BY MASAYUKI OZAWA, PHOTOGRAPH BY YOSHIO KATO
誤解を恐れずに言えば、より多くの人々にファッションとして認知され、成功するために必要な条件は、ブランドの出自がファッションでないことかもしれない。特にフットウェア業界は、いかにも皮肉めいたこの仮説を歴史が証明している。ニューバランスがもともと矯正靴のメーカーであったように、ナイキやアディダスがアスリートのためのシューズを今も実直に作り続けているように、機能がデザインを生み出し、ストリートカルチャーと偶発的に結びつき、その結果としてファッションと邂逅(かいこう)する。現在は特にその傾向が顕著かもしれない。これまでトップデザイナーたちは、服にドレス、靴にバッグ、香水からホームグッズと、身につけるすべてをデザインすることで、メゾンの世界観を構築してきた。しかし最近のデザイナーはどうも「餅は餅屋」の精神を尊重しているように見える。自分たちのデザインよりその道のプロとのコラボレーションを選び、保証されたクオリティと巧妙なマーケティングによって成功を収めている。彼らはリアルな世界との境界線が曖昧になるほど発展したSNSの世界で生きているからこそ、人々が本物に飢えていることを知っているからだ。
おそらく世界中のファッションデザイナーにとって、ビルケンシュトックはとても純粋な存在だ。ここでいう純粋とは「ファッションを目的とせずに確立した、第三者がまねすることのできない伝統とクオリティ」のこと。つまり快適な履き心地をもたらすオリジナルのフットベッド(インソール)そのものを指す。それが生まれた背景やヒストリーには、いくつかのターニングポイントがあった。
19世紀後半、ドイツは空前のスパブームに沸いていた。フランクフルトで靴店を経営していた創業者のコンラート・ビルケンシュトックは、バーデンバーデンなどの温泉保養地を訪れる多くのヨーロッパ人やアメリカの富裕層のために、足のアーチに沿うインソール入りの靴を作り始めたという。解剖学に基づいた凹凸のある設計は、インソールはフラットというそれまでの通念を覆す斬新なものだった。1920~30年代になると、医療的な研究に拍車がかかり、ビルケンシュトックは医師たちに講習会を開いては専門知識を広めるなど、足の矯正と健康に特化した特別なポジションを確立していた。1963年には、天然のラテックスとコルクを混合した柔軟な素材を開発。現在におけるフットベッドの基礎が、この時点でほぼ完成していた。やがてアメリカ西海岸に上陸すると、天然素材のヘルシーなフットベッドは核兵器、加工食品、人種差別に反対するヒッピーたちの間で愛されたという。
90年代に入ると、その存在にマーク・ジェイコブスが目をつけたことで、ファッションアイテムとしての認知が広がっていく。1988年、ペリー・エリスにデザイナーとして加わったマークは、その後グランジ・ファッションをランウェイで表現。タータンチェックやフラワー柄、ペールトーンのセクシーでシルキーなドレスの足もとには、モッズの象徴であるドクター・マーチンやロックの象徴であるコンバースのオールスターと同じように、反体制のアイコンとしてビルケンシュトックが選ばれた。ちなみにマークは当時の雑誌のインタビューで、グランジを「ロマンティックなヒッピーとパンクの融合」と解釈している。
またその頃のビルケンシュトックはライセンス事業にも力を注いでおり、多くのファミリーブランドが増えたことで、日本でもメジャーな存在となっていく。「アリゾナ」や「マドリッド」を模した廉価なサンダルが街中に溢れかえったのは記憶に新しいところだ。しかしグランジファッションのピースとして日本でも認知されたのは、記憶の限りではそれから少したってから。インターネットが普及していない当時ならではの、情報スピードの時差だった。それでも一過性のトレンドに終始せず、今もなお日本で人気を博しつづけているのは、フットベッドの魅力に取り憑かれた顧客が後を絶たなかったからだろう。
そして近年、ビルケンシュトックは、スニーカーカルチャーほどの派手な動きこそないが、特にウィメンズでかつてない世界的な盛り上がりを見せている。きっかけは2012年、当時セリーヌのクリエイティブ・ディレクターだったフィービー・ファイロが、ミンクをあしらった黒の「アリゾナ」をパリ・コレのショーのためにデザインしたことだ。リラックスやコンフォートな要素がトレンドを牽引していたなか、知的で実用的なメンズウェアを好むフィービーが、健康サンダルでランウェイを歩かせたことは、ビルケンシュトックを新しいステージに引き上げるのに十分なニュースだった。快適なフットベッドに魅せられた一人であるはずの彼女の功績は、伝統的な機能や製法を大切にしながら、装飾的なビルケンシュトックというものを新たなスタンダードにしたことではないだろうか。
ヒッピーに愛され、モードに愛され、リラックスのシンボルとして装飾的にも姿を変えたビルケンシュトック。しかしブランドが自発的にファッションを発信することはなかった。ただただ実直に、変わらない製法で健康的なフットベッドであり続けた純粋な存在だからこそ、ファッションがそれを見逃さなかったのだ。現在、ビルケンシュトックは、天然のコルクを使ったコスメ事業への参入や、愛用者と製品の精神的な結びつきにフォーカスしたキャンペーンの始動など、世界に向けて新たな発信をし始めている。しかしその根底には、フットベッドへの深いこだわりと矜持、そして純粋さが、変わることなく存在しているのだ。