BY HIROKO NARUSE, STILL LIFE BY SATOSHI YAMAGUCHI
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」。古来、日本人は桜を愛し、その思いはさまざまな形で映し出されてきた。桜と同じく、日本の文化を象徴するものとされるのが真珠である。左写真の帯留めはミキモトの明治期の作品。桜は創業時から今に至るまで、繰り返し用いられてきたモチーフだ。地金に施された立体的な彫りや、外周の緻密なミル打ちに、当時の職人の技術の高さを見ることができる。花芯に配した半円の真珠は、同社が手がけた養殖真珠である。1893年、創業者の御木本幸吉がその養殖に成功した。
三重県の鳥羽に生まれた幸吉は、特産の稀少な天然真珠の母貝となるアコヤ貝が乱獲されるのを見て、「海を、真珠を守りたい」との思いから真珠の養殖を決意した。天然真珠は、アコヤ貝1000個のうち1個見つかるかどうかの偶然の産物。幸吉は真珠のもとになる核を移植した母貝を管理し育てることで、人の手によって確実に真珠を生み出せないかと考えたのだ。たび重なる赤潮で養殖場の貝も壊滅的な被害を受けたが、わずかに残った貝の内に、半円真珠が輝いていた。1899年、東京・銀座に御木本真珠店を開店。さらに研鑽を重ね、1905年に真円真珠の養殖に成功する。その美しさと品質の確かさは欧州でも注目を集め、ミキモトの名は世界的な認知を得ていく。
真珠を主役に、西欧の技術と日本の伝統的な技法やモチーフを融合したジュエリーを創作し、独自のスタイルを編み出す。その創業精神は今も健在だ。右写真は大粒のアコヤ真珠を用いた現在の作品。ネックレスには隣り合う真珠が一体となって輝きを放つよう、熟練職人によって同じような色・光沢の珠を連ねる技が施されている。精緻な技法で繊細な花びらが軽やかに表現され、満開の桜の一瞬の美は今、永遠の輝きに。