川久保玲と山本耀司に先んじること10年、世界のファッションの常識を覆し、デヴィッド・ボウイとともにグラムロックの美意識を形づくったデザイナー。山本寛斎のクリエーションが、改めて注目されている。山本寛斎氏の訃報に接し、記事を再掲載する

BY ALEXANDER FURY, TRANSLATED BY CHIHARU ITAGAKI

 山本寛斎は1971年、ロンドンでデビューするや雑誌の表紙をセンセーショナルに飾り、大胆な色使いやアートのように構築的なシルエットでファッション界に強烈なインパクトを与えた。デヴィッド・ボウイがステージ衣装として着ることで、そのデザインは70年代のひとつのアイコンとなった。それは多くの人が「日本的」と考える、“わびさび”とは対極の表現だった。そんな彼のクリエーションについての「後編」をお届けする。


 よく考えれば不思議なことだが、寛斎のデザインが「日本的」と評されることはめったにない。おそらく、我々が日本について考えるとき、思い出すのは「婆娑羅(ばさら)」というよりは「わびさび」のほうだからだろう。そして「わびさび」からすぐに連想するのが、80年代初頭の山本耀司や川久保玲による、意図的に難解にした表現だ。ファッションメディアは彼らの服を「ボロルック」と呼んでからかったわけだが、「日本的」なファッションとは彼らのつくる服のようなものだという意識が、今でも根強くある。一方で寛斎はといえば、日本の歴史やアジアン・アート全般から選んだ題材を自由に取り入れる。

それはたとえば、入れ墨であり、清朝時代の中国の装束であり、北斎の「神奈川沖浪裏」であったりする。寛斎は、そういった異質のものをひとつの服の中で融合させるのだ。寛斎のプリント使いや視覚的表現は、アジアン・アートによく見られる二次元的な性質の反映だ。それは繊細で緻密というよりは、力強く生き生きとしており、アジアの陶磁器に見られるような豊かで鮮やかな色使いを特徴としている。寛斎は大きく広がるケープガウンを好んだ。その理由のひとつはインパクトのあるシルエットのためであり、もうひとつの理由は、装飾を繰り広げるためのキャンバスになるからだ。さながら中国や日本の屛風絵のように、広げると絵物語が展開するというわけである。その芝居がかった効果は、70年代初頭のスタイルに典型的なものでもあり、グラムロックの本質でもあった。

画像: 『ハーパース・アンド・クイーン』誌の特集ページのタイトルは「ファンタスティックでアートな服をつくる、ファッション界の新たな才能」 © HIROSHI YODA

『ハーパース・アンド・クイーン』誌の特集ページのタイトルは「ファンタスティックでアートな服をつくる、ファッション界の新たな才能」
© HIROSHI YODA

 まさに今、ファッション界には寛斎の再ブームが起こっている。少なくとも、寛斎の「婆娑羅(ばさら)」的美意識がブームになっているのだ。彼のシグネチャーである多種多彩な色、柄、素材の使い方は、アレッサンドロ・ミケーレによるここ最近のグッチのコレクションにも共通するものだ。もっと寛斎のスタイルに近づいているデザイナーもいる。ヴァレンティノ2016年プレフォール・コレクションの公式のインスピレーション源は、往年のイタリア人デザイナー、エリオ・フィオルッチだったが、富士山などの日本的なモチーフを題材にしたアイテムは、まさに寛斎風に見えた。そしてリカルド・ティッシは、自身の手がける最後のジバンシィのメンズ・コレクションとなった今年1月のショーで、トーテムポールのような、大きな顔のイメージを柄として使用した。舌を突き出したその顔は、驚くほど寛斎の用いたしかめ面の顔に酷似していた。その発想源は、歌舞伎などに登場する奴やっこの戯画化された顔だ。

画像: (写真左)ジバンシィ バイ リカルド ティッシ2017-18年秋冬メンズ・コレクションより (中)ヴァレンティノ2016年プレフォール・コレクションより (右)グッチ2017年プレフォール・コレクションより (左から)PHOTOGRAPH BY MATTEO VOLTA, IMAXTREE, ZETA IMAGE

(写真左)ジバンシィ バイ リカルド ティッシ2017-18年秋冬メンズ・コレクションより
(中)ヴァレンティノ2016年プレフォール・コレクションより
(右)グッチ2017年プレフォール・コレクションより
(左から)PHOTOGRAPH BY MATTEO VOLTA, IMAXTREE, ZETA IMAGE

いちばんはっきりした形で寛斎にオマージュを捧げたのは、ニコラ・ジェスキエールによるルイ・ヴィトン2018年クルーズ・コレクション。滋賀のミホ・ミュージアムで開催されたショーで、ニコラは73歳になった寛斎その人とコラボレーションし、新しいビジュアルを発表した。その中には、前述のしかめ面の奴やっこもあり、それはショート丈のシフトドレスや、ボックス型のクラッチバッグ"プティット・マル"にあしらわれていた。

画像: ルイ・ヴィトン2018年クルーズ・コレクションのショーは、滋賀のミホ・ミュージアムで開催された。山本寛斎とのコラボレーションにより生まれたグラフィックデザインが随所に登場

ルイ・ヴィトン2018年クルーズ・コレクションのショーは、滋賀のミホ・ミュージアムで開催された。山本寛斎とのコラボレーションにより生まれたグラフィックデザインが随所に登場

画像: 写真左のクラッチバッグ"プティット・マル"はその一例。昔から戯画化されてきた、奴やっこをドレスにあしらっている PHOTOGRAPHS: COURTESY OF LOUIS VUITTON

写真左のクラッチバッグ"プティット・マル"はその一例。昔から戯画化されてきた、奴やっこをドレスにあしらっている
PHOTOGRAPHS: COURTESY OF LOUIS VUITTON

 こういった現代のブランドが、寛斎のさほど世に知られていないアーカイブとコラボレーションしている(もしくは資料から引用している)という事実より、さらに関心を引く問題がある。それは「なぜ?」ということ。なぜ今、寛斎なのか?寛斎の服は、70年代のある種の現実逃避的な傾向と強く結びついている。ジェンダーから解放され自由になれるような、宇宙空間への、新しい架空の文化への、未来への、過去からの逃避。寛斎がデザインしたデヴィッド・ボウイの衣装は、グラムロックの本質的な美学を形成する一助となったわけだが、そのグラムロックは夢見るためのもの、物騒な時代の心の慰めとしてある種の非現実感を提供するためのものだった。テロリズム、経済摩擦、第四次中東戦争とベトナム戦争、噓にまみれたウォーターゲート事件の政治家たち。そういった時代における、華やかで芝居がかった娯楽としての役割があった。さて、何か心あたりがあるだろうか?

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