毎年11月頃、フランスのモード界では、数百名の男女が奇抜な帽子をかぶって集う“内密”の伝統行事が催される。ベールに包まれたこの祭典と、そのルーツを探る。

BY JESSICA TESTA, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

画像: 1949年頃、パリ・モンテーニュ通り、ディオールのメゾン前に集うカトリネットたち。 CHRISTIAN DIOR MUSEUM COLLECTION, GRANVILLE © ASSOCIATION WILLY MAYWALD/ADAGP, PARIS, 2024.

1949年頃、パリ・モンテーニュ通り、ディオールのメゾン前に集うカトリネットたち。

CHRISTIAN DIOR MUSEUM COLLECTION, GRANVILLE © ASSOCIATION WILLY MAYWALD/ADAGP, PARIS, 2024.

 毎年、11月25日のカトリックの祝祭日「聖カトリーヌの日」の前後、フランスのモード界では〈内輪のランウェイショー〉が催される。会場であるパリ市庁舎に集うのは、パリのラグジュアリーメゾンで働く、その年に25歳を迎える若者で、たいていはグリーンとイエローで彩った帽子をかぶっている(帽子職人によって見解が異なるが、この配色は〈家族と希望〉、または〈信仰と知恵〉を表すようだ)。クチュール業界は19世紀後半からこの「聖カトリーヌ祭」を継承してきたが、元来その参加者はこの街に数十軒あったオートクチュールのアトリエで働く、25歳の〈未婚女性〉だけだった。彼女たちは「カトリネット」と呼ばれ、祭典の日は普段会わない上司らと顔を合わせ、街頭でのパーティを楽しんだ。デコラティブで突飛な帽子にはメゾンのシンボルや、個人の趣味を装飾の要素として盛り込むこともあった。パリ・アメリカ大学でファッション史の助教授を務めるソフィー・クルジャンは、当時のカトリネットは25歳ですでに婚期を逃した「オールドミス」とみなされ、帽子は「未来の夫を探しています」と知らせる印だったと解釈している。この行事はプティット・マン(仏語で小さな手の意味。ドレスの縫製や刺しゅうを担う無名の職人たち)にとって、現代のマッチングアプリ「ティンダー」と同じ役目を果たしていたはずとも述べている。

 カトリネットの守護聖人は、エジプト・アレクサンドリアの高貴な家柄の娘、聖女カトリーヌだ。伝説上この聖女は、異教徒の学者たちをキリスト教に改宗させたほど優れた論客で、ローマ皇帝からの求婚も拒んだといわれている。パリ装飾美術館の元チーフキュレーター、パメラ・ゴルバンは、聖カトリーヌ祭は単に夫探しのイベントではなく、「同僚や上司と親睦を深める、チームビルディングの機会でもあった」と言う。かつてはオートクチュールメゾンで働く30歳(カトリネットより5 年長く独身生活を謳歌できたことになる)の男性(ニコラと呼ばれた)を祝う「聖ニコラ祭」も存在した。聖ニコラ(註:サンタクロースのモデルとされる聖ニコラウスの仏語名)は、結婚など多様な事柄とゆかりのある守護聖人だ。伝説によると聖ニコラは、貧しい父親が三人の娘の結婚持参金を用意できないことを哀れみ、その家にこっそり金貨を投げ入れたそうだ。以前は毎年、聖ニコラの祝日である12月6日に、ファッション界では聖ニコラ祭が催されていた。

画像: 1940年代後半、パリのヴァンドーム広場で楽しそうにはしゃぐスキャパレリのカトリネットたち。 COURTESY OF SCHIAPARELLI

1940年代後半、パリのヴァンドーム広場で楽しそうにはしゃぐスキャパレリのカトリネットたち。

COURTESY OF SCHIAPARELLI

 パリ・ファッション・ウィークを運営するオートクチュール・モード連盟には長いこと、聖カトリーヌ祭は反フェミニズムだという批判の声が届いていた。同連盟のパスカル・モラン会長は、2年前から既婚未婚を問わずに参加できるように変更し、ニコラの年齢も30歳から25歳へと引き下げた。このルール変更に落胆した人もいる。2020年に自身のレーベルを立ち上げたフランス人デザイナー、ヴィクトール・ヴァインサントがその一人だ。現在彼は30歳、以前なら祭典の対象だが、タイミング悪くニコラの年齢が引き下げられ、参加できなくなってしまったのだ。ヴァインサントはクロエでのインターンシップ時代から、カトリネットたちが帽子やギフトを受け取る様子を目にしてきた。昨年はこの祭典を遠目に見て楽しんだという彼は「この日は、メゾン独自の路線とは少し異なる世界観が表現できる」と言う。たとえばエルメスは普段控えめなテイストで知られているが、カトリネットたちは大きな羽根で飾り立てた帽子をかぶっていたそうだ。

画像: 1940年代、バレンシアガのクチュールサロンで、華やかな帽子をかぶったカトリネット。 COURTESY OF BALENCIAGA ALL RIGHTS RESERVED

1940年代、バレンシアガのクチュールサロンで、華やかな帽子をかぶったカトリネット。

COURTESY OF BALENCIAGA

ALL RIGHTS RESERVED

 昨年、パリ市庁舎で行われた〈内輪のランウェイショー〉には、17のメゾンとオートクチュール・モード連盟で働く約400名の若者が参加した。基本的に全身黒で決めた彼らは、色鮮やかな帽子をかぶってランウェイを闊歩した。BGMはブランドごとに異なり、エルメスはサブリナ・カーペンター、パトゥはリル・ウェインの曲を選んでいた。普段は何事においても真剣なモード界で、こんなふうにユーモラスで風変わりなセレモニーを催すのは異例のこと。またライバル同士が一堂に会し、愉しい時間を共有する稀な機会でもある。と言いつつ、やはりそこにはいい意味での〈競争意識〉が見られた。カトリネットの帽子は基本的にメゾンのクリエイティブ ディレクターがデザインするが、さらに独創的なひとひねりを加えた帽子も多く見かけた。シャネル傘下の高級帽子ブランド「メゾン ミッシェル」の社員たちは、会社から贈られた帽子に、好きな米ドラマ『バフィー〜恋する十字架〜』の主人公が持つ木の杭や、ラインストーンやフェルトで自作したシャネルのモチーフをあしらったりした。

画像: 2024年11月22日、パリ7区のオフィスに集ったバレンシアガのカトリネットとニコラ。 PHOTOGRAPH BY THIBAULT MONTAMAT

2024年11月22日、パリ7区のオフィスに集ったバレンシアガのカトリネットとニコラ。

PHOTOGRAPH BY THIBAULT MONTAMAT

 現在は、カトリネットとニコラが同時に11月のイベントに出席するだけでなく、オートクチュール・モード連盟に加盟する約100のラグジュアリーブランドの従業員であれば誰でも列席できるようになった(そのうちオートクチュールを手がけているメゾンは14軒のみ)。服づくりに関わっていない人も参加できるようになったので、昨年バレンシアガからの23人の参加者の中には、販売スタッフや本社勤務の社員もいた(帽子は、つばをグリーンとイエローで飾った黒のベースボールキャップだった)。スキャパレリのCEOデルフィーヌ・ベリーニは、この行事が「スキルやノウハウを備えた上の世代から才能豊かな若者へバトンを渡す機会」であると同時に、若者世代がクラフツマンシップの重要性を認識するきっかけになるとも考えている。

画像: 2024年11月22日、パリ1区にあるスキャパレリのアトリエ。黒と赤の配色が印象的な帽子をかぶったカトリネット PHOTOGRAPH BY THIBAULT MONTAMAT

2024年11月22日、パリ1区にあるスキャパレリのアトリエ。黒と赤の配色が印象的な帽子をかぶったカトリネット

PHOTOGRAPH BY THIBAULT MONTAMAT

 ディオールでは昨年、計68人のカトリネットとニコラを祝福した。数年前にカトリネットだったプレスアシスタントのエマ・スプレックリーはこう話す。「昔ながらの伝統的なセレモニーより、最近のお祝いの仕方のほうがいいですね」。ディオールでは、毎年11月25日に近い金曜日に、社員全員を招いて、独自の華やかな「聖カトリーヌ祭」を催している。クリエイティブ ディレクターはもちろん、ディオールのCEOデルフィーヌ・アルノー、その父親で、親会社LVMHのCEOベルナール・アルノーまで出席する驚くほど大規模なカクテルパーティだ。「ディオールにとって、一年で一番大事なイベントなんです」。イギリス人の帽子デザイナー、スティーブン・ジョーンズが切り出した。ベールに包まれた「聖カトリーヌ祭」については、彼自身も1996年にディオールに来るまで知らなかったという。複数のメゾンやデザイナーも、この行事がまるで秘めごとであるかのように多くを語りたがらなかった。「内密にしておきたいこともありますから。ディオールでオートクチュールのドレスをオーダーしたとき、手にできるのはドレスだけではありません。普通は見られない、特別な世界にアクセスできるカギも入手できるのです」。この行事はモード界が職人に敬意を表する場でもあると言うジョーンズ。昨年、彼が2025年のリゾート・コレクションを下敷きにしてカトリネットたちの帽子をデザインし、制作はスコットランドの老舗ニットメーカー、ロバート・マッキーに依頼した。「アメリカではスポーツや軍隊のヒーローが称賛される。でもここフランスでは、デザインを手がけ、服をつくる人々が称えられる。だから「聖カトリーヌ祭」のような伝統行事がひっそりと、脈々と継承されているのです」

画像: 2024年11月25日、パリ8区のディオール本社に勢揃いしたカトリネットとニコラ。階段途中で黒のベレー帽をかぶっているのが帽子デザイナー、スティーブン・ジョーンズ。 PHOTOGRAPH BY ALEX HUANFA CHENG

2024年11月25日、パリ8区のディオール本社に勢揃いしたカトリネットとニコラ。階段途中で黒のベレー帽をかぶっているのが帽子デザイナー、スティーブン・ジョーンズ。

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