BY KEIKO HONMA
今も脚光を浴び続ける、220年以上前の画期的発明
巻き上げたゼンマイのほどける力を利用して動く機械式時計は、最新式のスマートウォッチにはないロマンを秘めている。時を正しく表示するために長年ブラッシュアップされ続けてきた機構の中には、数世紀前に開発されて今も使い続けられているものもあるのだ。その機構、“トゥールビヨン”を発明した伝説的な時計師がいる。彼の名はアブラアン-ルイ・ブレゲ。
「彼自身は、自分の発明が220年以上の後の世もこうして話題になっているだろうとは考えもしなかったでしょうね」と語ってくれたのは、エマニュエル・ブレゲ。1775年創業の老舗メゾンの副社長であり、創業者アブラアン-ルイから数えて7代目だ。「彼は驚くほどたくさんの発明をし、時計を急速に進化させた天才的な人物です。中でも最も重要なのは、トゥールビヨンです」
トゥールビヨンとは、重力によって生じる機械の誤差を補正する機構。アブラアン-ルイ・ブレゲがトゥールビヨンの特許を取得したのは1801年、フランスでナポレオン・ボナパルトが勢力を伸ばしていた時代だが、見た目も美しく、今なお複雑機構の代表格として羨望の眼差しを集め続けている。
「それからムーブメントを衝撃から守る“パラシュート”と呼ばれる機構や、指でふれることで時刻を読み取る“モントレ・ア・タクト”、懐中時計と置時計を同調させる“パンデュール・サンパティーク”……、本当に数多くの発明を彼は残しました。でもそれだけではないのです。こうした時計内部の革新は、外部のデザインにも影響を及ぼしますよね。ですからアブラアン-ルイ・ブレゲの技術的な発明は、時計のデザインを洗練させることにも大いに貢献したといえるのです」
ダイヤモンドやエナメルで美しく飾った懐中時計“モントレ・ア・タクト”は、ナポレオンの最初の妻ジョゼフィーヌ・ボアルネも購入。ナポレオンと彼の一族はブレゲの時計を大変気に入り、ナポリ王妃となったナポレオンの妹、カロリーヌ・ミュラは30個を超える時計を購入したという。
王妃の腕を飾ったブレスレットウォッチは今どこに
そのナポリ王妃にちなんだコレクションが現代のブレゲにもある。優雅なエッグシェイプが印象的な「クイーン・オブ・ネイプルズ」はメゾンのアイコンウォッチのひとつで、アブラアン-ルイ・ブレゲが1812年に王妃に納品した時計に由来している。メゾンの顧客台帳に残された記録によれば、それは細長い形をしており、さまざまな複雑機構が搭載されていたそうだ。
「注目すべきは、王妃の時計が腕に巻くブレスレット型だったということです。当時は時計といったらポケットに入れて持ち歩く懐中時計で、まだ腕時計という言葉すらありませんでした。現代のような腕時計が出回るようになるのは20世紀初頭ですから、彼はあまりにも時代に先駆けていたのです」
金の糸と髪の毛をより合わせたブレスレットで手首に巻きつけたというジュエリーのような時計。カロリーヌ・ミュラが愛した歴史的な時計は、今どこにあるのだろうか。
「ナポレオンに連なる一族のうちのどなたかが秘蔵していることはわかっていますが、私も見たことはありません。もしもオークションに出品されるようなことがあれば、世界中のコレクターが色めきたって、大ニュースになるでしょうね。歴史家として、いつか私もそれを手にして研究したいという大きな望みがありますが、今はどこかで静かに眠っているはずです」
激動の時代を超えて記録され続けるメゾンの顧客台帳
王妃のオーダーの内容を詳細に知ることができるのは、メゾンが保管する18世紀末からの古い台帳のおかげだ。王妃マリー・アントワネットやフェルセン伯爵、将軍ナポレオン・ボナパルトといった顧客たちの名前はもちろん、発注日や納品日、ムーブメントのリファレンス番号、さまざまな職能の工人たちの名前、修理の内容や販売価格までが記録されている。
「驚くほど詳細に書かれた顧客台帳は、他の工房にはないブレゲの特徴のひとつであり、これらが現存するのは奇跡的なことでもあります。アブラアン-ルイ・ブレゲは激動の時代の人物で、フランス革命を経験し、戦争ばかりしていたナポレオンの治世を生き抜きました。その後2度の世界大戦もありましたから、先人たちがどれほどの思いで記録を残したかを考えると、畏敬の念に打たれます」
台帳が残っていたからこそ、それらを研究して大著を執筆することができたというエマニュエル・ブレゲ。彼は最後に「ちょっとつけ加えたいことがあります」と言う。
「メゾンの顧客台帳は、現代もなお書き続けられています。クラウドストレージではなく、昔ながらの紙で、ですよ。正規のファーストオーナーであれば、記録された伝統の一部になることができるのです。メゾンが生み出したものを将来にわたって検証し続けていくこと。それは私たちの義務なのです」
ブレゲ ブティック銀座
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