3冊に共通するのは“旅人”が出てくることだが、その言葉が意味するものはそれぞれに異なっている。場所や時間を移動すると見える景色が変わるように、今回ご紹介する本のどれか一冊でも読み終えれば、旅、そして旅人という言葉ついて、思考や知識の上書きをしたくなるのではないだろうか――

BY CHIKO ISHII

ノンフィクション
『わたしもナグネだから――
韓国と世界のあいだで生きる人びと』

 韓国語の“ナグネ”は日本語で“旅人”と訳されるが、目的地のある旅行者ではなく、“旅を続ける人”のことだという。伊東順子の『わたしもナグネだから 韓国と世界のあいだで生きる人びと』は、在米コリアン一世の武闘家、ペレストロイカのシンボルになった高麗人ミュージシャン、ノーベル文学賞作家ハン・ガンを初めて日本に紹介した出版社の社長など、境界を越えて生きてきた人の話をまとめたノンフィクションだ。出てくる人の名前はほとんど知らなかったが、驚くエピソードばかりで引き込まれた。著者の伊東は韓国を語らい・味わい・楽しむ雑誌『中くらいの友だち——韓くに手帖』を創刊した編集者で翻訳家。韓国から外国へ、外国から韓国へ、移動する人々の背景に、朝鮮半島の近現代史が浮かび上がる。

画像: 『わたしもナグネだから 韓国と世界のあいだで生きる人びと』 著 伊東順子、 装画 山内光枝「信号波」(2023より)、装丁・本文デザイン 中村道高(tetome) ¥2,090/筑摩書房

『わたしもナグネだから 韓国と世界のあいだで生きる人びと』 著 伊東順子、
装画 山内光枝「信号波」(2023より)、装丁・本文デザイン 中村道高(tetome)

¥2,090/筑摩書房

 たとえば、最初に登場する「放浪の医師 元NATO軍の軍医ドクター・チェ」。ベルギー在住の老医師チェ・ヨンホは、大日本帝国統治下の朝鮮半島で生まれた。太平洋戦争を経て朝鮮は南北に分割され、チェの家は北側にあったが、医者になる勉強をするため南に行った。朝鮮戦争によって故郷に帰れなくなった彼は、戦争孤児を支援するベルギー人に助けられた。そして韓国人初のベルギー留学生となり、苦労して医師免許をとるが、市民権を持たないせいで就職はままならかった。17年かけてベルギー国籍を取得してからも、職を求めてモロッコ、コンゴ、イギリス、スウェーデン、ドイツを渡り歩いたという。戦争と離散の悲しみを抱えながらも、希望を捨てなかった老医師の長い旅の終着点が胸を打つ。
「わたしもナグネだから 中国朝鮮族の映画監督チャン・リュルと東アジア」は、本書のタイトルにもなっている話だ。中国朝鮮族とは、北朝鮮と国境を接する中国東北地方に集住する朝鮮系の少数民族のこと。時代によって変わる政治情勢に翻弄され、移動せざるを得なかった人々だ。中国朝鮮族の村には、北朝鮮から命がけで川を渡って逃げてくる人もいた。チャン・リュルは中国朝鮮族三世であり、中国・韓国・日本の都市を回って独自の〝東アジア映画〟を創っている。まさにナグネを体現する映画監督だ。チャン監督は『群山:鵞鳥を咏う』『福岡』『柳川』の三部作で「第33回福岡アジア文化賞」の芸術・文化賞を受賞。その授賞式で〈映画では自分と東アジアの友人たちが喜怒哀楽をともにできます。共感し合えること、今はそれがなによりも大切だと思っています〉〈力を持っている言語も、力を持たない言語も、それぞれの美しい言語が通じ合う世界。それが私の心の中のユートピアです〉と語ったそうだ。近くて遠いと言われる隣国との関係を考える上で、チャン監督の映画の内容は興味深い。中国朝鮮族のたどってきた道を知ると、複雑に絡みあって切り離せない東アジアの歴史について考えてしまう。その歴史の糸は、21世紀の日本で生きるわたしにもつながっている。

 ナグネたちの取材を経た伊東の〈私たちは皆が世界史の当事者だ〉という言葉も心に留めておきたい。他国の政変や戦争にまつわるニュースを見聞きすると、“◯◯の人は大変だな”と他人事のようにとらえてしまいがちだけれども、本書はそれぞれ異なる理由で旅を続ける人の半生を丁寧にひもとくことによって、読者の“いまここ”を拡げるのだ。

“旅”を真摯な言葉に置き換えていく
『いいことばかりは続かないとしても』

 大崎清夏は、旅する詩人だ。エッセイ集『いいことばかりは続かないとしても』でも、熊のいる山奥、湘南の海辺、ハンセン病資料館、ヴェネチアなど、さまざまな場所に移動している。
 なかでも「どうぞゆっくり見てください もうひとつの地震日誌」がいい。大崎は朗読劇の仕事で石川県珠洲市を訪れたことがあり、そこで知り合った友達が何人もいた。だから能登地震発災の数日後に遠くにいる人の無事を祈る「始まる日」という詩を書いた。その「始まる日」を収録したのが、萩原朔太郎賞を受賞した『暗闇に手をひらく』だ。地震発災のちょうど半年後、大崎は珠洲市に向かう。津波の被害を逃れた銭湯でボランティアをするためだ。大崎は再会した友達の〈日常に戻りたいけれど、何が日常で何が非日常なのかもうよくわからない〉という見解に耳を傾け、変わり果てた風景に目を凝らす。朗読劇を上演した劇場の被害状況を確かめに行ったときにおぼえる恐怖は生々しい。

画像: 『いいことばかりは続かないとしても』 著 大崎清夏、装画 小城弓子、装幀・組版 佐々木暁 ¥2,090/河出書房新社

『いいことばかりは続かないとしても』 著 大崎清夏、装画 小城弓子、装幀・組版 佐々木暁

¥2,090/河出書房新社

 日誌の後半は、もうひとつの旅の記録だ。目的地は山形県の月山。能登の旅と共通するのは、〝人に会う旅〟であることだ。大崎は友達が紹介してくれた夫婦や宿の女将さんの優しさについて考える。〈人に会う旅ばかりしていると、予想もしない言葉をかけられ、予想もしない風景を見せられて、予想もしない涙が出たりする、場合によっては、私ってそんなことになるの?というような強烈な感情が湧いて、激しい言葉を人に投げてしまうこともある。宿や交通手段は自分の思うままに手配できても、出会う人を手配することはできない。だから私は、旅のなかで出会った人に、これ幸いと私のかたちを書きかえてもらう。ふだんの思考を支配している何かをすこし手放して、その土地の風に自分を委ね、その土地のものを食べる〉というくだりを読むと、自分もこんな新鮮な経験をしてみたいと思う。
 書評や映画評も作品の世界を旅するように書いている。旅をこよなく愛する大崎だが、あとがきによれば、最近転機が訪れたらしい。人生における新たな旅がどんな詩を呼び寄せるのか楽しみだ。

詩人と音楽家による壮大な“旅”
『サーミランドの宮沢賢治』

『サーミランドの宮沢賢治』は、これからの季節にぜひ手にとってほしい。詩人で比較文学者の管 啓次郎と、音楽家で翻訳家の小島敬太——東日本大震災後に朗読劇『銀河鉄道の夜』の公演活動を続けてきたふたりが、宮沢賢治の憧れていた“北の果て”を求めて、サーミランドを目指す。ほかの誰も思いつかないだろう、ユニークな旅の本だ。装幀も凝っていて、小島視点で書かれた「風篇」は青いインク、管視点で書かれた「太陽篇」は赤いインクで印刷されている。「風篇」と「太陽篇」をつなぐのは、モノクロの写真だ。
 サーミランドはノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアにまたがる北極圏の一帯で、先住民のサーミ人が暮らす地域だ。ラップランドという呼称で知られているが、サーミ人は決してラップランドとは言わないそうだ。
 フィンランドの叙事詩『カレワラ』において、南部の人に〝光がささない闇の地〟と見なされた北部にあるサーミランド。最愛の妹が夭逝したときに、当時の日本の北限、樺太(現・サハリン)へ旅立った宮沢賢治。時間的にも空間的にも遠く離れた両者を、小島は“北”という方角で結びつける。小島の話を聴いた管は、賢治の言葉をサーミランドへつれて行こうと提案する。

画像: 『サーミランドの宮沢賢治』 著 管 啓次郎・小島敬太、装画 Asta Pulkkien、装幀 中島浩  ¥2,530/白水社

『サーミランドの宮沢賢治』 著 管 啓次郎・小島敬太、装画 Asta Pulkkien、装幀 中島浩

¥2,530/白水社

 トナカイの話やフィンランド最北端の村に住む詩人の話も印象的だが、サーミの聖地があるイナリ湖の上で、管が宮沢賢治とランボーの詩を朗読するくだりが素晴らしい。ランボーの詩は、夏の詩だ。そのときの様子を小島は〈管さんは両手を後ろに組んで、暗唱していた。言葉たちは空気をふるわす音の粒となり、本で遮られることのないまま湖に降り注ぐ。ランボーの言葉に閉じ込められた夏の振動が、管さんの身体を通して、一粒一粒、この世界に現れる〉と描写する。凍りついた湖と賢治の詩に夏の光がさすような感じがする。言葉を連れていく旅とは、こういうことなのか、と思う。
「太陽篇」の同じ場面で、管が旅について語った言葉も記憶に残る。
〈そもそもわれわれの旅は愚行、ただしその愚行の果てに何をつかみとるかによってその後の人生が大きく変わってくるような愚行だ。そして誰のどんな人生もそれ自体として孤立していることはけっしてなく、他の人間たち、他のすべての生命たちとの複雑な絡み合いにおいて、ひとりの人生の小さな愚行はたしかに世界を別の方向にむかわせる原動力にもなるだろう〉

 伊東は韓国、大崎は能登、管と小島は東北。今回とりあげた3冊の著者は、いずれも風景や文化を消費する観光とは一線を引いて、ある土地と関わり続ける旅人だ。慌ただしい日常から離れて、彼らの思考と言葉の旅にふれてほしい。

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画像: 石井千湖 書評家、ライター。 新聞、週刊誌、ファッション誌や文芸誌への書評寄稿のほか、オンラインメディアでは『#ポリタスTV』にて「沈思読考」と題した書評コーナーを担当。『TJAPAN』本誌では村田沙耶香氏へのインタビューや、ファッション企画に合わせた小説・随筆などの選書を手掛けている。

石井千湖
書評家、ライター。
新聞、週刊誌、ファッション誌や文芸誌への書評寄稿のほか、オンラインメディアでは『#ポリタスTV』にて「沈思読考」と題した書評コーナーを担当。『TJAPAN』本誌では村田沙耶香氏へのインタビューや、ファッション企画に合わせた小説・随筆などの選書を手掛けている。

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