実際にやってみる。その柔軟な思考が、若宮さんの知的好奇心を机上の空論で終わらせず、行動へとつなげていく。

画像: 本は時空を超えた旅へと誘うもう一つの翼だという。左から『江戸の味を食べたくなって』(池波正太郎著、新潮文庫)、『豪華列車はケープタウン行』(宮脇俊三著、文春文庫)、『異郷の空 パリ・京都・フィレンツェ』(杉本秀太郎著、白水Uブックス)

本は時空を超えた旅へと誘うもう一つの翼だという。左から『江戸の味を食べたくなって』(池波正太郎著、新潮文庫)、『豪華列車はケープタウン行』(宮脇俊三著、文春文庫)、『異郷の空 パリ・京都・フィレンツェ』(杉本秀太郎著、白水Uブックス)

 若宮さんの行動力を物語る近年のエピソードのひとつとして、2022年に訪れたデンマークへの旅行がある。旅の目的は、現在最も関心を寄せているAIを駆使した介護社会の勉強のため。「デンマークは、政府の方針としてペーパーレスを実践するほどデジタル社会の先進国。アンデルセン童話のイメージが先行しますが、少女たちはマッチを売らずにPCを使いこなしていました(笑)」。AIやロボット技術を導入することで、介護する側の負担を減らし、介護される側の心も軽やかになる様々な現場も見学。「例えば、トイレに行く事でさえも人に手伝ってもらうのは何度もお願いしにくくても、ロボットなら何度でも頼めますから」と、自身の介護経験も踏まえた視点から細やかな気づきも多かったという。誰に依頼されたわけでもなく自主的にポケットマネーで訪れ、そこで学んだことを講演会や取材を通して発信し、日本政府による高齢化社会に向けた有識者会議などで提唱している。

画像: 高齢者こそ、ライフスタイルにデジタルデバイスを取り入れるべきだと語る

高齢者こそ、ライフスタイルにデジタルデバイスを取り入れるべきだと語る

 多忙な日々を送る若宮さんに現在の暮らしのルーティンを伺うと、「40年以上銀行勤めをしていたせいか、さぞ規則正しい生活を送っていると思われがちですが起床時間も睡眠時間もバラバラ。元気の秘訣は、規則正しく過ごさないこと(笑)。自分がご機嫌であることが一番です」ときっぱり。眠れないときには「むしろラッキー!と思って、たまっている本を開きます。それに、寝床のなかって素晴らしいアイディアが思いつくこともある」という。そんな若宮さんは、側から見ると常に新しいことに挑戦しているように思えるが、「何かに“挑戦”するなんて大げさなことではなく、興味があるから扉を開いてみるだけのこと。だから、私の辞書に“失敗”の文字はありません。間違えて笑われたら、一緒に笑えばいいだけ」とチャーミングに微笑む。インタビューを終え、ランチを共にすると「あら、ポルケッタって何かしら」とメニューを眺めていたかと思うと、次の瞬間にはiPhoneで検索。ハーブで香り付けした、そのペルージャの伝統料理が若宮さんの自宅の食卓に並ぶ日も、そう遠くはないように思えた。

画像: 「雨の日はことさら明るい装いを」と、お気に入りのボーダーのレインコートを纏って。首もとを彩る若葉色のスカーフが、尽きる事のない若宮さんの好奇心の芽吹のように感じられた

「雨の日はことさら明るい装いを」と、お気に入りのボーダーのレインコートを纏って。首もとを彩る若葉色のスカーフが、尽きる事のない若宮さんの好奇心の芽吹のように感じられた

若宮正子
1935年生まれ、東京都出身。東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)卒業後、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に就職。1999年、シニア世代のコミュニティサイト「メロウ倶楽部」の創設に参画し、現在は副会長を務める。著書に『昨日までと違う自分になる』(KADOKAWA)、『88歳、しあわせデジタル生活ーもっと仲良くなるヒント、教えます』(中央公論新社)ほか多数。

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