装いやたたずまい、醸し出すムード。スタイルにはそのひとの生きてきた道、生き様が自ずとあらわれるもの。美しい空気をまとう先輩たちをたずね、その素敵が育まれた軌跡や物語を聞く。第7回は、「茶道サロンれんぴか」を主催する傳田京子さん。常に自身を内観しながら、海風を受け帆走するヨットのように“前だけを見つめてきた”という半生に迫った

BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY KIKUKO USUYAMA

“Enjoy!”の精神で茶の湯の“今”を発信

画像: 冴えた青みが美しい江戸紫の着物は、傳田さんが和の世界に憧れた原点を映す一枚。掛け軸の代わりに篠田桃紅さんの作品「lyrical」を茶室に飾るセンスが秀逸

冴えた青みが美しい江戸紫の着物は、傳田さんが和の世界に憧れた原点を映す一枚。掛け軸の代わりに篠田桃紅さんの作品「lyrical」を茶室に飾るセンスが秀逸

 茶の湯の稽古という言葉から、点前の正否を事細かに問う堅苦しい世界をイメージされる人も多いはず。ところが、「茶道サロンれんぴか」を主催する傳田京子さんの稽古場では、よく通る声で開口一番「エンジョイ!」というフレーズが飛び交う。20年に及び、独自の表現で茶の湯のスピリットをわかりやすく紐解き、多くのクリエイターと交流しながら茶の湯イベントを展開してきた。まずは、そのキリリとした佇まいの源流を辿ると「幼少期は引っ込み思案で大人しい読書家でした」と意外な一言。だが、持ち前の積極性はすぐに開花する。「父が勤め人からお寺の住職となり、住宅街から田んぼに囲まれたポツンと一軒寺に移り住むと、豊かな自然に育くまれ小学校高学年の頃から自我に目覚め出しました。気づけば高校時代には生徒会を任され、男性ばかりのバンドでボーカルとして音楽に情熱を注ぐ日々(笑)」。

画像: 「私、前しか向いていないので」という言葉が、真っ直ぐな眼差しと呼応するよう

「私、前しか向いていないので」という言葉が、真っ直ぐな眼差しと呼応するよう

 音楽好きが高じ、大学卒業後は音楽の原盤制作や楽曲の著作権を管理するベンチャー企業に勤める。ニューミュージック全盛期の音楽業界で、ビッグネームのアーティストや個性的な大人に囲まれる環境に身を置きながらも、周囲に流されることなく物おじせずに発言する駆け出しの社会人時代。管理楽曲や作詞・作曲家の営業、物販の企画からデザイン、運営、販売まで……幅広い部署を数か月ごとに渡り歩いた。3年を過ぎた頃に「今できることは遣り切った」と、次に向かう先も決めないまま迷わずスパッと会社を去った。

 その後、「紫色の着物を着こなす格好いい女性になりたい」という思いが湧き、着物の着付けを習いはじめる。何事にも徹底して取り組む姿勢は、着付けの教授資格1級を取得するまでに。「常に何かに没頭していると、ネガティブなことに目が向かないから」と当時を振り返る言葉から、決して歩みを止めずに前を向いて進み続けてきた傳田さんの生き方が垣間見えた。着付けをきっかけに和の世界に興味が向かうと、日本の伝統を体系的に学ぶ目的でインテリア・デザイナーの故・内田繁氏が主宰する、桑沢デザイン塾の「デザインと日本文化」に通いはじめる。「日本について学ぶなら形から!と考え、気持ちを高めるため着物で通いました。蛇の目傘片手に渋谷を歩いてみたり(笑)。 そうしているうちに、少しずつ目指す道が見えてきたように思います」。

 仕事においては、映画やCMの映像・音源を制作をする会社で働きながら、スキルを磨き重ね、「有限会社れんぴか」を立ち上げる。「小さくても法人化することで、大手の代理店とも契約が交わせるように。私個人に依頼された仕事でも、フリーのクリエイターやデザイナーとチームを組みなが一つのプロジェクトにする仕組みを作ることができました。組織に頼らずに女性が自立するためには、自分の会社を持つという地盤が必要だった」と淡々と語る。こうしてクリエイティブな仕事に充実感を覚える日々を過ごしながらも、傳田さんの“内なる自分”は「もっと腰を据えて打ち込めるもの」を求めていた。20代後半に中学時代から興味を抱いていた茶の湯の門をたたく。

画像: 秋明菊やホトトギス、ススキなど、“今”この瞬間の自然からの贈り物を茶室に活け込む

秋明菊やホトトギス、ススキなど、“今”この瞬間の自然からの贈り物を茶室に活け込む

画像: 朝のウォーキングで摘んだ野辺の花やベランダの洋花も、傳田さんのセンスで茶花へと昇華される

朝のウォーキングで摘んだ野辺の花やベランダの洋花も、傳田さんのセンスで茶花へと昇華される

 傳田さんが最初に習ったのは80代の先生で、どんなに仕事が忙しくても稽古には這ってでも通った。それほどまでに茶の湯に打ち込んだ理由を尋ねると、「お茶の稽古をすると何故か気持ちがシャキッとする、その効果がとにかく凄くて。どんなに疲れていても、稽古が終わると心と体の“軸”が整うマジックにすっかりハマってしまいました」。茶の湯の稽古は、毎回同じお点前をしているようで、実はその時の心が如実に現れるという。お茶を点てる“型”と徹底して向き合うことで心の筋肉が鍛えられ、稽古がどんどん楽しくなった。月に3回の稽古をあまりに熱心に取り組むうちに、先生から他の日にも通う許しを得て、月に6回も稽古に通ったほど。魯山人やイサム・ノグチなど、一流の作家の道具に触れたこともかけがえのない時間となったそうだ。

 茶の湯漬けの日々を送るかたわら、傳田さんは並行してセーリングにも通っていた。「波を切って船を走らせている時の興奮と、茶室に座ってお点前を覚えている時に、心の中で巻き起こる風が全く同じ感覚でした」。静と動、全くことなるカルチャーにも関わらず、同じ風を感じるとはどういうことなのだろうか。「ヨットも茶の湯も、ただ“無心”に取り組んだ先に、同じ風が吹いたように思います。ある時、お茶の点前に集中しているとふわっと気が遠のいて。幽体離脱ではないのですが、もう一人の自分が俯瞰して自分の手元を只見つめているような感覚に陥りました。自我を手放した“在るがまま”の状態に達したことで、私の“茶の湯熱”は益々高まりました」。

 稽古では正統派の茶の湯の型をしっかりと学ぶ一方で、傳田さんはインテリア・デザイナーの内田繁氏が主宰する茶の湯集団「岡傍会-おかびえ-」の一員として、国内外で現代的な茶道のスタイルを追求する。2003年には岐阜県の企画でニューヨークで開催された、古田織部に光を当てたイベントで茶席を担当。4ヶ月ほどの滞在中に、訪れる先々で「この瞬間をエンジョイしているか?」と話しかけられるうちに、「日常に茶の湯をエンジョイ」することを伝えていきたいとイメージ。帰国後の2004年、世田谷に「茶道サロンれんぴか」を構えた。それをターニングポイントに、型を離れて創造力と時代の風を自在に織り込んだ茶の湯のスタイルを展開していく。現代アートを見立てとして用いたり、「茶ガール」や「アバンギャルド茶会」といった今様のユニットにも参画。茶の湯を通して多彩なコミュニケーションの在り方に挑戦した。

画像: ランチョンマットをお盆に見立て、地球儀を模した茶器やカンボジアで求めた茶碗、柳宗理の急須を用いるなど、モダンな道具揃えで稽古をする

ランチョンマットをお盆に見立て、地球儀を模した茶器やカンボジアで求めた茶碗、柳宗理の急須を用いるなど、モダンな道具揃えで稽古をする

画像: ニューヨークの滞在中に求めたリトグラフ「clover」。掛け軸の代わりに用いることもあるという

ニューヨークの滞在中に求めたリトグラフ「clover」。掛け軸の代わりに用いることもあるという

孤独は豊かさ、茶の湯を通して自分を内観する

画像: 日課のウォーキングスタイルは、鎌倉のセレクトショップ「M2プリュス」のリネンシャツに、「アップルハウス」パンツを合わせて。白いトップスにワイドシルエットのパンツは傳田さんのファッションのシグネチャー

日課のウォーキングスタイルは、鎌倉のセレクトショップ「M2プリュス」のリネンシャツに、「アップルハウス」パンツを合わせて。白いトップスにワイドシルエットのパンツは傳田さんのファッションのシグネチャー

 傳田さんの稽古場には、多くのクリエイターをはじめ、茶道人口においては“若手”と言われる30〜50代の男女が集う。その理由は、現代的な道具揃えが共感を生むだけでなく、傳田さんが独自の表現で伝えている茶の湯のスピリットが求められているようだ。「茶の湯の魅力は、型を学んで、体の軸を通す動きを繰り返すことで、心の自在さが生まれることにあります。振り返れば、私も“自分自身を内観する”意識で稽古を続けてきました。自分と向き合う言葉や日本文化の“道”を貫く精神論が魂的な部分に沈澱していく中で、茶の湯を拠り所とするようになりました。昔から人と群れない質でしたが、イサム・ノグチの作品から‟芸術とは孤独が咲かせる花だ”という言葉を知り、孤独は寂しいことではなく豊かさだと思えるようにも」と、心の内を明かしてくれた。

画像: シックなデザイン性に加え、曲げわっぱの建水や漆器の茶椀など、軽やかに持ち運べる工夫が込められたオリジナル野点セット。「れんぴか」のWebサイトにて販売

シックなデザイン性に加え、曲げわっぱの建水や漆器の茶椀など、軽やかに持ち運べる工夫が込められたオリジナル野点セット。「れんぴか」のWebサイトにて販売

画像: ウォーキング途中の公園にて。ペットボトルの水で手軽にお茶を点てる“朝イチ抹茶”が最近のマイブーム

ウォーキング途中の公園にて。ペットボトルの水で手軽にお茶を点てる“朝イチ抹茶”が最近のマイブーム

 映像の仕事を続けながら自らの稽古場を構えていた傳田さんだが、2011年の東日本大震災を機に仕事を辞めて、茶の湯を生業とすることを決めた。「自宅でニュースを見ながら、それぞれの立場で互いに手を差し伸べる様子を見ていた時に、この“心の通い合い”は、まさに茶の湯の精神だと……。そう思ったら、これこそが自分のやるべき道だと感じました」。テーブルで振る舞う基本の点前を全6回のメソッドとして構築し、世田谷の稽古場をはじめ都内のギャラリーやショップを中心に1ヶ月に6箇所ものクラスで教える日々が続き、延べ1000人を超える人と交流。こうして茶の湯を礎に人生を走り続けていた折、コロナ禍が訪れる。「稽古場を閉めたのはわずか2ヶ月。その間に補助金を利用して茶室の障子や畳を抗菌仕様へと改修、オリジナルの野点セットも作ってWebで販売をはじめました。自分を奮い起こすというか、そうした努力は誰しも毎日していましたから」と語る。

画像: 「花をもって師となすという言葉のとおり、野辺の花からは“在るがまま”の貴さを教えられる」という

「花をもって師となすという言葉のとおり、野辺の花からは“在るがまま”の貴さを教えられる」という

 映像の仕事をしていた時には、茶の湯が日常から離れてリフレッシュできるスイッチだった。茶の湯が生業となった今、傳田さんの心を癒すことを伺うと「自然と対話すること」だとか。朝、目覚めて空を見上げ、ベランダの花を手入れする。体のコンディションがよいときは、1時間ほどのウォーキングも習慣となっている。歩きながら外気を感じ、野辺の草花を摘み、公園で “朝イチ抹茶”を点てることで心が整うという。「私は先祖代々の茶の湯の家に生まれたわけではなく、連綿と続く茶の湯の歴史の中に偶然落ちたひと雫となって、今ここにいる。だからこそ、自分の役割は“今”という時代のお茶を伝えることだと思っています。現代の作家の道具を中心に見立てのスピリットを注いで、自分らしい茶の湯をひとつひとつ具現化していくことを続けたいと思っています」。

 自分の信じる茶の湯の道をひとりで切り拓きながら進む傳田さんに、目標とする女性はいるのと尋ねると、「特にいません(笑) 。輝いている女性は皆んな好きです」と微笑みながら、「でも指針にしている言葉はあります」と座右の銘を教えてくれた。交流のあった故・山口小夜子さんが語った “心がカラダを着ているのよ”というフレーズは、どんな名言よりも強いメッセージだという。撮影の日、傳田さんの耳には可憐なパールのピアスが揺れていた。一服のお茶を介して小さな幸せを運び続けている、その内に秘めた優しさと響き合うかのように見えた。

画像: 鎌倉の「gram.」で求めたピアスと、お守りのように持ち歩いているという黒曜石

鎌倉の「gram.」で求めたピアスと、お守りのように持ち歩いているという黒曜石

画像: 透明感のある肌の秘密を伺うと惜しげも無く愛用の「マナラ」のスキンケアを教えてくれた。左から「ホットクレンジングゲル」「オンリー エッセンス モイスト」「リンクルハリスチャー」

透明感のある肌の秘密を伺うと惜しげも無く愛用の「マナラ」のスキンケアを教えてくれた。左から「ホットクレンジングゲル」「オンリー エッセンス モイスト」「リンクルハリスチャー」

傳田京子
1956年生まれ。有限会社れんぴか代表。傳田妙京として武者小路千家の茶道教授を務める。20代から茶の湯の稽古を続けるなかで、2004年より世田谷で「茶道サロンれんぴか」を主宰、イベント企画を開始。2008年には洞爺湖G8サミットで地球茶室空間での呈茶を担当。2011年の東北大震災直後より、茶の湯のスピリッツ再発見のメッセージを込めて、椅子席で基本点前を学ぶ独自のワークショップやイベントを行う。
公式サイトはこちら

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