小津夜景は漢詩を、堀江敏幸はジョルジュ・ペロスを見つめ、その静かな眼差しは言葉となり、エッセイとして結実した。読みやすさからエッセイを手に取る人も多いだろうが、この二冊の魅力はそれだけではない。湖のように深く穏やかな余韻が、私たちの心に残る

BY CHIKO ISHII

 生活と詩、今と昔、日本と中国とフランスが思いがけないかたちで結びつく。こんな文章は、AIには書けないだろう。『漢詩の手帖 書庫に水鳥がいなかった日のこと』は、南仏ニースと京都を行き来する俳人・小津夜景の漢詩翻訳エッセイ集だ。
 漢詩と言えば中国の伝統的な詩で、近代までは日本の知識人の必須教養でもあった。〈国破れて山河在り〉で始まる杜甫の「春望」などが有名だ。井伏鱒二が訳した于武陵(うぶりょう)「勧酒」の〈ハナニアラシノタトエモアルゾ/「サヨナラ」ダケガ人生ダ〉を思い浮かべる人もいるかもしれない。なんとなく枯淡だったり、哀愁が漂うイメージだった。小津の翻訳を読むまでは。

画像: 『漢詩の手帖 書庫に水鳥がいなかった日のこと』小津夜景 著 ブックデザイン 重実生哉、装画 姫野はやみ ¥1,980/素粒社

『漢詩の手帖 書庫に水鳥がいなかった日のこと』小津夜景 著
ブックデザイン 重実生哉、装画 姫野はやみ 
¥1,980/素粒社

 小津にとって〈漢詩というのは音楽に似ていて、ふとした拍子にメロディみたいに流れてくる〉という。たとえば「風呂屋と山鯨」に出てくる平安時代の漢詩人・仲雄王(なかおおう)の「豚肩ロースの歌」。当時建前としては禁じられていた肉食を堂々と礼賛した詩だ。〈豚の肩ロースは赤く/白い脂がぷるぷるして〉という冒頭から愉しい。しかも、この「豚肩ロースの歌」が引用されるのは、平安時代の漢詩人とはかけ離れた、現代フランスの温泉の話なのだ。

「財布はいかに開かれるか」は、〈雨の日の過ごしかたが、いまだによくわからない〉という書き出し。リスボンで雨に降られたこと、レインブーツの値段を見てあぜんとしたことから、財布の話題に転換していく。小津は古道具屋で見つけたちょっとかわいいパン皿を迷ったあげく買わなかったのに、そのあと行ったカフェで値段のたいして変わらないチーズケーキとカフェラテを注文したという。なぜこうなってしまうのかと考えたとき、思い浮かぶ漢詩は杜甫の「今宵のうた」だ。杜甫が博打に興じる英雄たちを書いた理由と、小津がチーズケーキとカフェラテを頼む理由が、〈小さな祝祭〉という言葉でつながる。文章を読みながら自分も〈この午後に火を灯したい〉と思う。

 表題になっている「書庫に水鳥がいなかった日のこと」は、本書をまとめるために京都の図書館に通った日々のことを書いている。小津は歩いて5分の道のりを遠回りして、自転車に乗って行く。寄り道が好きなわけではなくて〈心というのは自転車と同じで、まっすぐ漕ごうとすると逆に倒れる。ちょっと左右にふらついているくらいの方が、かえって安定する。それゆえ遠ざかり、逸れながら、回り込む〉のだそうだ。図書館に着いてからも、ひとつの語の使い方だけ確かめて帰るつもりが、いつのまにか机に本が積み上がっている。目的にまっすぐはいかない。精緻であると同時に余白がある文章は、こういうルーティンから生まれているのだとわかる。
 このエッセイで訳されている劉楨(りゅうてい)の「雑詩」が最高だ。はじまりの句は〈業務はうずたかく積み上がり/書類は散らばって片付かない〉。1800年以上前、仕事に追われていた人の気持ちに共感をおぼえてしまう。 “水鳥”が登場する最後の3句もしみじみといい。

堀江敏幸が奏でる言葉の旋律
『魔法の石板 ジョルジュ・ペロスの方へ』

画像: 『魔法の石板 ジョルジュ・ペロスの方へ』堀江敏幸 著 装幀 緒方修一、装画 ジョルジュ・ペロス(厚紙にインをコラージュ)@Succession Georges Perros ¥1,870/白水社

『魔法の石板 ジョルジュ・ペロスの方へ』堀江敏幸 著
装幀 緒方修一、装画 ジョルジュ・ペロス(厚紙にインをコラージュ)@Succession Georges Perros
¥1,870/白水社

『魔法の石板 ジョルジュ・ペロスの方へ』は、フランス文学者でもある堀江敏幸の作家デビュー30周年を記念するコレクションの第一弾。ジョルジュ・ペロス(1923-1978)は、30代なかばでパリを離れ、ブルターニュ地方の港町に移り住んだ孤高の詩人だ。双子として生まれるはずの弟を失ったこと、演劇を学びコメディ・フランセーズの一員となってジェラール・フィリップと友達になったこと、日記を書いて思索を深めるようになったこと、哲学者のジャン・グルニエに手紙を書いたことがきっかけで文芸雑誌の寄稿者になったこと、オートバイを乗り回していたこと、人間関係に多大な困難を感じていたこと、有名出版社との契約を自ら放棄してずっと貧しかったこと……。堀江は作品や書簡を引用しながらペロスの人生をひもといていく。しかし、本書は伝記でも批評でもない。〈自分がなぜこの作家に惹かれるのかを、自分のために確認しようとしている〉長編エッセイなのだ。

 読んでいるうちに、わたしも存在すら知らなかったペロスにどんどん惹かれていった。なんといっても「覚え書き」がいい。たとえば〈ひとは、自分をどんな人間とも比べなくなったとき、自由に振る舞うことができる〉というアフォリズム。「覚え書き」をつなぎあわせた代表作『パピエ・コレ』の会話にまつわる断章も味わい深い。

〈テーブルで。みながぼくの横で絵画や文学の話をしている。教養があり、また教養のあることを嬉しく思っている人々のあいだでかわされる、驚きはないけれどじゅうぶん品のある会話。ぼくは耳を傾ける。といって、傾けすぎたりはしない。話に参加させられるのが怖いのだ。というのも、快楽とは、余白にいることだからである。それだけしかないのだ。あの輪のなかに入らなければならないとしたら、もうまったく興味が失せてしまう。人間的な魅力をなくしてしまう。〉

〈快楽とは、余白にいることだからである〉というくだりがある。本書には“余白”とか“空白”という言葉が頻出する。ペロスは『パピエ・コレ』に収録した断章と断章のあいだに空白を配置していたらしい。堀江によれば、この空白は楽器の演奏がはじまる直前の沈黙のようなもの。空白があるからこそただの文の羅列にならず、断章に流れが生まれるのだ。
 堀江が独自の空白でつないだペロスの言葉は、思考をこれまでにない方向に動かしてくれる。孤独について、沈黙について、愛について、言葉について、思索が広がって「覚え書き」を残したくなる1冊だ。

 近年はエッセイブームと言われ、いろんな本が出ているが、今回とりあげた2冊はessayという英語に“試みる”という意味があることを思い出す。文学について、人間について、自分の言葉で語ることを試みているエッセイだ。

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画像: 石井千湖 書評家、ライター。大学卒業後、8年間の書店勤務を経たのち、現在は新聞、週刊誌、ファッション誌や文芸誌への書評寄稿のほか、主にYouTubeで発信するオンラインメディア『#ポリタスTV』にて「沈思読考」と題した書評コーナーを担当。

石井千湖
書評家、ライター。大学卒業後、8年間の書店勤務を経たのち、現在は新聞、週刊誌、ファッション誌や文芸誌への書評寄稿のほか、主にYouTubeで発信するオンラインメディア『#ポリタスTV』にて「沈思読考」と題した書評コーナーを担当。

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